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第19話◇記事タイトル:今日も10年ぐらい前に亡くなったお祖母ちゃんの推し活のお手伝いをしています

「飴ちゃんいるかね」


 子供の頃、私が落ち込んだり泣いたりしている時、お祖母ちゃんはいつもそう言って私に飴をくれました。


 うちは両親が共働きだったので、小学校の頃は、授業が終わったらそのまま近所の父方の実家に帰っていました。

 私は一人っ子だったのですが、父の兄の子供たち、いとこもいたので、両親は遊び相手がいてちょうどいいと思って預けていたのかもしれません。


 ただ、いとこは男の子二人。

 それも活発で外遊びが好きなタイプの子だったため、年下かつ女子の私は、体力的に全くついていけませんでした。


 お祖母ちゃんは毎度のように玄関先で置いて行かれて泣いている私をなだめて、飴を食べさせて、それからお祖母ちゃんの部屋で一緒に遊んでくれました。


 お手玉、おはじき、けん玉。

 レトロな遊び方ばっかりでしたが、楽しかったです。

 高学年になってからは、料理や洋裁を教えてくれたりもしました。

 大学生になって一人暮らしや自炊にあまり困らなかったのは、お祖母ちゃんに基礎を教わっていたからだと思います。


 ただ、そんな優しいお祖母ちゃんも、夕方のとある時間になると、ピタッと私と遊ぶのを止めてしまうのです。

 その時間になると、テレビの前に座って動かなくなるのでした。


 お祖母ちゃんが見ていたのは時代劇。

 大林昌親が主演している「昇龍舞う」でした。

 お祖母ちゃんは大林昌親の大ファンだったのです。


「マサチカさんはかっこいいねぇ。ちょっとだけね、斜め後ろから見た感じが、お祖父ちゃんに似てるんだよ」


 なんて言って、いつも楽しそうでした。


 私のお祖父ちゃんは私が生まれる前に亡くなっていて、仏間にある写真、それもずっと若い時、四十代くらいの姿でしか、私は知りません。

 なので、その人がお祖父ちゃんだという実感もなければ、目の前のテレビに映っている「マサチカさん」とお祖父ちゃんが似ていたかどうかも、よく分かりませんでした。


 でも、そんなふうに話す時のお祖母ちゃんは私が知らない遠い昔の、おそらく昭和の若かった頃を懐かしむような遠い目をしていて。

 それは今隣にいる私との空間を飛び越えた別の所に視線を注いでいるような気がして、毎度、私はいとこだけでなくてお祖母ちゃんにも置いて行かれたような、そんな寂しい気分になったのでした。

 一緒にいるのに。


 だから、正直に言うと、お祖母ちゃんを取られたみたいに感じて、当初は大林さんのことが嫌いでした。


 だけど、たとえ拗ねてその場から立ち去っても、結局は一人ぼっちになるだけです。

 仕方ないので、私はお祖母ちゃんの横に座って、たまにはその膝に座ったり勝手に膝枕をしたりして、「昇龍舞う」を一緒に見るしかありませんでした。


 定期的に開催されている大林さんのコンサートも、お祖母ちゃんは毎公演、楽しみにしていました。

 おしゃれをして近所の友達と賑やかに出かけて行くたびに、「また寿命が延びたわ」なんて言って笑っていました。


 そんな元気なお祖母ちゃんでしたが、私が中学を卒業する年には、とうとう体調を大きく崩してしまいました。


 入院後に決まった大林さんのコンサートも、お祖母ちゃんは、本当は行く気満々だったんです。

 でも、結局は行けなくなってしまいました。

 がんが悪化してしまったからです。


 けれども、病院でも、お祖母ちゃんは引き続き推し活に励んでいました。

 カセットテープに録った大林さんの歌を、こっそりイヤホンをつけて聞いたり。

 写真立てにハガキくらいのサイズの大林さんの切り抜きを入れたものを枕元に置いて、それを眺めたり。

 時には話しかけたりもしていました。


「私は大丈夫よ、大林さん」


 優しい口調で口走るそれは、まるで自分に言い聞かせているみたいでした。

 普段から気丈で「病気なんて、何てことないわよ」と家族には言っていたお祖母ちゃん。

 けれども、それはきっと強がりでしかなくて、お祖母ちゃんも段々と近づいて来る死の気配が怖くてたまらなかったのかもしれません。


 亡くなった後、お通夜の日。

 私はお祖母ちゃんの遺品となった「大林さんのお宝」であるビデオテープと、大林さんの写真立てを形見分けでもらって帰りました。


 叔父さんの家にあるビデオデッキはその時点で既に壊れていて、もうどうせ見れはしないのだろうからと、そのまま全部ゴミとして処分されてしまいそうだったのです。


 私は何でか、それが、とても嫌でした。


 シリアスに形見分けについて話し合う親戚大人一同。

 そこに飛び込んで、「私がそれをもらう」と強硬に言い張る私。


 たぶんうちの両親も、子供の私がそこまで必死になってビデオテープを確保しようとしていた理由が、全く分からなかったんじゃないかな、と思います。


 そしてその遺品のビデオテープなんですが。

 実は今でも、一人暮らしの私の部屋のクローゼットに保管され続けています。


 私もビデオデッキは持ってないので、当然、中身を見れはしないです。

 なので、私は大林さんのドラマや映画作品の再放送があるらしいと知ると、毎度しっかり録画しています。

 今日も、ついさっき、「昇龍舞う」の今週分の予約録画をしっかり済ませてから、この記事を書いています。


 映像はDVDに録画して一度見返して、同じシーンを一緒に見た時のお祖母ちゃんの笑顔や萌え語りを思い出して。

 それから今は叔父さんの名義になっている家の仏壇に、定期的にお供えしてもらっています。


 きっとお祖母ちゃんも、ビデオの時よりずっと画質も音質もいい状態で、しっかり推しの姿を見たいはずなので。

 喜んでくれてるといいなぁ。


 ただ、大人になった今は、子供の頃とは違った視点で大林さんのことを見ています。


 私のいとこの、そう、私を玄関先に置き去りにしていたあの兄弟たちですね。

 最近の二人の雰囲気が、お祖父ちゃんの若い時の写真と、大林さんの若い頃に、本当に似てるんですよね。

「昇龍舞う」の時の放送当時の大林さんは三十代くらいだと思うんですが、いとこたちの年齢が近づいて来るにつれて、そう感じるようになってきて。


 たしかに、お祖母ちゃんが言っていた通りでした。


 そしてよく「マサチカさんの、この目の力がとても強い感じがねぇ、かっこいいわよねぇ」と言っていたのを思い出すわけですが、最近、私も「目に力がある人、いいなぁ。憧れるなぁ」と感じたことがあったのでした。


 現在、私にとっての大林さんは「推し」とまではいってないと思うんですが、お祖母ちゃんによって洗脳的に布教されてしまったのかもしれません。笑。




【「♯忘れられない家族の思い出」コンテスト、堀紗由美ペンネーム・さゆの記事より抜粋】

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