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第15話◇苦くないコーヒーと、謎の視線

「味も、苦くない。美味しい……」


 インスタントやコンビニや職場のコーヒーあたりだと、私はミルクと砂糖の両方を入れるか、カフェオレじゃないと飲めない。

 けれども、今飲んでいるこれは、何も入れずに美味しいと感じている。


「ですよね。俺もここのブレンド、飲みやすくて好きで。外は暑くなってきたけど、ついホットで飲んじゃうんです」


 肯定的な評価に、月浦さんは店の人でもないのに嬉しそうだ。

 ニコニコの笑顔になっている。


「この店、俺の先輩が……元アイドルだった人が、友人と経営している店なんですよ。俺みたいな、やめたその先が見えない感じじゃなくて、本当かっこいいんですよね」


 どこか誇らしげに月浦さんは言う。

 それだけ強く慕っている先輩だ、ということらしい。


「周りにいる年上の人たち、みんな目標とかやりたいことがあって。俺も早くそういう大人になって追いつきたいんですけど、焦るばっかりです」


 いいなぁ、という憧れが瞳に現れていた。

 AKARIさんやシンヤさん、話しているうちに出てきたカメラマンの山田さんに、元アイドルの先輩。


 彼は同世代よりも、年上の大人の人間と関わることが多いタイプなのかもしれない。

 しかも、「目標になるいい大人」がたくさんいる環境にいたようだ。


 それこそ、「いいなぁ」だ。

 素直に「大人っていいな」と思えているところが、もう社会人三年生の私には、眩しい。


 大学生の頃、私はこんなふうに切実に「早く大人になりたい」なんてことを、思っていただろうか。

 むしろここ最近は毎日のように「幼稚園児に戻りたい。仕事行きたくない。眠い」みたいなことを思っていたりする。


「お金をもらってやってるっていうと、漫画で同人誌作って売るっていう、シンヤ兄がやってるのも、制作と販売の仕事みたいなものだし。あれも副業が本業化しかけてるのが、すごくかっこよくって。恥ずかしいんで、本人には言わないですけどね」


 しっかりシンヤさんのことも尊敬しているようだ。

 当のシンヤさん本人は……今頃、修羅場でボロボロだろうけども。


「仕事、ってのは、会社とか家業とか、職業のことだと思うのが普通なんですけど、もっと言うと、ボランティアだって、お金を出されてないだけで、仕事の一種だと思うんです」


 言いながら、月浦さんも私と同じように、ミルクと砂糖なしでコーヒーを飲んでいた。

 ただし「いつもは入れるけど、どうしようかな」と迷ってチラリと視線を投げていた私とは違って、小さなポットに入れられたミルクにも砂糖壺にも、全く関心がなさそうだ。


「さっきのイベントも、ボランティアの協力で成り立ってる。その人が作業しないと何かしら滞るものが確実にそこにある、ってのなら、それも仕事だと思います。俺は。世間様の動きをうまく回していくための仕事、っていうか」


 実は、味覚は彼の方がずっと大人なのかもしれない……。


「堀さんは、自分の今の仕事について考えたことあります?」

「えっ」


 そんなわりとどうでもいいことを考えていたため、急に名前を呼ばれてしまった私は少し動揺する。


「あ、いや。最近の俺が、そういうことを考え込んでる、ってだけなんですけど」


 変なこと言っちゃったかな、という不安げな顔をしているから、それなりにちゃんとした返事をしようと心がける。


「えっ、と。特には……考えたことはなかった、かな。たくさん就職活動した中で、たまたま今の会社に採用されたってだけだし。今の経理やってるのも、好きとか得意ってわけでもなくって、単にできたから……」


 考えた割に、あんまり「ちゃんとした」感じにはならなかった。

 普段の仕事に対してのモチベーションが、全体的に低過ぎた。


 たまたま家電の開発と製造をするベンチャーの企業に就職が決まって、簿記の一級取ってる人ってことで、そこの経理課に回されて。

 簿記の勉強自体も両親に「資格はあった方が就職に有利」と勧められたから、一応でやっただけ。

 自発的な向上心の結果じゃない。


「月浦さんは、すごいですね。そういうこと、考えたこともなかったです。それに比べたら、私、本当に自分でものを考えてない。毎度、ただ流されて生きているだけみたいです」


 やっぱり、メンタルも彼の方が大人なのかもしれない。


「私、親がずっと共働きで。普段は父方のお祖母ちゃんに預けられていて。迷惑かけたり、手がかかったりしないようにしなきゃって思ってて」


 自然と、私は自分のことについて話し出していた。

 訊かれてもないのに、するすると。


「ああ、ここで私がワガママ言ったら、大人たちの計画、全部狂っちゃうんだな、怒られたりイライラされたり、めんどくさいことになるんだなって思っちゃって」


 いつもだったら、こんな身の上話なんて、初対面の男の人には絶対にしないのに。

 警戒心が消えている。


「黙って親の言う通りに流された方が、家庭内に波風立たなかったんですよね。いざ成人して家を出ても、そういう性格は変わらなくて」


 こんな話、彼氏たちにだって言ってこなかったのに。

 月浦さんが自分のことをあんなに話してきたから、こっちも同じように、話してもいいような気持ちになってしまっていた。

 心の氷がとけてしまったかのように、いつの間にか。


 だって、ちゃんと聞いてくれるから。

 さっきの私と同じように。


 たとえ「自分にとってはものすごくどうでもいいことを言ってるな」って感じているとしても、それでも途中で茶々を入れるようなことだけはしないから。

 そんな「茶々を入れない聞き役」ができるのは、私にとってはかなめだけだったのに。


「自分からしたいこと、これだけは譲れない、みたいな強くこだわるものがないんですよ。だから、そういうふうに自分に一生懸命になっている月浦さんはすごいな、って思います」


 私は今、一番自分の中で引っかかっていること、私自身のマイナス部分の話を、はっきり口にして公開した。

 今日一日考え続けたことのまとめとして。

 それはまだ、かなめにも教えられてない気持ちだったのに、言ってしまった。


「かなめも、シンヤさんも、AKARIさんも、会場で本やグッズを売ったり買ったりコスプレしたりする人たちも、みんなやりたいって思う好きなことがあって、羨ましい……」


 だから、私は私の中に何も見つけられないし、noteに書くべきことも、何も思いつかないのかもしれない。


「あっ、ありがとうございます。でも、俺も考えてるってだけで、具体的な成果が出ているわけでもないですし……。実際に自分のお金で稼いで自立している堀さんの方が、よっぽどすごいと思うし、羨ましいです」


 私の言葉を受けた月浦さんは、全面的に褒められた事実に照れたのか、その視線を漂わせていた。

 けれど、私をしっかりと見返して言う。


「お互い、羨ましがってますね」

「ですね」


 こう笑った私たちは、それ以後は黙って、それぞれのコーヒーを飲み干した。

 何となく、きっとこの一杯分を飲み終わったら解散なのだと、お互いに分かっていたから、一口一口、ゆっくりと時間をかけた。

 その沈黙は、意外と悪いものでもなかった。


 空になったカップをソーサーに戻すと、どちらともなく立ち上がって、会計に向かう。

 ドアの鈴の音を鳴らしながら喫茶店を出ると、途端に日常が戻ってきた気がした。


「なんか、色々話せてよかったです」


 そう言ってきた月浦さんは、軽やかに笑っていた。

 元アイドルらしい、人好きするような笑い方だった。


「自分の方がもっとしんどいとか、顔マウントしてくんなとか、自慢かよとか、そんな面白くねぇことじゃなくて芸能界の楽しいこと話せとか、そういうこと言われて途中で腰を折られないって、すっきりしますね!!」


 ただ、ちょっとした毒は吐いていた。

 なので「めちゃくちゃ他人に話を途中で折られながら生きてきたんだな、この人は」と、少し不憫な目線で見てしまう。

 かわいそうに。


「堀さん、面倒だったり退屈だったりなことでもちゃんと全部聞いて下さるから、話しやすくて。つい、どんどんしゃべっちゃいました」


 こういう感想をもらったあたり、月浦さん目線では私のチャット系AIな対応は悪くない印象だったようだ。

 私の欠点ともいえる、この「あまり他人に興味が持てない」というのも、今回はいい感じに役立ったらしい。


 感情的な人間に話の腰を途中で折られるくらいなら、最後まで聞いてくれる「人でなし」のチャット系AIな対応の方がまだマシ。

 世の中にはそういうこともあるらしい。


「いえ、こちらの話も聞いていただいたので」


 同じくらい、私もしっかり、彼にチャット系AI対応をして頂いたなと思う。

 やっぱり大人な子だ。


「私も、話しやすくて……。あんまりよそでは話さないことも、話しちゃったみたいです。ありがとうございました」


 お礼を言って。

 私はそのまま、駅の方角に視線を投げる。


「それじゃあ、私電車なので……」

「送ります、駅まで」


 間髪入れずに言われて。

 そしてそのまま、彼は同じ方向についてきた。

 絶対についてくるな、とまでは思っていないので、「まぁ、いいや」と歩調を合わせることにする。


 そして、トコトコと、数歩歩いて。

 しかし突然、バッと月浦さんが振り向く。

 緊張をはらんだ表情で。


「あの、どうかしました?」


 何かあったんだろうか。

 尋ねたけれど、しばらく一か所を凝視したまま、彼はその場をじっと動かずにいた。

 三十秒ぐらい、しっかりそちらを睨みつけるようにした後、彼はやっとこちらに向き直る。


「いや……すみません。ちょっと今、視線を感じた気がしたので。気のせい、ですかね」

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