第14話◇チャット系AI女は、映えな水滴の未練を見る
「辞めて以降、初めて他の人に、ここまで話せました」
ふう、と大きく息を吐き出した、彼。
何でもないように見せかけて、やっぱりずっと、家族や親戚以外の人には気を張っていたのかもしれない。
「戻りたい感じは、あるんです?」
私は、まだ少しでも未練があるから辛いのだろうかと想像して、確かめてみる。
問いに、彼は少し驚いた顔になって。
けれども、しっかりとその首を横に振った。
「……いえ。厳しいなと。何かものを売る仕事と同じだって思って、『商品』になろうと思ったんです。けれど、結局、そうはなりきれなかったので」
シュンとしつつも迷いがない様子、本人なりの確信を持って答えている。
それは「きちんと全力をもってやってみた結果」の実感のように思えた。
「自分が『商品』としてカメラで撮られるより、それを撮る方に回りたかったみたいで。売られる側じゃなくて、売る側」
その台詞で、私は月浦さんが今日、イヤイヤ言ってゴネながらも、コスプレ写真を撮られていたことを思い出す。
あれは好き嫌いや面倒くさい、みたいな単純な理由ではなくて、「商品であったこと」を意識させられるのが嫌だということだったのかもしれない。
「俺としては、撮ったものを形にすることを最優先で考えてポストカードを作って、今日は自力できちんと売り子をしたかったんですけど……」
その視線が、彼の傍らのトートバッグに注がれる。
彼の大切な「商品」のはずだったのに、彼の手に全く触れることなく掲示されたポスターと、他の人の手で販売されてしまったポストカードの残部。
それは彼の「心残り」だ。
「家族としては、俺がプライベートでも『撮られ恐怖症』みたいになっちゃうことを恐れていたというか。過保護ですよね、うちの姉。でも、たぶん、そうなりかけてたので……」
だからAKARIさんは「お母さんのため」という理由を用意した上で、「周囲に東雲洸と認識されない衣装」を用意して――これはあくまでもプライベートであり、「東雲洸という商品」用の撮影ではないのだと、徹底させていたのだ。
自分を心配しての行動。「落ちていたかもしれない落とし穴の回避」という、確かな成果。
それを自分でも理解しているから、少々強引とも思える姉のやり方を、彼は怒れない。
「結果的にシンヤ兄だけでなくて、堀さんや神原さんにも販売丸投げしちゃって……申し訳なかったです、改めて今日一日、ありがとうございました」
「いえ、私もサークル入場チケット譲って頂けて待ち時間減って助かったので。せめて売り子くらいはさせて頂かないと」
ペコリと頭を下げるから、私も頭を下げ返す。
まじめなものになった空気感を気にしたのか、へへ、と小さく笑って見せる彼。
愛想笑いではない笑い方だと、年下らしいとても人懐っこい笑顔になるらしい。
それはさっき見た「リフレ」のCMの、少し幼い頃の彼の顔つきと何も変わらない。
「アイドルをやめてから、何かをしないと、って思ったんです。大学卒業までは勉強中心……。でも、この先は、普通に働いて生きていくことを考えないといけない」
そこで一度、喉を潤すために水を飲む、月浦さん。
ガラスのコップを持ち上げると、結露の水滴がぽたぽたとこぼれ落ちていく。
その雫が、薄明るいこの店の間接照明に照らされて、鈍く輝いていた。
途端、私の中、「リフレ」のCMの、水のキラキラ映像が思い出される。
冷えた氷水と、シズル感と、光と……。
その瞬間、実は私は、「これも悪くない」と思っていた。
「好きなやつだな」って思っていた。
CMを見た時と同じく。
ただ、このことは口にせず、黙って水を飲む彼を見守る。
「なのに、何を売るか……やってみたい職種なんて、ちっとも思いつかなくて。だから、困ってました」
次に出てきたのは、自嘲するような笑い。
そのクルクル変わる表情の豊かさこそが、月浦さんが確かにかつて「アイドル・東雲洸」だったことを証明している。
ずっと見ていたいと思う人、だった。
視界が退屈しない。
けれども、彼は「その道」と決別しようとしている。
それが分かったから、私もあえて言わない。
今の、月浦さんが水飲んだ時の、その水滴の感じ。
あのCMくらい、ものすごく映えてましたよ――なんてことは。
それはきっと今の彼を追い詰めるだけで、決して何一つ褒める言葉にはならないのだから。
「でも、カメラはずっと好きだった。これ、って一瞬を、切り取るみたいに撮るのが」
ただ、続けられた台詞、この「一瞬を切り取る」という彼の口から出た表現に、私は先程の雫のことを思ってしまう。
もし彼本人が私の立場でさっきの雫を見たのなら。
そしてカメラを手にしていたなら。
彼はその瞬間を撮っただろうか。
私と同じく「リフレ」の水滴を良いものと認識した彼にとって、あれは「撮るべきもの」に値したのだろうか……。
しかし、月浦さんは再びコップに口をつけた。
氷水はそのまま一気に飲み干されてしまう。
今日はそこそこ暑かったしずっと話し続けていたから、彼も喉が渇いていたに違いない。
コトンと小さな音を立てて、コップはテーブルに戻された。
球になって落ちていくはずの結露は、コップの底に沿って円形に紙コースターを濡らしていくばかりだ。
二度目はない。
「どこかの企業に勤める方が、当然収入は安定するんでしょうね。でも、写真で身を立てる――写真家になるってことを、考えてみたくて」
コップの底とコースターの接地面に注ぐ私の未練がましい視線は置き去りに、彼の話はどんどん進んでいく。
でも、これはこの人だけの決意表明みたいなもので、そこに私の茶々入れは不要なのだから、これでいいのだ。
そのまま黙って聞き続ける。
きっとそういうことを言っても良さそうな相手として望まれて、私はここにいる。
ぬいぐるみかチャット系AIみたいな立場で。
「だけど、シンヤ兄にも言われちゃいました。これはただの逃避かもしれないぞ、って。ただ、一度くらいは試してみたい。俺が俺の力で、俺がいいと思うものを、どれだけ切り取れるのか」
そこまで言いきると、月浦さんはじっと私を見る。
こちらからの何かのアクションを待つ感じ。
発言を求められている。
この人は、何か彼だけにできる仕事を見つけ出そうとしているのだと理解した。
アイドルではない、次の何かを。
彼にとってはただ単に「写真家になる」ということ自体が最終目的なのではなくて、「その手段を通してできること」を求める仕事と考えていて、彼はそれを必死に、手探りで探しているんだと感じた。
そういう――ファインダーに納めるべき、何かを。
「やってみないと、分からないですもんね」
「ですよね……!!」
それらを踏まえて回答すると、月浦さんはホッと一安心したような顔つきになった。
おそらく、彼が欲しがっている言葉を、きちんと台詞の形にして言えたのだと思う。
……本当にチャット系AIみたいだな。
私の役割。
とはいえ、今の私はそれを嫌だとは感じていなかった。
かつて彼氏だった人たちに「俺のことちゃんと好き?」なんて訊かれた時よりも回答に迷っていない。
あれは大変だったな……。
少しでも回答を間違えると、修羅場になりかけて。
そもそも「ちゃんと好き?」か、っていうのはどういう質問なんだ。
好きでもない人と付き合おうなんて、こっちは思わないものなのにね。
そしてちょうどこのタイミングで、私たちが注文していたコーヒーが運ばれてきた。
「いい匂い……」
思わず呟いてしまう。
やっぱり、心地いい香り。
ホットのブレンド、月浦さんの注文に乗っかっただけだけど、頼んで正解だった。
そこに結露が発生する余地は全くないけれど、心が満たされる気がした。
普段は本格的なコーヒーはあまり飲まないし、こういう店にも行かない。
けれども、落ち着いた雰囲気も含めて、この店を悪くないと感じている。
コップや砂糖壺などの食器のデザインも、お祖母ちゃんの家にあったものと、どこか似ている気がする。
初めて来たのに、どこか懐かしい。
たまに楽しむにはいいかも、純喫茶。
そんなふうに思いながら、私はそのまま一口、口に含んだ。
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