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第13話◇元アイドル『東雲洸』は改名をしたらしい

 あの後、すぐにイベント終了のアナウンスが流れてきたため、会場を後にすることになってしまった。

 というわけで、今、私たちは並んで歩いている。


「山田さんは映像で俺は静止画なんですけど、カメラマンとしてすごく尊敬していて。実はああいうのを自分でも撮れたらっていうのが、カメラを始めたきっかけなんですよね」

「そうなんですねぇ……」

「こういう映像の話って姉ちゃんもシンヤ兄も途中までしか付き合ってくれなくて。たくさん話せて嬉しいです」

「そうですか、だったらよかったです」


 ニコニコと楽し気に語り続ける元アイドルの隣に、無難過ぎる相槌を打ちながら存在している、この私。


 何で?


 さすがに私は不安になっていた。

 この二人だけでイベント後の打ち上げをする、という流れになってしまっているからだ。

 頼みにしたかったAKARIさんは、他の友人たちとの打ち上げに行くことになって別行動らしい。


 ――おかしなことになってしまったぞ?


 どうしてこうなった……?と思いつつも、何だか妙にテンション高く話しかけてくるので、私はそのまま彼を振り切らずに話を聞き続けている。


 ぶっちゃけ、これが変なナンパや宗教・販売系の勧誘だったら走って逃げていた。

 けれども、さっきから出てくる台詞は一貫してカメラや映像や写真関連の話だ。


 正直、マニアック過ぎて何を言っているのか、ほぼ分からない。

 ニコンみたいな、ギリギリカメラのメーカーの有名なところは知っているけれど、レンズがどうとか、光の角度がどうとか、そういう細かい専門的なことは何も分からない。


 それでも話を聞きながら一緒に歩いてついてきたのは、たぶん、その「良く分からんけれども、好きなものへの情熱がものすごい」という一点だった。


 昼にシンヤさんの「書く理由」を聞いた時も、私はシンヤさんのその目の奥の、力強い意志を見た。

 目の前のこの人の瞳にも同じようなギラリとした輝きがある。

 それは、私には全くないものだ。


 こういう目に強い光がある人を、安全に近くで観察できそうな、めったにないチャンスが到来したんだ、と思った。


「そういう話をしても大丈夫そうな人、これまで周囲にあまりいなかったので。話したいし聞きたいです。新鮮なうちに」


 ついさっきこの人に言われた言葉、まるでそっくり鏡写しになったように、私も同じようなことを思っている。


 大丈夫そう。

 あまりいなかった。

 新鮮なうちに。


 こんなことを他人に対して考えることも、あえてそれを追求しようとすることも、これまでなかった。


 珍しく、関心を持って知りたいと思っている。

 それを、私は「悪くないもの」だと感じている。


 そうして歩いているうちに、私たちは彼の行きつけの喫茶店に辿り着いた。

 徒歩で行ける距離でちょうどいい場所、ということで提案された店だ。

 ちょっとレトロな……純喫茶、ってやつだろうか。


 奥のテーブル席に案内される。

 カウンターからは見えるけれど、他のお客さんの視線が気になることはない席。


 慣れた感じでおばさま店員からメニューを受け取っているあたり、彼はかなりの常連らしい。

「ブレンドを」と注文していたから、そこまでメニューを熟読することなく「私もそれで」と追加した。


 ここは絶対にコーヒー一択だった。

 そんなにコーヒーに詳しくない私でも。

 あまりにもいい匂いが店内に漂っていたから。


「えーっと。あの、何てお呼びすればいいですか?」


 お冷を飲んで落ち着いたところで、私はようやく彼に訊く。

 朝の自己紹介が途中で中断していたため、私は正式に彼の名前を聞いてはいなかった。

 シンヤさんの「スバル」とかなめの「スバるん」は……さすがに砕け過ぎてる気がする。


 かといって、「東雲洸」の方では呼ばない方が良さげだし。

 すると、彼は意外なことを言ってきた。


「ああ、大丈夫ですよ。俺、改名してるんで」


 改名。

 私は口の中で呟きながら、まばたきをする。


「本名で活動しちゃってたから、いざ一般人に戻ろうとしたら、どうしようもなくて。ちょっと力業で、本名の方を新しく作ったというか」


 そこで、私は初めて「東雲洸」が彼の元の本名だったことを知ったのだった。

 それが芸名ではなかったのだ。


「本名を?作った?」


どういうこと?と首を傾げると、彼はいたずらっ子のような顔で笑って見せる。


「親戚を集めて会議を開きまして。まず名前を改名して『東雲昴』になってから、少し時間を置いて伯父さん……シンヤ兄のお父さんの養子に入って、次は名字を『月浦』に変えたんです」

「改名、ってできるもんなんですね……」

「家庭裁判所に申請するんですよ。ちゃんとした理由があれば認められるんです。養子になったのは、成人してから。別の手続きで」


 この国でそんなことが可能だなんて、知らなかった。

 この機会がなかったら、きっと今後も知らないままだっただろう。

 なので、私はほえーっ、と感嘆の声を漏らす。


「というわけで、前の名前は芸名ってことにして。今の俺の本名は『ツキウラスバル』……夜の月に浦島太郎の浦に星の昴で、『月浦昴』です」

「月浦、さん」


 名字で読んでみると「はい、自分がそうですよ」と言いたげにニコリと肯定の笑顔が返される。


「だから俺、戸籍上は姉ちゃんの……AKARIの弟じゃなくて、シンヤ兄の弟になってますね。そして『東雲洸』は海外留学した、ということで口裏を合わせてもらっています」


 本名を変える。

 かなりの大ごとだ。

 それは人生の変革に等しい気がする。


 例えば、もし私が今後結婚するとして。

 夫の名字になると想像するだけでけっこうな大イベントだと感じるし、新しい名字で呼ばれるとしても、しばらく慣れずに戸惑うに違いない。


 ……まぁ、そんな予定はないんだけれど。

 なのに、この人は全く大したことではなさそうに微笑んでそれを言う。


「帰国した時にだけ、AKARIのコスプレ用アカウントに指先だけとか後姿とか、匂わせ的な写真が上がるんです」

「帰国した時に、匂わせ」

「たとえ体の一部だけでも、遠目でも、ちゃんと俺って分かるらしいんですよ。ファンの方って」


 一見、とても柔らかく笑っている。

 けれども、本名を捨てるほどの拒絶――そんな二段階の変更をわざわざしてでも、断固として「東雲洸」には戻らない。

 そういう覚悟を、強く感じた。

 単に下の名前を変えるだけでは「足らなかった」のだ。


「……何だかややこしい感じになっている、ということは分かりました」


 私はただ、このように口走る。

 あんまり部外者がつつき回していい話題ではないと思うから。


「あはは、それが分かってもらえたら十分です」


 彼は、月浦さんは、声を立てて笑った。

 あえて。

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