表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神曲(全)  作者: 名倉マミ
7/19

第五章(全十二章)

百年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ

:米津玄師『さよーならまたいつか!』

《一九三三年 ベルリン》


 拘置所の廊下が窓から差す青紫の月光の影に沈んでいる。

 どこに行ったんだろう、あいつ。形式的な視察を終えて、帰ろうという時にふいと姿を消してしまった相棒を捜して、オスカーは単身、人けのない廊下を歩く。

 オラニエンブルク拘置所は一九三三年一月に成立したナチス政権初期の拘置所である。元醸造所や工場を改装した施設で、後にSA、SSが管理する強制収容所に発展した。囚人は共産党員、ユダヤ人、社会民主党員などで、政治犯として厳重に隔離された。

 一九三三年の拘置所は、監獄や後のダッハウのような鉄格子のある檻中心ではなく、改装された建物内の個室型独房が一般的であった。囚人の姿が外から見えないよう、厚い木製または鉄製のドアで閉鎖され、窓なしかまたはごく小さな窓が付いているだけで、廊下から内部は見えない設計である。鍵付きドアで開閉し、看守や警備員が定期巡回や尋問で入室した。

 理由は政治犯の逃亡や情報交換防止、外部との接触遮断、後にはナチスの秘密警察ゲシュタポやSSの尋問・虐待を隠蔽するためである。檻型は刑務所や仮設収容所で使われるが、改装施設ではドア付き房が主流であった。

 国防軍(ライヒスヴェア)は、プロイセン州警察公安部支援で、拘置所の外周警備、囚人移送監視、内部巡回、また視察等を担当することもあった。

 絹を裂くような悲鳴が夜の闇に響いた。廊下を歩いていたオスカーの耳に、引き続き、争うような物音が聞こえた。長い廊下を突き当たった所にある房だ。オスカーはそちらへと足を速めた。既に悲鳴と騒音は聞こえず、女の忍び泣きに変わっている。

 突き当たりだったので覚えているが、確かあの房には共産党員の女が囚われていたはずだ。ドイツ共産党は二月の国会議事堂放火事件の翌日から多数が拘束され、この三月には解散命令を受けたばかりだ。

 小走りに近づくと、重い鉄扉が内側から開いた。

 「おう、お疲れ」

 と、ステラン・ゾーファーブルクが言った。いつも完璧に整えられた金髪がやや乱れている。

 「俺、ここ管理してるSAの奴と仲いいから、借りてきたんだよ」

 唖然とするオスカーの前で、ゾーファーブルクはこれ見よがしに鍵束をじゃらつかせて房の扉を施錠した。一瞬、オスカーを遮るように立ちはだかった後、

 「あんた、先帰ってていいよ。俺、これ返しに行って、そいつと飲んで喋りたいから」

 そう言って、背中を向け、廊下を引き返そうとした。扉の向こうで、女の嗚咽は依然として続いている。

 オスカーも一瞬、扉と同僚の背中を見比べたが、すぐ彼を追い、肩に手をかけて怒鳴った。

 「貴様、何やった!言ってみろ!」

 ゾーファーブルクは振り向いた。黄緑の目を光らせ、小首を傾げ、眉を上げた。

 「女だって嬉しいはずだろ?俺みたいな男にやってもらえるんだから」

 オスカーが絶句していると、彼はせせら笑い、扉を頭で示した。

 「鍵貸してやるから、おまえも試してこいよ。いい女だったぜ」

 「何だと、貴様!」

 力を込めたオスカーの手を振り払い、ゾーファーブルクは笑いの余韻を残したまま、靴音を立てて去った。

 オスカーは呆然と廊下に立ち尽くした。女の泣く声はまだ聞こえている。

 扉の向こうが気になったが、今、自分にできることは何もなかった。

 これほど自分を無力で卑小な存在だと感じたことは、兄を亡くしてからついぞなかったが、今、扉の向こうで彼女が感じているであろう苦痛と屈辱と絶望に比べるべくもなかった。

 オスカーは廊下の壁にもたれ、目を閉じた。一瞬だけ、エルスベットと娘パウラの顔が脳裏を過った。情けない夫、情けない父、情けない男だ。誰も助けられないし、何も変えられやしない。



《二〇一七年 東京》


 「本法案に賛成の議員諸君、ご起立下さい」

 六月の議場に衆議院議長の声が厳かに響き、広い会議室を埋めた何百人という男女の議員が、凄まじい椅子の轟音を立てて一斉に立ち上がる。

 「満場一致、賛成多数。よって本法案は可決されました」

 変わった。今、変わった。国のかたちが変わった。一九〇七年から百十年、変わっていなかった法律が、百十年前、明治天皇と男たちだけの国会で作られた法律が、今、わたしたち女性の目の前で変わったんだ。

 みんなの力を合わせて、この国の女性の生に重く伸し掛かっていた大きな大きな岩を動かした。わたしは後ろの方でちょっと押すのに手を貸しただけだけど、わたしだって立ち会ったんだ。

 わたしは笑顔になって、傍聴席で隣に座っていたイラストレーター兼デザイナーのPERLA(ペルラ)に握手を求めた。わたしより若いその髪の長い日本人女性はにっこり笑って、差し伸べたわたしの手を強く握った。

 この年、三十九歳のわたしは東京に住んでいて、Believe(ビリーブ)という、女性を中心に刑法改正を目指す市民運動キャンペーンの末席に座っていた。翼をシンボルとするそのキャンペーン名の由来はこうだ。

 性被害者の多くは被害を訴えても、「信じてもらえない」「わかってもらえない」「『あなたが悪い』と言われる」という二次被害を受けた経験がある。この名前には「わたしはあなたを信じる」という意志が込められているのだ。

 審議の後、記者会見があり、キャンペーンの主宰者で国会審議の参考人でもある看護師の稲本霞がインタビューを受けた。稲本はその日、喪服のような黒いドレスを着ていた。

 「今まで、声を上げることもできずに無念の涙を呑んで死んでいった無数の性被害者たちの気持ちを背負うつもりで、この場に臨みました」

 実父の性虐待からサバイブ(生き残る、快復する、乗り越える)し、今日、人々を導いて監護者性交等罪(刑法百七十九条)を成立させた女性は、凛とそう語った。

 「フリーの阿川むつきと申します。Believeの方、お話とよかったらお名前を、聞かせてもらえませんか」

 キャンペーン参加者、報道陣、議事堂や法務省関係者でごった返す会場で、若い女性記者が声をかけてきた。

 「十朱ミクと申します。市民学習会の準備を手伝うくらいで、大したことはできませんでしたが、こんな歴史的転換点に立ち会えて本当に嬉しいことだと思います。

 百十年前といえば明治四十年のことです。明治四十年といえば、わたしが九歳の時に亡くなった曾祖母が生まれる一年前です。まだ男性、しかも一部のごく裕福な男性にしか参政権がなく、女性の心も体も父親や夫や国家のものであると考えられていた時代に作られた法律が今日、やっと改められたのです」

 わたしは緊張と興奮のため早口で答えた。

 「今日はどんな思いでこの場に臨まれましたか?」

 わたしは遥かに遠く、曾祖母の栄子を思いながら答えた。

 「他に好きな人がいたのに、親が勝手に決めた顔も知らない相手と婚約させられて毎日泣いてた若き日の大きいおばあちゃんの思いも背負うつもりで、国会議事堂まで足を運びました」

 阿川は少し目を赤くしながら、何度も頷き、メモを取っていた。

 この日、明治以来の強姦罪・準強姦罪は廃され、強制性交等罪(刑法百七十七条)・準強制性交等罪(百七十八条)へと改められた。また、新たに監護者性交等罪が定められた。

 更にこの六年後の二〇二三年、両罪を統合して不同意性交等罪(刑法百七十七条)が成立することになる。



《一九三三年 ベルリン》


 ステラン・ゾーファーブルクは国防軍を不名誉除隊になり、兵舎から去って行った。

 最後に廊下ですれ違った時、黄緑の目が針のように尖ってオスカーを睨みつけた。あの夜のことをオスカーが密告したからクビになったと思っているのだろう。それはその通りと言えばそうだが、「密告」というのは主に相手を中傷し、陥れることが目的でこそこそと立ち回ることだ。オスカーは見聞きしたことを上官と軍法機関に報告する義務があると感じたので、それをしたまでのことだ。

 彼らが本人を呼び出して問い質した所、認めたので処分が下った。ライヒスヴェアの名誉重視の厳格な規律下では当然のことだった。



《二〇〇〇年 京都》


 「十朱さんが怒っているのは、傷ついているのは、謝ってほしいのは、その溝黒くんって学生じゃない。内村くんなんですよ!」

 隣の市にある小さな精神科クリニックの一室で、三十代の女性臨床心理士が自信満々に言った。

 「え?」

 とわたしは言った。

 「わたしはね、最初に聞いた時からおかしいなと思ってたんです。溝黒くんとはつきあっていたわけでも、体の関係があったわけでもないのに、そこまで拘るなんて」

 当たり前でしょ。気持ち悪いこと言わないでよ。

 折田というその臨床心理士は、溝黒正(みぞくろまさし)という学生と崙山大学の文芸サークル、わたしが休学に到ったきっかけを一応ざっと聞いた後、なぜかわたしの性的な経験の有無とその詳細について聞き出そうとした。

 わたしが一回生の夏休みに内村という京都大学の学生とコンパで知りあって、一度だけ彼のアパートに行ってそういう関係になった、それがわたしにとって初めての経験だったけど、結局つきあうには至らなかった話をすると、目を輝かせて、最初の発言になった。

 「十朱さんはね、自分の女性性を受け入れていない。だからしんどくなっちゃうんですよ。でもあなたのせいじゃないの。父性の欠如、つまりお父さんがいない、お父さんに愛されていない女の子はよくそうなるの。きっと子供の頃から、赤やピンクが着たい、スカートが穿きたいと思っても、お母さんに男の子みたいな格好ばかりさせられていたんでしょ?例えばね、髪の毛を伸ばしたり、お化粧をしたり、赤やピンクのかわいいお洋服を着たり、スカートを穿いたり、ハイヒールを履いたり、そうやって自分の女性性を育ててあげて、喜ばせてあげれば、今回みたいに人間関係で失敗して辛い思いをすることもなくなるし、生理不順や生理痛もなくなるし、内村くんよりもっと素敵な男の子に大事にされるようになりますよ。

 今回のことは『女の子』が『女性』になるための肥やしだと思いましょ。十朱さんの好きな『もののけ姫』だって、『女の子』が『女性』になるプロセスを描いた映画ですもんね」

 「嫌だ」「違う」「やりたくない」と心の中で呟いた。わたしは処女性というものをそれほど大事に思っていないし、その逆でもなかった。内村とのことはもちろん同意だったし、ちゃんと避妊はしたから妊娠もしていないし、お互い「その程度のことだった」と思っていたと思う。

 「もののけ姫」は浪人時代に劇場に観に行ったけれど、サンとアシタカの恋愛よりも、共に母性と冷酷非道を併せ持つエボシ御前とモロの君の激突、フェミニスト革命家であるエボシ御前の挑戦の方がわたしにとっては印象的で、少女の成長物語だなんて思ったことはなかった。

 しかし、口では全然別のことを答えていた。心のどこかに「心理の専門の先生が言ってるんだから、自分では気が付いていないだけでそうなのかも」という思いがあったのだろう。

 「そうですね。同級生や従姉の須美ちゃんが言った通りかもしれません。『女の子に生まれたことを楽しもう』『ビキニ着てビーチに繰り出して男を誘惑すればいい』って」

 「そう!そうですよ」

 と、折田は上機嫌で言った。べつに医療現場だからみんな白衣を着ていないといけないとは思わないけれど、髪形、メイク、服装など派手で、あんまりこういう職場に馴染まないタイプの人だった。

 この先生は自分自身がよほどそういうことに拘りがあるんだろうな、と思った。

 「わたしはやっぱりね、人間、特に女の子は外見だって思うんです。わたしも、今度生まれてくるんだったらかわいく生まれてきたいな~って思いますもん。十朱さんはまだ若いし、かわいいんだから、磨かないと勿体ない!」

 そりゃわたしも溝黒の外見は頗る憎んだし、高校時代はイルシェナーみたいなキャラクターが出てくる小説も書いてたから、人のことは言えないけれど。八谷先生の「青春祭」の解釈にもあったように、美しいものや人に憧れるのは人間の自然な心の働きであり、否定したり抑圧したりするのも馬鹿げてるとは思うけど。

 「十朱さんはかわいいですよ。溝黒くんだって、中学の同級生の男子だって、十朱さんのことが好きだからいじめてたんだと思いますよ」

 折田はわたしを励まそうとして言ったのかもしれないが、好きでいじめているのか、本当に悪意があっていじめているのかわからないくらい、わたしは鈍感ではない。何だか馬鹿にされたようで傷ついた。それ以上に、彼女の軽薄さが疎ましかった。

 「かわいいんだから、せめてわたしのセッションに来る時だけでも、お化粧をしたりスカートを穿いたりしてみて下さい」

 と結構しつこく言っていたけど、わたしは頑としてそうしなかった。そんなことは全然やりたくなかったから。わたしは彼女の着せ替え人形ではない。

 べつに彼女を挑発しようとしたわけではないが、ある時、緑色の宇宙人のようなキャラクターを自ら草木染したTシャツを着て診療室に入った。「それ、作ったんですか?」と訊かれ、小学校の時から自画像として使用しているキャラクターだと説明すると、

 「女性でも男性でもないんですね」

 と含みのある言い方をした。

 「だからあなたはダメなのよ、そういう『女でも男でもない』ような変なものに憧れるから。わたしがいつも言うように、自分の女性性を受け入れないと精神の病気は治らないし、幸せに生きられないわよ。女も男も外見よ」

 と言いたいんだろうな、と思った。多くの人が憧れる観音菩薩や弥勒菩薩だって女でも男でもないけど。



《一九三三年 ベルリン》


 「ステラン・ゾーファーブルク中尉だね」

 部屋の中に、くぐもった男の声が重々しく響く。

 「はい。除隊になりましたが」

 体重を感じさせない軽さで椅子に腰かけた青年は金髪をちょっと振った。

 「構わないよ。多少やんちゃをした、または合わなかったということだろう。ふん、国防軍なんかな、所詮は苦労知らずのお坊っちゃんたちのお役所仕事だから、君みたいな熱意のある青年にはもの足りないだろう。おっと失礼、君もそういう良家の子弟だったね」

 「いいえ、とんでもない」

 「ちょっと立ってみてくれ。軽く両腕を広げて、くるっと回って」

 青年は言われた通りにした。部屋の照明に黄緑の目がきらめき、肌がアルプスの処女雪のように輝く。

 「素晴らしい!君は神話のバルドルだ!君のその長身痩躯、その金髪、稀な瞳の色、肌の白さ、どれを取ってもゲルマン民族の美の粋だ!」

 男は興奮して、唾を飛ばしつつまくし立てた。丸眼鏡の奥の目が狂気に燃えた。

 「は、はい」

 「さぞかし、うちで良い働きをしてくれるだろう」

 ナチス親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーは満足そうに微笑んだ。



《二〇一七年 東京》


 わたしは日本福音ルーテル新宿教会の堅い茶色のベンチに座り、生まれて初めて聴く合唱付きオーケストラの生演奏に魂を震撼させている。

 演目はマルティン・ルター作詞作曲、ヨハン・セバスチャン・バッハ編曲「神は我が櫓」(Ein feste Burg ist unser Gott)だ。

 ルーテル教会は別名「歌う教会」とも呼ばれ、礼拝の中で言葉を旋律に乗せること、つまり歌唱をとても大切にすることで知られている。

 みんな頑張ってドイツ語覚えたんだろうなあ、と客演している我が新宿教会の聖歌隊のメンバーの顔を見比べながら思う。

 わたしはというと、ドイツ語はほとんど一言もわからないので、配布されたプログラムに目を落とす。会衆も一緒に口ずさめるように、そこに日本語の訳詞が書かれている。


悪魔世に満ちて 襲い迫るとも

勝ちは我にあり などて恐るべき

この世の君 狂いたてど 何を為し得ん

主の裁きに 滅ぶる外なし


 ルターがヴィッテンベルク城教会の門扉に「九十五箇条の論題」を打ち付けてカトリック教会に抗議(プロテスト)した夜から今夜で丸五百年だなんて嘘みたいだな、とわたしは一人で目を剥く。つまり、プロテスタント教会の記念すべき五百歳のお誕生日ってことになる。

 ルーテル(ルター)派の教会はこの日十月三十一日、平日夜の特別礼拝を執行し、特に五百周年に当たる今年はこのような演奏会など、様々な祝賀の催しが各地で行われている。

 尤も、ルターは「九十五箇条の論題」を発表した時点では「新しい教会を建てよう」とは思っていなかったみたいで、「この日がプロテスタント誕生の日」としたのは後付けに過ぎないけれど。

 「今日の説教でお伝えしたいのは、紀元一世紀、ローマ帝国の激しい弾圧に晒された最初期教会を励まし続けた使徒パウロ、十六世紀の宗教改革者マルティン・ルター、そして二十世紀、ナチやナチと調子を合わせたドイツ教会と闘い、投獄され処刑されたボンヘッファーやパウル・シュナイダーといった告白教会の牧師たちのことです。シュナイダーの獄中からの手紙には妻子への愛と苦悩が美しく、切々と著されています」

 説教壇の上で、白いガウンと赤いストールを着けた大山牧師はこう語っていた。

 「時代や場所は違えど、彼らは共通した希望を持っていました。神は、御心に従っていく者には、必ず解決の道、勝利の道を与えて下さるという希望です。どんなに今、権力が無茶なことをしていても、最後には神が勝利されるという確信を持っていました。それが、やがて神の前に立った時、嘉せられるという信仰となっていたのです」

 わたしは安倍晋三内閣総理大臣のニヤニヤした顔を思い浮かべながら、ほんまかいな、罰なんて当たるんかいな、と疑っている。

 「先生、宗教改革五百年って、すごいですよね」

 礼拝後、みんなが帰ってから、わたしは人けのないロビーで大山牧師に話しかけてみた。大山は既にガウンを脱いで私服に戻っていた。

 「そうですねえ。ぼくも説教してても何だか信じられない思いでしたよ。自分がその節目に居合わせる、というのも不思議ですよね。この教会はルーテル派ですから盛大に祝うけど、他の教派ではそこまでやらないみたいですし」

 五十前で白髪交じりの大山はいつも通り、微笑みを絶やさずに話す。

 わたしは頷いた。わたしは二〇〇八年頃から地元の教会に通うようになり、去年、上京する直前に洗礼を受けた。大山もわたしと同じで、元々クリスチャンホームの出身ではないと聞いたことがある。

 わたしの場合は更に、受洗した教会は日本基督教団といって、ルーテル派の教会ではない。厳密に言えば違うが、臨済宗や浄土真宗といった宗派の違いをイメージされたい。

 わたしは鹿爪らしい顔で言う。

 「小泉進次郎みたいなこと言うけど、百年前は当然、四百周年記念やったわけですね」

 大山が笑いを堪えているのをちらっと見て、続けた。

 「百年前、わたしは別の誰かやったりしたんやろうか。別の誰かとして、宗教改革四百周年を祝ったんやろか」

 大山は真顔に戻ってわたしを見た。わたしは思い切って言った。

 「ねえ、先生。人間は生まれ変わると思いますか。その、聖書的な意味ではなくて、ある人が死んでまた別の人に生まれ変わって、別の人生を歩むことってあると思いますか」

 大山は注意深く考えを巡らせる表情で答える。

 「生まれ変わりですか。そうですね、ぼくはキリスト教の牧師ですから、聖書の教えに則れば『そういうものはない』と答えるべきなんでしょうけど」

 大山は黒子のある目元を穏やかに笑ませて続けた。

 「でも、十朱さんが今その質問をぼくにしてくれるっていうことは、十朱さんが『そういうものがあるんじゃないか』と考えるようになるきっかけがあったってことですよね」

 わたしはほっとして、

 「そうなんです。最近、ちょっとびっくりするようなことがあって」

 「そうなんだ。教えて下さいよ」

 「話すと長くなりそうだから、また今度にします」

 大山牧師は頷いて、

 「十朱さんにとって大事なことなんだね」

 と言った。長年、一緒に不妊治療を頑張ってきた奥さんとの間に、最近、待望の第一子長男が生まれたばかりで、幸福とやさしさに光り輝いていた。



《一九三五年 ベルリン》


 「親愛なる友 レーテ・ダーレンドルフへ

 君も教会員の皆さんも、お健やかにお過ごしですか。

 五歳になる長女のパウラが最近、花を摘んできてくれたり、幼稚園で習った歌や踊りを披露してくれたりします。また、妻がピアノを仕込み始めています。金髪で妻そっくりです。目の色は私譲りの青です。私に似るとかなり生き辛いと思うので、妻のように快活でもの怖じしない性格に育ってほしいと思うが、何にせよ心の正しい、やさしい女性に育ってほしいというのが両親の願いです。

 こういう風に言うと君には失礼になるかもしれないが、やはり子供がいるとより一層、国の将来が気に懸かります。私はどうしてもナチの奴らは気に喰わん。みんな、『財政の混乱を収めた』だの、『ワイマール時代に比べて生活が豊かになった』だの、『何にせよ共産党よりマシ』だの言っているが、大きな勘違いです。去年あんな血腥い事件があったばかりなのに、まだ気が付かないのか。あんな好戦的で野蛮なゴロツキ集団に国を任せていたらえらいことになる。

 この間も街角で突撃隊の奴らがユダヤ人の老人を袋叩きにしているのを見つけました。誰も皆、奴らが怖い、面倒に関わりたくないので見ないふりをして通り過ぎて行きます。勤務時間外でしたがやめさせようと声をかけると、連中もこっちの図体と剣幕に恐れをなして引き下がりました。まだまだ若い者には負けないつもりです。

 最後になりましたが、先日、妻が無事に長男を出産しました。迷わずクリスティアンと名付けました。男の子ならそうしようと前から妻と決めていた通りです。

 君の所のような辺鄙な(失礼)山奥なら心配ないかもしれないが、最近、何かと騒がしい世の中です。くれぐれも身辺お気をつけられますよう、ご自愛下さい。

                            友情を込めて

              オスカー・M・フォン・ローゼンシュテルン」

参考文献

榎本保郎『ちいろば牧師の一日一章 新約聖書篇』マナブックス


文中讃美歌、訳詞は『教会讃美歌』(日本福音ルーテル教会)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ