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神曲(全)  作者: 名倉マミ
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第四章(全十二章)

先月、自分の猫を始末しなきゃならなかったからだ。白に黒のぶちなんて不幸な星の下に生まれついた雑種だった。確かに猫の殖えすぎは我慢ならないところまで来ていたし、お国の科学者たちの言葉によれば、「茶色」を守る方が良いという。茶色だけ。

:フランク・パヴロフ『茶色の朝』

《一九三二年 ベルリン》


 茶色の制服に身を包んだ突撃隊が、軍靴の音を響かせ、鵞鳥のように高く足を上げ、一糸も乱れることなく、行進する。ハーケンクロイツの赤い旗が翻る。


我らは大ベルリンを行進する

ヒトラーのために我々は戦う

赤色戦線よ、おまえらは真っ二つだ!

突撃隊が行進する、注意せよ!道を空けろ!


 街角で、広場で、路地裏で、突撃隊員の鉄パイプが共産党員を叩きのめし、悲鳴と怒号が入り交じり、血が石畳に流れ出す。



《一九九九年 京都》


 出血が止まらない。生理じゃないはずなのに、このところずっとだ。一日に何度も生理用品を替えないといけなくなる。

 「この『青春祭(チンチュンチー)』という映画は、『わたしたちは文化大革命でこんなに傷ついたのよ』という映画です。つまり、文化大革命というのは何という歪んだ共産主義思想・・・・の解釈に基づく愚かな蛮行だったのか、ということを批判した映画ですね」

 中国語・中国文学の八谷(やたに)助教授が、学生に人気のある、温厚でリラックスした味わい深い口調で語る。

 「『(チー)』というのはお祭りではなく、『悼む』『追悼する』ということ。文化大革命で台なしになってしまった、喪われた青春を悼む、という意味です」

 北京大学の女子学生・李純(リーチュン)は、毛沢東率いる中国共産党政権の政策によって、学業を中断させられ、雲南省の少数民族・タイ族の村に強制移住させられる。そこでなぜか村娘たちから疎外される理由が思い当たらず、悲観するが、預けられた家の「おじさん」(ダーディエ)の答えはとてもシンプルだった。

 「そりゃ、うちの村娘たちのようにお洒落に着飾らないからだよ。娘ならそんな地味な格好ばかりしてないで、美しく装ったらどうだね」

 「『娘ならきれいにしなくちゃ』という考え方も女性差別的、抑圧的であり、受け入れ難い、と思う人もあるかもしれないですけどね」

 心なしか、八谷先生がわたしに目配せしたような気がした。国中は女子がほとんどで、男子は数えるほどだった。わたしは八谷先生と個人的に話したことなんてなかったのに、今にして思えばあの先生は何でもわかっていた。

 「ダーディエの言ってることはそういうことではない、と理解していただけると思います。美しいものに素直に憧れる若い女性、つまり人間の自然な心の働きさえも抑圧する、文化大革命というのはそういう非人間的なものだった、ということを監督は描き出したかったわけです」

 実際、この映画の中で一番ショッキングなのはこれに続くリーチュンの独白だ。

 「わたしはダーディエの言ったことに驚いた。子供の時から、『美しくないことが美しい(不美是美)』と教育されてきたからだ。新しい服は何度も洗い、ボロボロにしてから着た」

 「つまり、現代日本の私や皆さんには想像もできないですが、『新しい服』『きれいな服』はブルジョア的であり、贅沢であり、美しくない。貧しくてプロレタリア的なものが美しい、という反転した価値教育をリーチュンは子供の時から受けていたわけですね」

 その後、リーチュンは素直にダーディエの勧めに従い、タイ族の村の伝統に倣って美しい衣装を纏い、髪を結い、アクセサリーで身を飾る。そして娘たちにも仲間として迎え入れられ、自分自身、自由と解放を感じていく。

 まあ、「郷に入っては郷に従え」ってことなんだろうけど、自分たちの着ているものと違うから仲間外れにするなんて、やっぱりちょっとひどいと思うなあ。

 八谷先生の授業が終わって、またトイレに行ってから、講義室に忘れものをしたことに気づいた。廊下を引き返して行くと、講義室から国中の級友たちの話し声が聞こえた。わたしは足を止めた。

 「十朱さんって、なんか変わってて取っ付きにくない?」

 「もうちょっと女の子らしい、かわいい服着たらいいのにな。なんでいっつもあんなぶかぶかのTシャツ着て、ジーンズにサンダル履きで歩いてんの。キャミソールやらちびTが流行ってるし、たまにはスカート穿いたらいいのに」

 「そう!わたし最初、男の子や思った。髪の毛あんなショートで野球帽被ってるんやもん。『もっと女の子に生まれてきたことを楽しもう』とか思わへんのかな」

 「お化粧ぜんっぜんしてないし。常識ないよな。今の内に覚えとかんと、そんなん女の身だしなみやし。お化粧してなかったら就職かって、書類でも面接でも落とされるし」

 「サークルでもハブられてるらしいよ。西文の子が言うてた。西文で噂広めてる人がいるんやて」

 「あー、わかるー」

 わたしは唇を噛みしめ、足早に講義室の前を通り過ぎた。出血が止まらない体が重だるく、高校、浪人の時には治まっていたあの原因不明の嫌な背中の痛みがこのところ、また頻発するようになっていた。

 「なんでわたしやなくて溝黒くんが部長なんですか。わたしかて同じくらいサークルに貢献してると思います」

 この四月、わたしは前部長で新たに四回生になった竜平に直談判した。

 「そもそも、ちゃんとミーティングで話しあって部長を選出するべきやないですか。なんで竜平さんが勝手に決めてるんですか」

 「いや、文芸サークルはそもそも独裁が伝統やから。ぼくも前の部長から内々に指名されたし、前の部長も、その前の部長もそうやったから」

 社会福祉学部で教員志望の竜平は、草彅剛似ののっぺりした白い顔に悪びれもしない表情を浮かべてそう答えた。

 「ぼくは竜平さんに全て任されてるから」と言った時の溝黒の得意げな顔を思い出して、わたしははらわたが煮えくり返った。半年前にアパート暮らしを許されて実家を出た溝黒は確かに、竜平や他の上級生に取り入って、よく個人的に遊んでいたみたいだった。

 「溝黒はぼくが紹介したったデパートの石鹸売り場のアルバイトもちゃんとこなして、この一年で成長したしな。そこに行くと君は、あまり成長しなかった」

 「いや、溝黒くんと竜平さんがバイト先一緒なんは知ってますけど、そんなんわたしの知ったこっちゃないですよね。竜平さんはわたしの何を知ってるの?」

 わたしは本当に悔しかった。四年前に職場結婚した千歳叔母の夫にも、「ミクちゃん、大学行って変わったなあ」と褒められていたからだ。

 言い負かされそうになって、竜平は取り繕った。

 「でも、二、三回生で主だったメンバーは君と溝黒だけやし、君と溝黒とどっちかな、と思ったら俺は溝黒やったんや」

 「だから、ちゃんと両方と(はなし)せんと、なんで?」

 すると竜平は驚くべきことを言った。三十年近く経っても忘れることがない。

 「男やから。文芸サークルは代々男子が部長やし、俺も『部長任せるんやったら男』いう頭があった」

 振り返ってみても、この時の自分の反応ほど「唖然」という言葉が相応しい場面はなかったと思う。

 「何言ってるんですか?女子が部長のサークルなんかいくらでもあるやないですか」

 「他所は他所、うちはうちや」

 竜平は不貞腐れたように言って、わたしの怒りで紅潮した顔を見やり、また三重弁で言い訳を連ねた。

 「いや、だからな、女の人って感情的やし、論理的にものを考えられやんし、冷静な判断ができやんやん。肉体的にもアンバランスやし、体力もない。行事で帰るのが遅うなったりしても危険や。特に君の場合、自宅生やしな。ぼくはそもそも女の人っていうのは重要な役職に就くべきやないと思う」

 「自宅生とか配慮して下さってありがとうございます。でも、『男は夜遅うなったり酒入ったりしたらレイプ事件を起こすかもしれんから危ない、重要な役職に就くべきやない』ってことかて言えますし、文芸サークルの部長に体力なんか関係ないですよね」

 竜平はさすがにその皮肉が通じないほど愚かではないと思ったが、別の意味でひたすら愚かな男だった。

 「あんな、君みたいな女系家族の子はすぐそうやってケンツクケンツク早口で差別や差別や言うけど、相撲の土俵に女の人が上がれへんのはなんでやと思う?」

 「女は生理があるから、穢れてるから、神社なんかにお参りできひんかった、その名残でしょ。うちのおばあちゃんなんか未だに言いますよ。差別ですよね」

 わたしは顎を突き出して言った。中指でも立てたい気分だった。

 「そう。女の人って生理周期があるやん。俺も彼女いるからわかるけど、生理中って気が昂ったり、情緒不安になったりするんやろ?『大勢の人が集まる場所には行かない方がいい』って昔の人の配慮やったんや。差別やなくて区別」

 その頃はまだあまり知られていなかったが、PMS(月経前緊張症候群)といって、女性が情緒不安定になりがちなのは月経中よりも月経前だ。でもそれも人によるし、そういう時どう行動するかは飽くまでその女性自身が決めることだとわたしは思う。

 「どっちにしたってぼくは上がらん方がいいと思うよ。君は褌一つの裸になって、男と男の一対一の真剣勝負の舞台に立てるのか?その覚悟のない人間に上がる資格はない」

 「竜平さんが個人的にどう思おうと自由ですけど、それと部長の話に何の関係があるんです?」

 すると竜平は、「ごめん、俺これからバイトやねん」と言って、そそくさとBOXから退散した。

 わたしは結局、みんなと同じように就職活動をすることはなかったから関係なかったし、もちろん職種にもよるだろうが、文化系のサークルでも「リーダーを務めた」と言えば有利になることがあるらしい。竜平はそれを知っていたのだろうか。

 竜平の彼女は同い年だが先に短大を卒業していて、竜平の就職を待ち、寿退社を狙っているということだから、女はみんなそうだ、大した仕事なんてしたくないんだと思っているのかもしれない。「寿退社」って、昭和かよ。

 わたしは竜平との間にこの議論をするまで、生理不順や不正出血なんて経験したこともなかった。

 だが、内診台に上がるのが嫌で、頑として婦人科を受診しなかった。

 「男だから」竜平に選ばれたことを知っているのか知らないのか、溝黒は部長に就任するといきなり、わたしに対して傲慢な言動を取るようになった。去年からそうだったけどもっとひどくなった。自分が新入生に奢りまくって大勢を勧誘したのに、わたしが一人も勧誘しなかったから、余計に威張り返り、露骨にわたしを見下し、はっきりと敵対するようになった。

 それだけならまだよかったけれど、自分が勧誘した新入生を中心としたサークルの仲間や、西文の級友にもわたしの悪口を言って回っているみたいだった。「十朱ミクは文学研究に向いていないから大学を辞めた方がいい」「辞めた方がいいけど、他にできることがあるのかな」「生きるのに向いていない」などと笑いながら言っているみたいだった。

 新歓コンパもわたしが知らない間に勝手に開催される運びになっていて、もちろんわたしは呼ばれなかった。大学のすぐ近くのいつものイタリアンレストランが会場と知って、当日、わたしはお店の人に花束を預けた。多少は皮肉や当てつけの気持ちもあったが、新入生を歓迎したい気持ちには変わりなかった。

 後で聞いたら、なんとわたしが付けたメッセージカードは事前に店員から花を預かった溝黒によって破って捨てられ、「この花はお店の人がくれた」と偽装されたそうだった。学生とはいえ信じる方もどうかしている。なぜお店がたかが学生のグループに何千円もするような豪華な薔薇の花束をサービスしてくれると思うの。

 でも、その時にはもう「本当はわたしが贈った」と弁明できない状況になっていた。

 「ミクがおかしい」と最初に気が付いたのは、やはり一番長い時間を一緒に過ごしている祖母だった。食事中にいきなり手を止めてぼーっと宙を見つめたり、母の鏡台の前に座ってだーっと涙を流し続けたりした。

 母が旧友に相談すると、その人がまた別の自称霊感のある人に相談したらしく、「ミクちゃんには悪い霊が憑いている」という託宣が下った。母の旧友が「わたしがお世話になっている和尚さんに聞いてみよう」と言ってくれて、わざわざ車を出して兵庫県まで連れて行ってくれた。

 「それはな、あんたが前世で、人を殺したり、盗みを働いたり、家に火ぃ付けたり、男やったら女を犯したりしたからや。そうか、あんたの先祖かもしれん。仏教ではこういうのを因果いうてな、自分に返ってくるようになっとるんや」

 中年の和尚の言葉を、わたしは身じろぎもせずに聞いていた。

 「ミクの先祖ってわたしの先祖でもありますけど。先祖が悪いことしたから子孫が報いを受けるなんて、変やないですか」

 同席していた母が、旧友に気を遣いながらも口を挟んだ。

 和尚は動じず、ずずっとお茶を飲む。

 「父方の先祖かもしれんし、話聞いてたらな、その子の被害妄想みたいに聞こえるで。溝黒くんいう子が悪口言うとるとか、根拠がないし、そんなもん気にせんかったらええやん。ミクちゃんいうたかな、あんたは自分一人だけで幸せになろうとしとるやろ。そのサークルの子らはみんなで幸せになろうとしとるんやから、そっちの方が正しい」

 わたしは卓に突っ伏して泣くばかりだった。休学届を投函した翌日、寒い、寒い二月の日。

 「十朱ミク、君のBOXへの立ち入りは禁じられている。先週のミーティングで君の除名審議をして、賛成多数で可決された。理由は、長期に亘って活動に参加せず、当サークル一回生の今田亜紀子を『生きるのに向いていない』と中傷したためだ」

 ある秋の日、数週間か数ヶ月ぶりにBOXに立ち寄ってみると、奥から溝黒が瓶底眼鏡の奥の嫌な目を据えてそう言った。

 わたしは呆然とした。今まで、長らく顔を見せないメンバーがいても除名決議なんかしたことはなかったし、建前としては、BOXは学内施設であるので、数字錠が開いていれば誰が入ってもいい場所だった。

 BOXには溝黒の他に数名がいて、みんな警戒心と猜疑心に満ちた目でわたしを見ていた。

 「・・・・ほんまなん?」

 わたしは一番近くにいた篠山に訊いた。溝黒の腰巾着みたいな西文の大人しい男で、わたしは陰で溝黒が彼を軽んじ、嘲っているのを何回か聞いた。

 篠山はわたしと目を合わさないようにしながら、でも何だかうっすらと笑っているようにも見える気味の悪い表情で、こっくりと頷いた。

 「待ちいさ、わたしがいつそんなん言うたん!?議事録見せて!」

 わたしは今までと同じつもりでBOXに立ち入り、BOXに入った人なら誰でも見てもいいし、何でも書いていい「らくがき帳」を掴んだ。ミーティングの議事録もそこに書いてあった。

 溝黒はにこりともせず、わたしの手かららくがき帳を乱暴に奪い取った。わたしはショックで震え、立ち尽くした。

 「ミクちゃんは知らないだろうけど、この間のミーティングで、これからメンバー以外はBOXへの立ち入り禁止、らくがき帳の閲覧禁止ってことに決めた。変更した鍵の番号もここに書いてあるからね。部外者は出て行ってもらおうか」

 「部外者」という所に力を入れて、溝黒はわたしに迫ってきた。わたしは動かず、溝黒を睨んだ。

 「部外者、は出て行ってもらおうか」

 ともう一度言って、溝黒はわたしの腕を掴んで、BOXの外に引っ張り出そうとした。

 「触るな!」

 とわたしは怒鳴って、溝黒の手を振り払った。

 溝黒は振り払われた手を大袈裟に示してみせ、「見ろ!俺の言った通りだろ!この女は頭がおかしいんだ!」とみんなに向かって叫んだ。彼らの目がわたしに対する冷たい敵意に燃えた。

 「まるでコスモスのようだ、青い空に舞うモンシロチョウのようだ」

 と溝黒が褒め称えていた今田亜紀子はその頃、既に溝黒とつきあっていて、その後数年間、学生ながら同棲していたようだ。わたしがそれを知るのはずっとずっと後だったが。

 わたしは溝黒のような容貌の持ち主が誰かとキスやセックスをすることを考えるだけでぞっとした。

 次の年の正月、親戚一同が集まった時、お喋りな母がわたしの学校の事情と、中退前提での休学を考えていることを全部話してしまった。女系一族は皆「そんなつまらないことで大学に行かなくなるなんて」「ただ悪口言われたくらいで」「何をいつまでも言っているのか」「折角一浪してまでそんないい大学に入ったのに。真雪ちゃんに申し訳ないでしょ」と憤慨した。

 「特に女の子は、ちゃんと四年で卒業せんと就職で不利になる。まして文学部中退なんて、箸にも棒にもかからんようになるよ。どの学部でも、中退なんて、堪え性のない、何でもすぐやめてしまう人やと思われるし、面接で『なんで中退したんですか』って訊かれるし、サークルの人間関係でトラブって精神の病気になったなんてほんまのこと言えへんよ。うちの会社やったら、まず新卒しか採らんし、中途でもそんなややこしそうな人は絶対雇わへん」

 と千歳も冷静に言った。娘のいくみも既に三歳で、将来のキャリアに繋がる教育について真剣に考えるようになっていた。

 「ミクちゃん、学校の一体何が楽しくないんやな。ミクちゃんまだ二十一やろ?ビキニ着てビーチにおったら男が寄ってくんのに」

 菜摘伯母の次女の須美が責めるような口調で言った。菜摘の夫、須美の父は病弱で、須美も姉の恵美も結局、経済的な理由で大学に行けなかった。

 菜摘はその時は何も言わなかったが、後で須美と二人、「ミクちゃんは甘えている」「わたし、ミクちゃんと代わりたい。自動車工場の仕事がきつい。ミクちゃんは楽しいコンパもある学校に行っているだけでいいのに」と言いあっていたという。

 親戚たちがみんな帰ってから、わたしは畳の部屋に座りこんだ。従姉の須美が小中学校の頃、よく夏休みや冬休みにこの畳の間で遊んだものだった。恵美や祖父や千歳が加わることもあった。

 子供の時に須美と遊んだ畳の間で、わたしは膝を抱え、声を殺して泣いた。背中が痛かった。

 「十朱さん、どういうことなんですか、休学するって。ぼくも他の先生も学生も、あんなに真面目だった十朱さんが急に授業に出てこなくなったからどうしたのかなと思ってたんですよ」

 二月に八谷先生が自宅に電話をかけてくれた。

 「いや、実はね、十朱さんの様子がどうも一回生の時と違うなってぼくは気づいていたんです。でも、そこまで深刻に悩んでいるとは思わなかった。そんなに悩んでいたんだったら一言相談してくれればよかったのに。残念です」

 小中高と大学は違うのだから、学生どうしの、それもサークルのトラブルで教授に相談するという発想はなかった。わたしは八谷先生のやさしさに涙が零れそうになった。

 「戻ってくるんでしょう?」

 と先生は少し明るく尋ねた。

 「わかりません。先生の中国語・中国文学の授業、好きでした。お世話になりました」

 わたしは意識が朦朧としながら答えた。一九九九年の年末か二〇〇〇年の年始の頃から、生まれて初めて精神科に通うようになった。ものすごく強い薬を処方されてしじゅうぼんやりしていた。体重は三十キロ台になり、生理は完全に止まってしまった。本も読めなくなったし文章も書けなくなった。朝起きられなくなり、試験も受けられなかったから単位もあらかた落としてしまった。

 「ぼくは単位を出しておきます。戻ってくるって思っていますから。一緒に卒論を書き上げましょう。くれぐれもお大事にして下さい」

 先生はそう言って電話を切った。

 八谷先生との約束は果たせなかった。二〇〇一年、わたしは崙山大学を中退した。

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