Ep. 31 : 第17章 崩れる現実、迫る選択 Collapse of the Real
〇異常気象の午後、屋上にて
灼熱の陽射し。六月のはずなのに、新東京第3都市の気温はすでに摂氏43度に達していた。
空 は不自然なほど澄んでいるのに、地上では歩行者が熱中症で相次いで倒れているという。
新・第3東京都市の医療特区にある東都大学附属病院。その屋上の非常口そばに、蒼と楓、そして祐の三人が立っていた。
「……この空、何か変だよな」
祐がタブレットを操作しながら呟く。画面には気象衛星の最新データ。上空には成層圏にまで及ぶ異常な熱気の層が観測されていた。
「“高気圧”じゃないの。“固定された熱帯偏西風ブロック”。ジェット気流が歪んでるのよ」
楓が即座に補足する。その顔には、科学者としての焦燥が滲んでいた。
「まるで地球が“自己防衛”のスイッチを入れたみたいだな……」
蒼がポツリと呟いたその瞬間、彼らの背後で、突然風が止んだ。
振り返ると、灰色の煙が病院の立体駐車場の上空で立ち上がっていた。遠くで爆発音。熱波の影響で配電設備が発火したらしい。
「もう、限界が近いのかもしれない……この“現実”が」
楓の声は震えていた。
「見て。城址公園の森、枯れ始めてるわ。都心部の生態系、もう限界よ」
楓がタブレットに表示された植生変化マップを指差す。
「“クマゼミが北海道に定着した時点で、終わってた”って……昔、誰かが言ってたな」
祐が半ば冗談のように笑ったが、その目は笑っていなかった。
蒼は黙ってスクリーンを見つめていた。
その画面には、CO₂排出量の推移と、彼らにとっては大昔、かつての2015年パリ協定の条文が重ねられていた。
「世界平均気温上昇を産業革命前と比べて2度未満に抑え、1.5度未満を目指す」
それは、人類が最後に結んだ“気候との約束”だった。
「けど……2050年。世界平均気温は+2.8℃。海面上昇32cm。熱波は1000万人規模の死者を出してる」
楓の声は乾いていた。
「“約束”を守れなかったんじゃない。最初から、守る気がなかったんだろ。利権と石油と、内政の事情に負けただけだ」
蒼の声は低い。
「その結果が……今のこれか」
人が住める地域は半減。
オーストラリアと中東、アフリカの一部はすでに“人類非居住指定地域”。
アマゾンは焼け、インド北部は水不足と50℃超の熱波で経済破綻。
動植物の絶滅は連鎖的に進み、毎日30種の“存在”が地球から消えていた。
そして、現実世界に絶望した国家は、ひとつの選択肢に目を向け始めていた。
〇もうひとつの“楽園”へ――VR移住計画
東都大学病院。
その地下第三階層に設けられた、医師ですら立ち入る機会が限られる区域――
通称「LZ(Life Zone)」。
警備ロックと生体認証を通過したその先にあるのが――正式名称「生命維持カプセル棟」。
蒼たち三人――青木蒼、香坂楓、楠祐は、Project Cana外科統合チームの一員として、
医療倫理上のモニタリングおよびVR-意識同期対象者の状態確認を目的とした定期巡回業務の一環で、この区画を訪れていた。
本来は神経内科・臨床工学士の管轄区域だが、蒼たちは「現実と仮想の連携医学」を掲げるチームとして、意識回復例やVR手術後患者のリスクスクリーニングを含め、医師主導の現場評価を制度化していた。
照明は淡く、冷気が肌を打つ。
蒼は薄手の白衣の襟を少し立てながら、巨大な無窓空間を見渡した。
数百基の透明ポッドが整然と並び、それぞれにナンバーと微弱な生体モニターが光る。
心拍、脳波、体温、そして神経同調指数(NSI)。
人間の“生”を数値で測るシステムが、ここでは標準となっていた。
「……まるで、意識だけを“クラウド”にアップロードしてるみたいだな」
祐が漏らすように呟く。
「でも、クラウドじゃないわ。“雲”じゃなくて、“霧”よ。
管理された霧の中に、人間の意識を閉じ込めてるだけ」
楓が即座に言い返す。声は静かで、どこか怒気を含んでいた。
冷気を含んだ静寂が、床下から漂っていた。
耳を澄ませば、空調音さえ聞こえない。まるで音が吸収されているかのような不気味な静けさだった。
長さ300メートルにも及ぶ無窓の空間。
天井から吊られた微光パネルが、薄青く光っている。
その光の下に、整然と並んだ無数のカプセル。
ひとつひとつにナンバーが振られ、微弱な生体データが、透明なモニターに浮かんでいた。
まるで、眠る“都市住民”たちによる、もうひとつのメトロポリス。
そこに“時間”という概念は存在しなかった。