Ep. 29 : 第15章《帰還した医師》Surgeon who has just come back
〇手術室にて――「再び、メスを」
手術台の上には、ステージIIIの食道癌による高度の通過障害を抱えた高齢男性。
既に放射線と術前化学療法(mFOLFOX6+免疫チェックポイント阻害薬)を完遂しており、腫瘍は縮小傾向にあるが壁外浸潤を残す。
外科的切除――それも腹腔鏡下ロボット支援による亜全摘+結腸間置再建。
2050年代の現在では、火の鳥Vers.XII改のような高感度フィードバックを備えたロボットアームを用いても、頸部食道吻合+迷走神経温存+リンパ郭清の同時遂行は、依然として高度なテクニックを要する。
術中ナビゲーションはAI補助付きの拡張現実(AR)オーバーレイ、主要血管のトラッキングはインフラレッド・オプティカル投影型でリアルタイム表示。
だが、操作するのは人間の「意思」である――
その執刀医の名は、青木蒼。
頸髄損傷によって「再起不能」と診断された、かつての外科の鬼才。
神経再建+再生医療に、VR内での“千回の手術訓練”を経て――今、現場に戻ってきた。
セカンドの楓が声をかける。
「蒼、緊張してる? 大丈夫。今のあなたなら、誰よりも丁寧に、誰よりも深く“切れる”はずよ」
蒼:「ああ……けど懐かしいな」
「この手術灯の匂い、患者の鼓動、モニターの波形。どれも……俺の一部だった。まるで夢から戻ってきた気分だ」
彼の声は、穏やかで、芯がある。
蒼の指が、火の鳥改のコントロール・リンクに触れる。
その動きは、かつてVR内で何千例ものシミュレーションを繰り返し、実験的術野錯覚下で神経学的な“再学習”を遂げた手の動きだった。
スクリーンに映る術野――縮小した中縦隔、左側胸管走行と反回神経をかすめるように、正確な剥離。
腹腔側では、血流温存を確認しながら、横行結腸の血管アーケードを温存しての再建腸管の選定と動員。
楠祐が、小声で呟く。
「すげぇ……これはもう、“帰ってきた”ってレベルじゃない……」
「これは再生でも、奇跡でもない。医療と技術と、そして――お前たち“仲間”が、俺を連れ戻してくれたんだよ」
吻合部を締結し、リークチェック。血流評価はICG蛍光にて即時判定。
すべてが、完璧だった。
この日、蒼は「頸髄損傷から外科医として完全復帰した世界初の症例」として、記録されることになる。
Scene 2|カンファレンスルーム――Project Cana、次の段階へ
新東京第3都市・東都大学病院 総合外科学研究棟。
蒼は白衣をまとい、プレゼンテーションスクリーンの前に立っていた。
珍しくケーシーではなく、ロングコート型の白衣。下は濃紺のネクタイに細身のスラックス――“かつての医局長”のような出で立ち。
スクリーンには、次世代計画のロゴが浮かんでいた。
蒼:「私たちはいま、意識・記憶・行動計画の“トランスヒューマン連携”という
神経科学の臨界領域にいます」
「しかし、この研究が問うのは、科学技術 の力によって人間の精神 ・肉体を増強し、けが、病気、老化などの人間にとって不必要で望ましくない状態を克服しようとする
技術が本質的な部分でっすが、私が強調しておきたいのはむしろ倫理です。
魂とは何か。自我の再構成とは、それが許されるのか。神の領域に踏み込むテーマかと思っています。」
ひとりの若手研究医が、手を挙げた。
「青木先生、自我のコピーは“本人”と呼べるのでしょうか?」
蒼は静かに、そして明確に答える。
「……呼べない。“コピーされた心”は、自己ではあっても、自分ではない。
だから私たちは、“移植”ではなく、“還元”を目指す」
「すなわち――魂を含めた《意識の回収と再統合》。
これは“記録された思考”ではなく、“一度失われた生”をもう一度“生き直す”ための技術です」
「私たちが扱うのは記憶ではない。“記憶の意味”です。
だからこそ、これは医療であり、祈りでもある」
一瞬の静寂。
そして、拍手が広がった。
後方には、香坂楓、楠祐、ラファエル、そして複数の“解放された覚醒者”たちの姿。
いずれも、意識と技術の狭間で苦しみ、そして戻ってきた者たちだった。
蒼は目を細め、こう締めくくった。
「これは、“再生”ではなく――《医療》だ」