Ep.18 : 第6章(後半)再起動(リブート)Reboot
《ユグドラシル》。
その一角にひっそりと存在する、Medical Center District――医療者だけが知る“仮想訓練セクター”だ。
そこには、蒼がかつて毎日のように出入りしていた手術室が、異様なまでの再現度で存在していた。
床のタイルの質感、機材配置、天井の無影灯の色温度。
すべてが、「記憶の中のあの場所」そのままだった。
中央には、一台の手術支援ロボットが据えられていた。
「DaVinci-Sim:Ωリンク」――仮想と現実を接続するための特別モデル。
実際のDa Vinci Xi Surgical Systemをベースに、術者の運動学習パターンを“脳—機械—仮想環境”の三重リンクで統合する、次世代オペレーター育成システムである。
蒼はゆっくりとコンソールに腰を下ろすと、慣れた手つきでアームに指を添えた。
指先の操作圧、視覚認識、関節角度――そのすべてが、リアルタイムでログ化され、現実世界の神経再生訓練プログラムと同期されている。
仮想空間内の手術練習が、運動野-脊髄-筋連携の回路を再構築するための“再学習データ”として脳神経に反映される。
蒼が今ここで再び“外科医としての手”を取り戻すことができれば、それは現実の彼の再生された神経回路にも、確実に“使い方”として上書きされる。
しかし、今彼が操作している「DaVinci-Sim:Ωリンク」は、あくまで“当時の最新版”――Xiまたはその派生型を模したものだ。
彼が現実世界で操作することになるロボットは、全く異なる。
《火の鳥 Ver.XII改》。
それは、Da Vinciの流れをくみつつも、まったく別の概念で設計された手術支援システムだった。
最大12本の独立稼働アームを搭載(従来のDa Vinciは4本)
各アームは7軸以上の自由度を持ち、人間の指関節や肘関節の複雑な動作を再現可能。
感覚フィードバック機能が神経系直結モードに対応し、触覚・張力・抵抗などの情報を“直接”脳へ伝えるインターフェースを持つ。
コントロール系は従来の3Dコンソールに加え、脳波ベースの操作補助系(BCI)も統合。
現場では「サージカル・エクソスケルトン」とも称される、“着るロボット手術台”。
香坂は蒼に語った。
「あなたが今使ってるΩリンクは、確かに古い。でも、それで正解なのよ。
Da Vinci Xiの全操作は、火の鳥Ver.XII改の基本動作にすべて包含されてる。
だからこそ、ここでの操作経験は、そのまま現実の《火の鳥》への引き継ぎになる」
祐がモニター越しに付け加える。
「要するに、“より難しい機体”でトレーニングしておけば、“簡単な最新機体”は自然に扱えるってことだ。
今お前がやってるのは、VR内手術というより、“再生された身体を使う練習”そのものなんだよ」
蒼は無言で頷き、試しに、とばかりにトロッカーに器具を挿入し始めた。
仮想患者の腸間膜を吊り上げ、腫瘍辺縁にアプローチする。
──滑らかな動き。だが、わずかに震える。
「……脳は覚えてる。でも、“今の自分の神経”じゃまだ足りない」
香坂がすかさずログを確認する。
「でも大丈夫。軸索導通の記録はしっかりとれてる。仮想操作の運動学的データを、現実の脊髄移植細胞群に送るインターフェースがつながってる。
いま、この瞬間にもあなたの再生神経は“使い方”を学び始めてるの」
蒼は深く息をつき、もう一度アームを握り直した。
「本当に……懐かしいな」
「これから始める手術は仮想でありながら、現実のための訓練。
目的はただ一つ。再生された神経回路に、さまざまなオペの手順を叩き込むこと」
祐の声が室内に響いた。
香坂も隣にいた。
彼女は蒼のリアル脳波と神経活動を、バックエンドでリアルタイムにモニタリングしていた。
「まあ、蒼なら余裕でできるのはわかってるんだけど。とにかくリハビリよ。簡単なところから、繰り返しね。やりまくりましょう。まずは標準の胆嚢摘出術(ラパ胆)からね。あなたなら目をつぶっていても以前なら10分ほどでできたはずよ。それから次は小腸の吻合なんかもやってみましょう。
最終的には、腫瘍切除や中枢神経系の再建術までやってもらう予定でいるわ。
ロボットの操作だけでなく、判断、タイミング、圧力、視線誘導まで含めて、神経パターンとして蓄積することがここでのミッションよ」
蒼は深く頷いた。
「Roger。……じゃあ、やりまくろうじゃあないか(笑)」
ほんの少しだけ未来への希望を見出せたからか、まじめな蒼にしては、珍しくおどけた様子で答えるのであった。
…第1ステージ:視覚-触覚連動制御
操作アームを握ると、仮想空間でダヴィンチのマニピュレータが動く。
まだ、以前のようにスムーズとはいかない。
蒼は感覚の“にぶさ”に戸惑いながら、繊細な操作を思い出そうとする。
「ピックアップ……ここ。リトラクターを右方向。
縦切開は5ミリで止めて……クリップ、留める。よし」
すべてがわずかに遅延する。
だが、それが脳と神経の“再学習”に必要な遅れだと、蒼は知っていた。
…第2ステージ:反復精度訓練
「いい動きだ、蒼。収束してきた。前運動野と補足運動野のシナプス活性、増えてる」
祐の声がヘッドセットに入る。
「このまま連続して30例、ラパ胆モデル。
そのあと、腸閉塞と肝切除、最後脊髄を含む中枢神経系のシナリオを実装する」
蒼はうなずき、集中を深める。
まるで手術室の空気が肌に感じられるようだった。
仮想なのに――否、仮想だからこそ、蒼の心と身体は再び“医師”として動き出していた。
…第3ステージ:記憶再構成
「蒼」
香坂の声が割り込む。
「あなた、昔こう言ったわよね。
“手術ってのは、芸術じゃない。手術とは祈りであり、祈りを支える知識だ”って」
蒼は微かに笑った。
「そんなわけのわからん禅問答や哲学的みたいなこといったかなあ?......いや、言ったかもな。……けど、いまは思うよ。
祈るだけじゃなくて、手で救うために、俺は戻りたいんだって」
香坂が静かにうなずいた。
「じゃあ、その手で。最初に自分自身、現実のあなたを救ってちょうだい!!!」
そして、3時間後。
蒼の手は滑らかに動き、
かつてと変わらぬ手際で仮想の腹腔から胆嚢を摘出していた。
祐が息をのむ。
「……今の操作ログ、完全に現役の執刀医だ。
脳波も正常。むしろ、事故前より集中力が上がってる」
香坂が呟いた。
「このままいけば……自身の手術はもちろん、iPS移植後、再接続された神経とリンクできる」
蒼はマスク越しに言った。
「――ありがとう。この手で、もう一度……自分、そして現実の誰かを救える日が来るなら、俺はそれまで、ここで“戦い”続ける」
訓練室のライトが落ち、
その影の中で、蒼のシルエットが静かに立っていた。
それは、再び立ち上がろうとする医師の、そしてTeamの復活の予兆だった。