EP.17 : 第6章(前半)蘇生の可能性 Possibility of survival
仮想世界の深夜。
古い機関庫を改装した作戦室に、蒼と祐、そして香坂が集まっていた。
(なんだこの設定は。大昔のスパイ映画のお約束か? この列車。やはりこれは俺の記憶の断片から作られているのだろうか....(苦笑)
壁には複雑な神経網を模したホログラムマップ。
その中心に、「CNS Regeneration」というラベルが点滅していた。
「……これ、本気で言ってるのか?」
蒼はホログラムを凝視したまま言った。
祐は頷いた。
「再生医療研究ユニット《アクエリアス・プロトコル》が、本格的に動き始めた。」
祐の言葉に、蒼の眉がわずかに動いた。
「神経幹細胞のiPS誘導。頸髄前角運動ニューロンの再構築。そしてC3〜C5レベルでの軸索再導通ルートの構築まで。
全部、お前のデータをベースに設計されてる。術中の視覚-運動連動パターン、EEGベースの覚醒反応、事故前後の脊髄伝導速度まで含めてな」
蒼はわずかに息を吸った。
「……俺の、データ?」
「お前が残してた術野の4K立体記録、術中のバイタルモニタリングログ、リハ中の筋電図、心拍変動、さらには事故直後のSEP(体性感覚誘発電位)とMEP(運動誘発電位)。全部俺が掘り起こした。
倫理審査は──お前の承諾が遅れるリスクを考えて、事後承認制に回してある。でなきゃ、間に合わねえ」
香坂が会話に割って入る。
「でも、今なら“技術的には”実現可能よ。
大学の後輩、矢原君がDana-Farberで神経誘導鞘のナノ構造を論文にしたのが6年前かしら。Natureに出たときは興奮したわ。
人工神経鞘をガイドに、iPS由来の運動ニューロンを脊髄前角に定着させる。グリア瘢痕の進展は、移植同時に導入するオリゴデンドロサイト様細胞がある程度抑制できる見込み。Cellにも追試が載ってた。
きもは、ドナー細胞の生着率じゃなくて“誘導後の軸索誘導”の成功率。そこが、臨床応用の突破口になってるわ」
蒼は目を見開いたまま、言葉を探した。
「でも……脊髄の機能再建なんて、臨床どころか、非ヒト霊長類でも明確な運動再獲得の症例は──」
祐が頷く。
「ああ、俺らもそれは重々承知だよ。脊髄損傷の再建は、心筋や膵島の再生と違って、機能の再獲得が“構造再建の先”にある。
しかもそのためには、脳側の可塑性と神経再学習が必須になる。
でもな、それを“補完”できる環境が、いまお前がいるその世界──《ユグドラシル》だ」
香坂が続ける。
「脳の運動野、補足運動野、視床運動ルートが仮想環境下で可塑的に活動してることは、VR-BCI(brain computer interface)研究で何度も証明されてきた。
おそらく、今あなたがこの中で経験している“動作”や“戦闘”、あるいは“手術”といった運動ルーチンは、脳内における再構成の基盤になる。
それを記録し、リアル側の新生神経回路に接続すれば、“仮想でできたことが現実でも再現される”可能性が出てくるの」
蒼は静かに口を開いた。
「つまり……ここでの訓練が、リアルの俺の“神経再学習”になる……?」
「そういうことだ」祐がうなずいた。「手術のモーション、触覚刺激、筋負荷感覚、すべてをログ化してある。
お前がここで覚えた“動作”は、VR-BCI(brain computer interface)プロトコルでリアル側に送り返される。
そこでニューロンが再接続された際に、“動かし方”が既に脳にインプットされてる状態をつくるんだ。リハビリで一から始めるより、はるかに有利なスタートラインになる」
香坂は軽く笑って肩をすくめた。
「そして最終的に……あなた自身が、現実での手術でその再建を仕上げる。脊髄のニューロン移植、グリア細胞導入、軸索誘導まで。あなたが“自分の脊髄”を、“自分の手”で再建するのよ。
そのために、当社で開発を進めていた《火の鳥 Ver.XII改》の同期ユニットを、あなた専用にカスタマイズする予定。
ダビンチの進化型で、ニューロンの単軸操作レベルまでサポートできる。
正直、あなた以外にこれを使える人材はいないわ」
蒼は自分の手を見つめた。
ここでは完璧に動くこの手。
手術も、戦闘も、射撃も可能な――完璧な“幻想の手”。
だが、現実には、もう何年も動かない手だった。
「Oct4、Sox2、Klf4、c-Myc……誘導因子は今も変わってないよな。発がん性リスクも、初期は相当言われた」
「確かに。でも、臨床応用された自家iPS移植症例は膨大だわ。でもがん化は皆無。むしろ今は、人工染色体を用いた非ウイルスベクター導入が主流になってきている。
初期のサイトカインストームやT細胞活性化についても、ベバシズマブ系の生物製剤でだいたい抑制できる。
最大の問題は、あなたが言うように“脳が再構成された身体を使えるか”どうかよ。
だからこそ、あなたの脳を、今ここで訓練する意味があるの」
祐は、微笑んだ。
「つまり、“できるかどうか”じゃない。
“やるかどうか”だ。
そしてお前は、ここで戦い続けながら、
“もう一度、自分をつくる”。
俺たちはそのために、全力でリアルをつないでおく。任せとけ」
蒼は、深く頷いた。
その手に、かすかに力が入る錯覚を覚えながら。沈黙。
蒼は、拳を握りしめた。
「それが……本当に、可能なら――」
祐が真っ直ぐ蒼を見た。
「“自分の身体で、もう一度オペをしたい”と思うか?」
蒼はゆっくりと、深く頷いた。
「……ああ。他人の身体じゃない、
“自分の手”で
――俺は、また救いたい。自分を。神ではなく自分の手で!」
香坂が微笑んだ。
「じゃあ、プランを立てましょう。
あなたの再起動、現実と仮想の両方で」
その夜、蒼の中に小さな確信が芽生えていた。
希望とは、現実を知らぬ無知ではなく、絶望の中でなお“できること”を信じる勇気なのだと。