Ep. 10 : 第3章(last part)孤独からの奪還 Return from Loneliness
廃墟の風が哭いていた。
コンクリートの骸が積み重なり、鋼鉄の影が風に軋む。蒼はその中を、バイクで駆けていた。重低音を響かせるエンジン、タイヤが掴むアスファルトのかけら、そのすべてが虚構にも関わらず、やけに“現実”だった。
そのとき――ノイズ混じりの通信が、突然耳を劈く。
「蒼!右に曲がれ!」
聞き慣れた声だった。柔らかく、それでいて脊髄に突き刺さるような鋭さ。過去の記憶の奥底から這い出るように、名前が浮かぶ。
「……祐か!? 本当に、お前なのか!」
だが答えはなかった。代わりに、現実味を帯びた衝撃が蒼の眼前を貫いた。
――ワインレッドの閃光。
路地の影から、ひときわ低く構えたクラシックカーが、獣のように滑り出してきたのだ。
今どきの自動運転EVなんぞに見られない、工芸品のような造形美。ぺったんこなボディ、煌めくボンネットライン。
「……ロータス・ヨーロッパ……だ、と!?」
助手席のドアが内側から乱暴に蹴り開けられた。その隙間から現れたのは、サングラスをかけた細身の男。
病院では最も熱く、そして最もナンパを絵にかいたような男――祐が、涼しい顔で手招きしていた。
「乗れよ、蒼。なんでって、こいつはお前の“愛車”だろ? だったら、俺がここにくるのに用意しないわけないだろが? なあ……俺の演出.........効いてるか?」
「――愛してるぜ」と、祐は冗談めかしてウィンクする。
蒼は小さく笑った。だが次の瞬間、四方から“奴ら”の気配が迫ってくる。
堕天使と、黒塗りの強化装甲型使徒――死神の軍勢。
ブレーキを欠ける代わりに蒼はアクセルを目一杯に開きそのまま使徒を跳ね飛ばすと、バイクは最後の雄叫びを上げながら、車体ごとロータスの空いた助手席付近に体当たり。蒼はそのまま流れるようにドアからナビシートへと滑り込んだ。
Weberキャブレターが空気を吸い込み、ANSAのマフラーが爆音を吐く。
野獣の咆哮のような排気音が夜を裂き、車体は一瞬で次元を裂くように加速した。
「運転、任せた。俺は後ろを抑える」
蒼の声は低く沈んでいた。
「おう、でも丁寧にな。こいつ、現実じゃもうパーツ出てねぇんだろ。傷つけたら泣くだろ?」
「わかってるさ。だけど――こいつとなら、やれる」
祐がハンドルを切るたびに、ロータスの車体が舞った。
その揺れのなかで、蒼はリアウィンドウ越しに構える。
愛銃――コルト・ガバメント コンバットカスタム 改。
研ぎ澄まされた黒鉄の塊。蒼の魂がこもった、唯一無二の相棒。
狙うのは堕天使の膝関節。
1発、2発……閃光とともに弾丸が闇を裂き、機体の脚がバチンと弾け堕天使は大きくバランスを崩し高度を落とす。
だが、代償としてリアウィンドウには、まるで十字のような弾痕が二つ、誇らしげに刻まれた。
「命中……? したか……!」
蒼の声に答えるように、背後で爆風が巻き上がる。火柱が夜を焼き、闇に咲く赤い華のように空を照らした。
「逃げ切った……か?」
「まだ甘ぇよ。香坂、座標くれ!」
冷静な女の声が、通信に割って入る。
「このセクターからすぐ離脱して。北北東、座標β-009、そこにゲートがある。“ユグドラシル”領域に入れば、日常空間に擬似転移できる。そこで回復とリビルドを」
「了解、楓。――蒼、少し休めるぜ」
ロータスは滑るようにトンネル状のゲートへ突入した。
その瞬間、視界がぐにゃりと歪み、世界がきしんだ。
白い閃光が辺りを包み、光の向こうから、新たな“現実”がその輪郭を現す。
そして――次の戦場に行く前のしばしの休息をとる蒼たちであった。