Ep.1: Prologue 誕生と祈り His birth and prayer
※注意:本作は作者のオリジナルですが、AIを駆使しながら生成、修正しながら作成しています。悪しからずご了承くださいませ。
青木蒼(Soh)は、脳神経精神科学の世界的権威を両親にもつ男児として生まれた。父・青木智彦は神経可塑性と意識工学の世界的研究者、母・青木友梨佳は神経接合再構築の先駆的医師であった。誕生直後より、精神、言語に非凡な発達を示すわが子に「意識の未来」を拓くものとして期待を抱きつつ、多忙な研究の傍ら家族3人で幸せな日常を暮らしていた。そう、あの時までは.......
蒼の非凡な才能に気づいた両親は、わが子をも研究の対象としていた。胎児期からの脳の刺激応答パターンに関する研究として、“意識刺激デバイス”を用いた詳細な記録を乳児期より行っていた。
蒼の脳は、その異常なまでのシナプス接続密度と可塑性反応を持つ特異かつ貴重な症例としてNEJMに一例報告されていた。
その“記録”が、のちに「VR脳」「Noös Gate」と呼ばれる特異な神経領域を持つ証となった。
だが、彼らのその”希望”への探求は、わずか三年で断ち切られることになった。
――2019年7月。南海トラフ震災。
両親が東京・品川で国際神経精神科学会に出席していたまさにその日、日本列島を未曽有の災害が襲ったのだ。
震源は紀伊半島沖。M9.1。複合断層型。
津波と液状化、都市インフラの崩壊により、太平洋ベルト地帯、特に東京湾岸は完全に沈黙した。そして多くの命が失われた。
蒼はそのとき、祖父・柊俊太郎の家で、静かな田舎の時間を過ごしていた。
母方の祖父は、内科医院を営むいわゆる町医者だった。築50年を超える昭和を感じさせる西洋風木造平屋。蒼の曾祖父 敏夫より受け継いだ瀟洒な診療所。軒下の風鈴、外来の待合に流れるAMラヂオ。
蒼は、そこで“命を診る”という行為の原風景に、既に触れていた。2歳位であったろうか?
ある日、祖父の診療所に、足の悪い高齢女性がやってきた。
猛暑のなか息を切らし、酸素ボンベのはいったカートを利き手で引きながらながらやってきた。その人を、祖父は診察に迎え入れると、椅子を引いて手を取って座らせた。
「うちに来るの、大変だったよね。いつも歩いてきてんだね? 本当に偉いね」
酸素セーバーのアラームがピーピーとなっている。
小さな診察室の隅で、飽和度をみながら、バルブ、接続部を確認した後、酸素ボンベの流量を再度調整し、いつもより柔らかく声かけをしながら、おばあさんに向き直り、やさしく胸に聴診器を当てた。
待合からのラヂオから流れるはやりの曲にまじって、咳の音が蒼にも聞こえた。
診察を終えたあと、祖父はその患者にゆっくりと向き直り、帰り際おもむろにこう言った。
「お薬だけじゃ、体も心も十分直せないからね。ここまで歩いて来ることが一番大事な治療だよ」
蒼は、祖父が聴診器をポケットに戻す所作をなにげなく見つめていた。
その仕草には、威厳も誇示もなかった。ただ謙虚に、そして確かに「誰かを守ろうとするもの」の背中だと本能で感じていた。
その晩、蒼が問うた。
「じいじは、なんでお医者さんになったの?」
俊太郎は、晩酌の湯呑みを置き、しばし黙ったあとにこう言った。
「誰かの“苦しさ”を、少しでもわかってあげることができるなら、それだけでもお医者さんになった意味があるね。
お医者さんはね、すべての人を“全部”治すことはできないんだ。神様ではないからね。
でも、たとえ治せなくても、“一緒にいてあげること”はできるよね。それが、お医者さんの務めなんだよ。ちょっとむずかしかったかな?」
多分俊太郎は患者に”気持ちで寄り添う”ということを孫の蒼に伝えようとしたのであろう。
その言葉は、幼いながら利発な蒼の心の奥に、まるで祈りのように沈み込んだ。
一方祖母の知恵――アーマ(柊知恵)は
「東京の空気は子どもに悪い」と言って、研究で多忙な両親に代わり、学会のための仕事が一段落つくまで、夏の一時保育のつもりで蒼を預かっていたのだ。
蒼にとっては、祖父母の家の縁側、診療所の消毒の匂い、日曜の教会学校のピアノの音が幼少期のすべてであった。
両親の帰りを待ち続けたその夏、大人たちは誰も「死」という言葉を使わなかった。ただ、皆、目を伏せたまま「東京は、もう無理だ」と言った。
そして蒼は、それ以来、アーマ(Grand momの蒼が使う幼児語)と、祖父俊太郎の家で育てられた。
アーマは敬虔なプロテスタントのキリスト者だった。
朝は祈りで始まり、夜も祈りで終わった。
食卓には聖書が、いつもなにげに開かれていた。
蒼は居間で、適当な文庫本を聖書のつもりで自分のお膝に開き、拙いが一生懸命覚えた幼児讃美歌の一節を口ずさむ。目をつむり、うつむいた額の前に小さな両手を組んだ。最後に”イエス様アーメン” と無邪気に祈る真似をし、アーマを心底喜ばせた。
「信じる子にはできないことはないのよ。必ず神様が手を差し伸べて下さるから」
アーマはよくそう言った。小さな蒼の手をにぎり、静かに一緒に祈ってくれた。
蒼にとって、「神」は父や母の記憶よりも先に、祈りの言葉の中に存在していた。
しかし同時に、「神」は、父と母を奪った”憎い”存在でもあった。
――なぜ、こんなに祈っても帰ってこないの?
――なぜ、自分だけが生き残ったの?
そんな問いが、静かに暗闇に沈むように蒼の心の奥へ沈殿していった。
教会の鐘の音さえも、彼の成長とともに、それはやがて“音”ではなく、聞き入れられない祈りに対する蒼自身の”心の叫び”の様に頭の中で響くようになっていった。
..........そして、蒼は、同年代のだれよりも賢かった。
幼稚園の頃には読み書きを完全にマスターし、そのはなしぶりは、常にロジカルであり大人を驚かせた。自然科学系の図鑑などを熱心に飽きもせず毎日眺めていた。
そして、小学校に上がる頃には、既に高校生向けの参考書を読み込んでいた。
だが、周囲にその才能を決してひけらかすことはなかった。
祖母アーマが教えてくれたのだ。“強さとは謙虚であること”を。そして彼は子供ながらによく理解をしそれを真面目に守る愚直さがあった。
日曜にはアーマと必ず教会へ行った。そこは、同年代のお友達と遊べる唯一の場所とも言えた。そこで蒼は、十字架の意味とともに「罪」と「赦し」という概念を自然と身に着けていった。
誰も責めず、ただ“見えざる手”にすべてを委ねる姿勢を。
それが、のちの蒼の根幹――VR世界での「祈らない祈り」、そして“魂の医学”への原点となっていく。
2025年。
新日本政府は「遷都」を正式に決定。首都機能は内陸部へと移され、富山・岐阜・石川を中核とする複合行政区域「新・第三東京都市」が誕生した。
かつて静かだった山と海、田園と古い町並みは、先進医療と行政都市として再編され、
蒼の育った地が、未来の医療と科学の“光”として、すっかり震災により形を変えてしまった日本地図上に新たに刻まれることとなった。
蒼は、祈りの中に育ち、医師としての矜持を間近で見て育った。
彼の中には「神に選ばれた脳」があり、そして「命を支える手」に早くも憧れに近い、芽生えがあった。
いつか自分も、じいちゃんのように......
誰かの“苦痛”に耳を傾ける医師になるのだと。
そしていつか、アーマのように......
誰かの“沈黙”に、祈りを捧げられる者になりたいと――
まだ、彼がVRの世界に足を踏み入れるはるか以前。
そこに、少年蒼の原点があった。
蒼はこの震災後の新しいまちで育ち、神に選ばれし“VR脳”の宿主として、未来の鍵を握る者となっていく。
祈りのなかに生まれ、決してこたえられることのなかった神への問いのなかで育った少年は、やがて、“再生”という名の奇跡を手にするため――再び、十字架と向き合うことになるのであった。