彷徨う休日
ここが私の居場所でない事だけは分かる。
やや白んだ、しかし雲一つない青空。日差しは柔らかで、青臭い若葉の匂いを含んだ風が優しく肌を撫でる。休日の公園は、芝生で読書をする人やシャボン玉を飛ばす子ども、飲み物片手に談笑するカップルなどでごった返していた。
こういう場所に来たかった訳じゃない。裏道にある寡黙なお爺さんがやっているカフェとか、誰もいない小さな公園のベンチとか。今日みたいな日に、そういう所で本を読んだらさぞ愉しいだろうと思って家を出たのだった。
此処じゃない。他を探そう。
あてもなく、適当な方向に向かって歩き始める。
公園の端の木陰にひっそりと碑文が佇んでいるのが、ふと目についた。そこには、戦時中、空襲の犠牲者がこの公園の一角に埋葬されたとあった。
白骨の上に青々と芝が茂り、人々が休日を謳歌しているという著しいコントラスト!私の脳裏には、その断面図が、頭蓋骨の上で人々が談笑している構図がありありと幻視された。
喧騒は、その下に死者が眠っているという事実によって、幾分特別の感じを与えられた。memento moriという言葉が浮かぶのは頭蓋骨を想起したからだろう。目の前の一連の事態がより価値のある、美しい、とても儚いものに感じられた。
この場所とそこで生起している事柄にはそういう意味での深い詩情がある。客体としてのこの場には美があると思う。だから、より一層、此処は私の居場所じゃない。死の上には溌剌とした生命がなくてはならない。その著しいコントラストが美を構成するのだ。
だが、私にはその役割は重すぎる。私が此処に混入することで、真夏の太陽が創り出す影のように明晰だったこの場の輪郭がぼやけてしまう。それは混入であり汚濁に他ならない。汚い手で触れて貶めたいとは思わない。
此処じゃない。
もっと人の少ない方へ。
例えば、今日みたいな日に動物園でじっと動物を眺めていたらどんなに愉しいだろう。そう思い立って、電車に乗った。
通勤ラッシュじゃない電車に乗るのは久しぶりだ。
座席に座り、程よい温かさの日差しを受けながらページを捲る。レールの継ぎ目が引き起こす規則正しい音と揺れが心地いい。
満員でさえなければ、電車ほど読書に適した場所はないだろう。
けれども、電車は居場所にはなり得ない。目的地に着いたら退散せねばならないのだから。
動物園は、随分な人であった。普段見ない動物を見に来たのに、結局、見飽きた2本足の動物を見る羽目になった。これなら、即座に電車で帰った方がよかった。望んだものは大抵、意図せず手に入ったものに劣るのだ。
さて、件の動物は、見る人が見れば面白いのだそうだが、私にはその面白さが分からない。面白さどころか、全般的に分からない。中途半端に自分と似ているから、理解可能であるような期待を持たせる分、タチが悪い。
檻の外の動物の合間から檻の中の動物をやっとの思いで覗き込む。
その事は、やはり、想像していたような悦楽を与えなかった。
回転寿司のレールに載った寿司のように順路を流されていく。動物の方が、回転寿司でいうお客のポジションにあるわけで、かえって堂々としているくらいだ。
こういうのが欲しかったのではない。
回転寿司のネタになりに来たわけじゃない。
結局、此処も私の居場所じゃない。
私は、空想に逃避する事にした。それは、鳥か何かが進化して、「猿の惑星」みたいに地球を支配し、反対に支配権を失ったヒトが動物園に展示されている未来だ。
この非常に暴力的で虚弱な霊長類は、「人間」の適切な維持管理の下に檻の中で幸せに暮らしている。彼らが数万年間達成し得なかった恒久平和がそのとき初めて実現するのだ。
知恵の実の呪いから解き放たれたヒトは新たな主の創った楽園で幸せに暮らす。食事も生殖も死も主の御心のままに。この楽園では、動物園の動物の常として、真に生きているだけで価値があり、また、いかなる行為にも価値がある。
こういう想像は愉快であった。人間を人間性から防衛するという試みは、究極的には檻によってのみ達成されるはずだ。人間性と総称される理性が行き着くところは、狂気であり殺人なのだから。ナチスドイツやマンハッタン計画を見よ。「正義」ほど危険なものはなく、正義から囚人を守るのは檻に他ならない。そして、その檻は正義ではなく、例えば、動物園の檻として設置されなくてはならない。動物園の檻だけが、人間を守れるに違いないのだ。
猿山ではニホンザルが高い声をあげて殴り合ったり、突き落としたり、走り回ったりを繰り返していた。その傍らでは親ザルが子猿を丁寧に毛繕いしている。
動作しているサルは大して面白いものではない。
むしろ、こちらを見ているサルだ。我々が動物園の檻の中に入ったとき、我々はどういう気持ちで「人間」を見つめるのだろう。神を見るような目なのか、悪魔を見るような目なのか、あるいは、動物園の動物を見るような目なのか。
早くも日が傾き始めた。暗くなる前に家に帰ろう。