一話
私立猫狐学園三年一組の教室、昼休みの現在、多くの生徒が雑談に興じる中、巽谷千里は一人机に突っ伏して仮眠をとっていた。
「千里。そろそろ食べ始めないと授業に間に合わないぞ」
「わかってる」
友人の駱駝井瑛太に返答する声はどこか力ない。瞼も今にも落ちそうだった。
「お前、また遅くまでバイトやってたのか。何時?」
「二時過ぎ、ぐらいかな?」
「いや、遅すぎるだろ! 高校生がやる時間じゃないって」
大きな声が寝不足の頭に響いた。ボリュームを下げるようお願いする。
「お前、絶対もっと休んだほうがいいって。やっぱ、学費のためか? どれくらい必要?」
眉を下げた瑛太に尋ねられる。
「そう。あと、百万くらい」
「オレが立て替えよっか?」
上から目線ともとれる言葉に苛立つも、悪気がないので怒るに怒れない。
「ありがとう。でも、良い。瑛太のご両親に悪いよ」
「せっかく特待生だし、うちの親も千里のことは信用してるから。何度も言うけど、返してさえくれればいつでも貸すよ」
サラッと言う瑛太に、千里は苦笑する。入学したばかりの頃はこの金銭に対する価値観の相違に一々戸惑っていたが、今はもう慣れたものだ。
(やっぱ、神獣なんだよな)
苗字からわかるが、瑛太は駱駝の神獣である。黄みがかった薄い茶髪に焦げ茶色の瞳、どこかのんびりとした雰囲気をまとうイケメン。それが瑛太だ。
彼の親はウォーターサーバーを売る会社を経営しており、利益は上々。休みの度に海外旅行を満喫している富豪だ。
「とりあえず一旦この話はやめよう。辛気くさくなる」
「あ、悪い」
瑛太は頭をかく。
千里は、瑛太が正真正銘善意で今の提案をしたことを理解している。頼れる親族のない千里を彼なりに気づかった結果なのだ。
「そうそう。じゃあ、狐姫様の話は知ってるか」
「さすがにそれは知ってる。先代当主が亡くなって、狐姫様が当主になったって話だよね」
先代当主とは狐姫様、彼女の父親のことだ。千里はニュースなどには疎いが、自分と同じ高校に通う同学年の生徒が干支一族の当主になるということが印象深く、覚えていた。なんせ、干支一族の代替わりは下手をすれば国を左右する。注目しない者はいない。
「違う。今は婿選びが話題になってんの」
心なしか瑛太の声が小さくなった。
千里は首を傾げ、数秒後、納得したように何度か頷いた。
「ああ、婿選び。当主って結婚してないとなれないんだっけ」
「厳密にはちょっと違うけど。まあ、大体合ってる。それで、狐姫様には婚約者も恋人もいないだろ。だから、誰と結婚するかって話題で持ち切り。噂してる奴も結構いる」
千里としては特に興味がそそられない話題だったが、感想を口にする。
「逆玉狙いで近づく男多そうで大変だね」
「あー。結構いるらしいよ、そういう男」
「それにしてもよくその男たちは結婚しようって思えるね。多分、碌に関わったことがないのに」
何気なくそう呟くと、瑛太は信じられないものを見たと言いたげに目を見開いた。顎があんぐりと開かれ、間抜けな顔になる。
「お前。まさか本気で言ってんのか?」
「そうだけど」
思いもよらない反応に困惑する。一般論を言ったつもりだった。
「いや、ちょっと待て。千里は毎年始業式をサボってたんだっけ」
思案顔で瑛太は独り言を洩らす。
(別にただ単にサボってたわけじゃないんだけど)
始業式の日を毎年バイトに充てていた千里としては反論したくなったが、考え込んでいる瑛太に声をかけらず押し黙るほかなかった。
「ということは千里はまだ狐姫様を見たことがないのか」
「うん。そうだよ」
ようやく結論が出たらしい瑛太が振り返った。その勢いに若干引き気味になりながらも言下で肯定する。瑛太は千里の返答を受け、真顔になった。
「いいか。千里、よく聞け。明後日全校集会がある」
「知ってるけど」
「くれぐれも気をつけろよ。狐姫様の美貌ははっきり言ってヤバい。傾国の美少女だ。とにかくマジでヤバい」
「瑛太の語彙力の方が心配なんだけど大丈夫?」
揶揄すると、瑛太はため息をつく。
「オレは忠告したからな。間違っても脅して結婚しようとか思うなよ」
「いくら美少女でもそんなことしないよ」
「そりゃ、告白されても片っ端からフってるお前が恋愛に興味がないことは知ってるけど」
瑛太は千里に一瞥をくれ、憐れむように手を合わせる。
「お前が信じられないのも無理ないよ。オレも最初に聞いたとき冗談だと思ったから。でも、ホントだから。千里が美少女に耐性があることを祈る」
「ありがとう」
瑛太はあまりに真剣な顔つきをしている。本当にそれはそれは美しい少女なのだろう。
(どうせ、暇だし。そんなに美しい顔なら拝ませてもらおう)
千里は少し全校集会が楽しみになった。
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