8 サッカー部に入ったからサッカーのことを考えていたら眠たくなったので歯を磨いた
サッカー部に入ったからサッカーのことを考えていたら眠たくなったので歯を磨いた。洗面所で歯ブラシに歯磨き粉をつけて歯を磨いていたら母さんが洗面所に入ってきて、鏡に映った僕を見た。僕は鏡に映った母さんを見た。母さんは僕の体操服を持っていた。
「伸時、明日はマラソン大会があるの?」
「そういえば、明日はマラソン大会がある」
「ゼッケンは安全ピンで留めたらいいの?もしも縫わないといけないのなら、お母さんが縫ってあげるけど」
僕は歯を磨くのをやめた。歯を磨くのをやめて、考えた。
「わからない」
「だったら、縫っちゃうわね」
「待って」
僕はうがいをした。うがいをしたら水と歯磨き粉の泡が混ざって流れた。
「もしもみんなが安全ピンで留めているだけだったら、僕だけが縫いつけていたら、本気で走りそうに見られるから、嫌だ」
「だったら、安全ピンでいいの?」
「でも、みんなが縫いつけてくるかもしれない。どうしたらいいか、わからない」
「だったら、智花ちゃんに聞いてきなさい」
「わかった」
僕は智花の家に行った。智花の家は結構寝るのが早いから、電気が消えていた。一階に智花の父さんがいて、部屋を暗くしてひとりで2001年宇宙の旅を見ていた。
「伸時くん伸時くん、おじさんと一緒に2001年宇宙の旅を見ようよ」
「見ない」
二階に上がった。二階の廊下は真っ暗だったから、壁に手をついてちょっとずつ歩いた。僕は智花の部屋に入った。智花の部屋も真っ暗だった。僕は電気をつけた。
智花はベッドにいた。顔を上に向けて、泣いていた。
「伸時……」
「泣いてる」
「泣いてないわ」
智花は布団から手を出して、目をこすった。僕は椅子を持ってきて、智花の枕元に座った。
「智花が泣いてるときは、やさしい言葉をかける」
「やめて、かなしくなるから」
智花がまた目をこすった。僕は布団の上から智花の肩をぽむぽむ叩いた。
「エリカが死んだの?」
「不吉なことを、言わないで」
「じゃあ、誰が死んだの?」
「誰も、死なないわ」
「じゃあ、どうして、泣いてるの?」
「わたし、とてもつらい目にあったの」
「嘘だ」
「どうして」
「枕の横に、めぐすりがある」
「ばれた」
智花は寝たままで、めぐすりを指でつまんだ。
「このめぐすりは、刺激が強すぎて、わたしの目には合わないの」
「どうして、合わないめぐすりを使う」
「もったいないもの」
「目が、疲れたの?」
智花はうなずいた。
「目を、酷使したの」
「マッサージがいる?」
「伸時にも、めぐすりをさすわ」
智花は布団から出た。僕は椅子から降りて、絨毯に正座した。正座して顔を上に向けた。智花が僕の前髪を手でよけた。
「大きな目を開けて」
「開けてる」
「伸時は開けてるつもりかもしれないけれど、本当は怖がっているから、あんまり開いてないの」
「でも、これ以上は開かない」
「さすわ」
智花は僕のまつげをまぶたに押さえて、上の方に引き上げて、めぐすりを落とした。僕のまぶたがぴくぴく動いた。
「うう」
「どう?」
「刺激が強すぎる」
「もう片方の目も開けて」
「うう」
智花は僕のまつげをまぶたに押さえて、上の方に引き上げて、めぐすりを落とした。僕の首がぶるぶる震えた。
「目がしょわしょわする」
「わたしも、目がしょわしょわしてるわ」
「涙で何も見えない」
「わたしは、だんだん見えるようになってきたわ」
「うう」
「もう帰る?」
「いま帰ると、母さんに智花に泣かされたと思われるから、まだいる」
「そう」