13 智花と二人で親猫がどこにいるかを考えた
智花と二人で親猫がどこにいるかを考えた。僕は真剣に考えていたけど、智花はあんまり真剣に考えていなかった。仔猫の鼻を草でくすぐってあそんでいた。
「かわいい仔猫、絵を描く親猫は、どこにいるの?」
「ゼップトーキョーにいるにゃー」
「だから伸時、猫のふりをしないで」
「だったら、智花も、真剣に考えて」
智花は真剣に考えていそうな顔をしたが、別に真剣に考えているわけではなかった。
「とりあえず今日は、もう遅いから、伸時の家に仔猫を泊めて、親猫をさがすのは、明日にしたら」
僕は首を振った。
「そんなこと言って、智花は、本当は、僕の家で一晩中仔猫とあそびたいだけ」
「ばれた」
「付き合いが、長いから」
智花はコートのポケットから携帯電話を出した。
「じゃあ、仕方がないから、今日のエリカの散歩は、お父さんに行ってもらうことにするわ」
智花が智花の父さんに電話をした。智花が智花の父さんに電話をしているあいだ、僕は仔猫にチーズを食べさせた。
「もしもし、智花だけど、今日はお昼から伸時と仔猫をさがして、いまみつけて、いまから仔猫の親猫をさがすから、帰るのが遅くなります。だから、エリカの散歩に行ってあげてください。ちゃんと公園の前まで行ってあげてください。ビニール袋も持っていってください。親不孝な娘で、ごめんなさい。育ててくれて、ありがとう。さようなら、お父さん」
智花は電話を切って振り向いた。
「留守電だった」
僕は智花に仔猫を渡した。智花は仔猫をコートの中に入れた。
「仔猫カイロ、いとぬくし」
「いとぬくし」
「いとぬくし」
「どうやって、親猫をさがす」
「交番に行って、尋ねれば、運が良ければ、親切に教えてくれる」
「そうしよう」
「そうしよう」
僕と智花と仔猫は砂単中学前交番に行った。智花が、交番にいた親切そうな警官に、仔猫と紙を見せて、この紙を書いたのは誰か知っているか、と尋ねた。
親切そうな警官は机のひきだしから、智花が見せたのと同じ紙を出した。
「これを持ってきたのは、大橋さんだから、大橋さんとこに、連れてってあげるといいよ」
「大橋さん」
僕は智花を見た。智花は僕に耳打ちをした。
「大橋さんちは、猫がいっぱいいるから、親猫が描いた絵を、大橋さんがかわりに交番に持ってきたの」
「なるほど」
僕と智花は、親切そうな警官にお礼を言って、交番を出た。
大橋さんちは、横に長い古い家で、僕の家からわりと近い。そういえば、猫を飼っていた気がする。
智花は僕の少し後ろをとぼとぼと歩いていた。
「わたし、大橋さんちには、行きたくない」
「どうして」
「わたし、小さいときに、大橋さんに茶道を習っていたの」
「茶道教室」
「大橋茶道教室。でも、茶道は、わたしにはまだ早い気がして、二ヶ月でやめちゃったの。それ以来、大橋さんには、会ってないから」
「いつのはなし」
「二年生のとき」
「小学校の」
「そう」
「もう忘れてる。いまの智花は、小学二年生には見えないから、きっとばれない」
「そうね」
大橋さんの家の門の前でインターホンを押した。智花が、お宅の仔猫を預かっている、返してほしければここを開けろ、と言った。
大橋さんと太ったしましま猫が玄関から出てきて、門を開けた。僕と智花は緊張した。
「猫は?」
僕は智花のコートのボタンを外した。仔猫があらわれて、大橋さんを見て鳴いた。
大橋さんが仔猫を抱き上げた。
「おかえり、ちびちゃん」
「ちび」
「普通の名前」
大橋さんは、ちびを太ったしましま猫に渡した。太ったしましま猫は、ちびの顔をぺろりと舐めた。
「この猫が、ちびのお母さんですか」
「そうなの、ころちゃんよ」
「ころちゃん……」
智花がつばを飲み込んだ。
「ちびちゃんをみつけてくれて、ありがとうね。本当に、ありがとうね。お礼がしたいから、上がって、上がって」
僕は智花を見た。
「どうする」
「お言葉に、甘える」
大橋さんの家の部屋は、全部和室だったので、僕と智花は、座布団の上に正座した。大橋さんは、黒蜜ときなこのかかったくず餅と、緑茶を持ってきた。僕と智花は、くず餅を食べながら、緑茶を飲んだ。
「おいしい?」
「おいしいです」
「おいしいです」
僕と智花と大橋さんの周りを猫たちがわらわらと囲んでいた。ちびと、ころも、僕と智花と大橋さんの近くにいた。
「ちびちゃんはまだ小さいのに、一週間も帰らないから、もう帰ってこないんじゃないかと思っていたのよ」
「そうですか」
僕は緑茶を飲んだ。智花は、絵のことを切り出したくて、うずうずしていた。
「ちびちゃんの絵を描いたのは、誰ですか」
「私」
「え……」
智花がびっくりした。僕は、そんなことだろうと思っていたので、びっくりしなかった。
「大橋さんが、描いたんですか……」
智花の声が少し震えていた。
「上手じゃないから、恥ずかしいわ」
「ころちゃんじゃ、ないんですか……」
智花ががっかりした。僕は智花の肩を二回叩いて、元気をつけた。
「それにしても、智花ちゃん、大きくなったわね」
「え……」
智花がまたびっくりした。僕も少し、びっくりした。
「わたしのこと、覚えているんですか」
「もちろん、忘れたことはないわ。あの頃から、かわいくて賢い女の子だったけど、とってもきれいな、優しい娘さんになったわね」
智花は、照れながら、困っていた。
「あのときは、すぐにやめちゃって、ごめんなさい」
智花は大橋さんに頭を下げた。
「いいのよ、いいのよ」
「わたし、茶道は、楽しかったです」
大橋さんは急須を取ってきて、僕と智花の湯飲みに緑茶を足した。
「あなたは、伸時くん」
「どうして、知っている」
「智花ちゃん、教室をやめるとき、なんて言ったか、覚えてる?」
「覚えてるけど、覚えていないことにします」
「伸時くんとあそぶ時間が減るから、茶道教室なんかやめる、って、言ったの」
「言わないで……」
「智花は、そんなことを、言ったの」
「言ってない」
智花は僕の首にクロスチョップをした。
大橋さんは、智花が僕にクロスチョップをするところが見られてうれしかったみたいで、部屋を出ていった。ちびと、ころと、他の猫たちが、大橋さんのあとをついていった。大橋さんは、白い封筒を二つ、持ってきた。
「これ、少しだけど、ちびちゃんをみつけてくれたお礼ね」
大橋さんは、僕と智花の前に白い封筒を差し出した。僕は、自分で少しと言うということは、実は二万円くらい入っているのだなと確信した。僕が白い封筒を受け取ろうとすると、智花が、こら、と言って、黒い楊枝で僕の手を刺した。僕は、うぎゃあ、と言いそうになったけど、他人の家なので我慢した。
「お礼は、いりませんけど、似顔絵を描いてください」
大橋さんが首をかしげた。
「似顔絵?」
「智花、大橋さんは、猫じゃない」
「伸時、やっぱり、おじさんに似てきた」
僕は、僕が喋るといらいらするという意味だと思ったので、喋るのをやめた。
「わたし、この絵を描いた誰かに似顔絵を描いてもらいたかったから、ちびちゃんをさがしたの。だから、大橋さんが、似顔絵を描いてください」
大橋さんは、智花と、僕を、順番に見た。
「そんなことで、いいの?」
「はい」
「はい」
「待ってて」
大橋さんはまた部屋を出て行った。またちびと、ころと、他の猫たちが、大橋さんのあとをついていった。智花は、髪型が乱れていないかを気にしていた。大橋さんは、色紙とえんぴつと色えんぴつを持って戻ってきた。色紙は二枚あったから、僕も似顔絵を描いてもらえるようだった。
「人の絵は、あんまり描いたことがないから、緊張するわ」
大橋さんは一時間かけて、僕と智花の似顔絵を描いてくれた。僕と智花はそれをもらって、お礼を言って、大橋さんの家から出た。智花は最後に、ちびを抱いて、においを嗅いでいた。智花がちびのにおいを嗅いでいるあいだ、僕は智花の似顔絵も持っていた。玄関まで見送りに来てくれた大橋さんが、また遊びに来てね、と言った。
智花がきちんと立って、大橋さんを見た。
「大橋さんは、まだ茶道を教えてますか」
「教えているわ」
智花は迷っているみたいだったが、僕にも、大橋さんにも、智花の考えていることがわかった。
「大橋先生……、茶道がしたいです……」
「いつでも、いらっしゃいね」
「はい、今日は、帰ります」
「気をつけてね」
帰り道、智花は僕の斜め後ろをぼんやりしながら歩いていた。僕は歩くスピードを落として、智花が隣に来るようにしたが、智花も歩くスピードを落としてしまった。僕が止まったら、智花も止まって、僕を見た。
「大橋さん、いい人」
「そうね、すごく、いい人」
「智花は、茶道をやる」
「わたしは、茶道をやる」
「どれくらい、やる」
「ときどき、やる」
僕が歩き出したら、智花も歩き出した。
「大橋さんに描いてもらった似顔絵を見せて」
僕は歩きながら智花に似顔絵を渡した。
智花は歩きながら僕の似顔絵をじっと見た。
「暗いから、よく見えないけど、似ている」
「明るいところで見ると、もっと似ている」
「大橋さん、絵が上手」
「画伯」
「でも、やっぱりちがう」
「僕も、そう思っていた」
智花は僕に似顔絵を返して、僕に自分の似顔絵を見せた。僕は智花の似顔絵をよく見た。
「智花のも、ちがう」
「うん」
「似顔絵の智花は、笑ってる」
「似顔絵の伸時も、笑ってる」
「実際の表情とは、異なります」
「実際の表情とは、異なります」
最終回っぽい話が書けたので、これで終わりにします。
また続きを書くような気もします。
ありがとうございました。