1 公園の木の下でカラスが死んだ
公園の木の下でカラスが死んだ。
騒々しいカラスが好きではないから、毎日、死んだカラスを見ている。
冬の寒さはやがて訪れる腐敗からカラスを遠ざける。黒い羽衣を保つカラスは日毎少しずつ枯れ葉に埋まる。ひどく冷えたクリスマスの翌朝、この街にも雪が積もった。その日も僕は、死んだカラスを目撃した。綿雪をまとった死んだカラスは痛々しいほどみすぼらしくて、目を向けているのが辛かった。頭上の物音に顔を向けると、そこにもカラス。生きたカラスが何十羽と、枝に爪を立てていた。僕は長靴の底で幹を蹴った。一羽くらい落ちてきても良さそうなものなのに、カラスは残らず汚れた空へと飛び立った。飛べないのは死んだカラスと、僕くらいだ。僕はマフラーの片側を強く引いて、十秒間呼吸を断絶した。死ぬ気はないから、死を思わない。
身体が冷たくなっていたので、四十五度のシャワーを浴びた。濡れた髪をバスタオルで拭きながら家を出て、隣の家のキッチンへ。智花がパンを食べていた。智花はパンを飲み込んだ。僕は智花の前に座った。
「お風呂に、入っていたの?」
「雪が積もってる」
「知ってるわ」
智花は指に付いたパンくずを払い落として、マグカップを手に取った。デフォルメされた像のイラストが描かれている、黄色いマグカップ。僕の家には同じものの赤色がある。智花は湯気を立てるカップにそっと口をつけた。
僕は飴色の食器棚からファーストキッチンのロゴが入ったカップを出して、コーヒーメーカーからコーヒーを注いだ。智花の前に戻り、コーヒーを飲んだ。粛々とパンを噛む智花の頭の向こうにはライムグリーンの電波時計。八時二十一分と八時二十二分の間。僕はコーヒーを飲みながら、智花の顔を見る。しばらく会っていなかった気がする。いつ以来だろう。中庭にいるのを見かけたのが終業式の前の日だったから、五日ぶり。あのときは『智花がいる』と認めただけだ。では、言葉を交わしたのは、いつ以来だろう。記憶をたどるが、何も見えない。十日ほど前に僕の家に夕食を食べに来たような気もするが。食べに来たと思う。どうして来たのか、何を食べたか、それはもう、誰も知らない。
朝食を食べ終えると、智花は食器とカップを台所へ運んで、手早く洗い物を済ませた。タオルでよく手を拭いて、部屋を出ていった。
僕はコーヒーを最後まで飲んだ。最後まで飲むともう少し飲みたくなったから、コーヒーをもう一杯飲んだ。それからカップを洗って干して、口をゆすいでから、手を洗った。バスタオルでよく口と手を拭いて、二階へ上がった。
智花は服を着替えていた。山吹色のセーターを着ていた。椅子に座って、何もしていなかった。僕は窓際に立ってカーテンを開けた。屋根に積もった雪が光ってまぶしかった。智花に、雪を見るか、と訊いた。智花は返事をしなかった。僕はひとりで雪を見ていた。雪を見ながら、智花のことを考えた。
「寝るから」
智花が椅子から立ち上がった。セーターを脱いで白いタンクトップ一枚になり、上からボーダー柄の長袖Tシャツを重ねた。
「眠たいの?」
「眠たいの」
智花はベッドにもぐり込んだ。
僕は椅子に座った。
「死んだカラスを、見てきたの?」
僕はうなずいた。智花は僕に背中を向けていたけど、それでわかると思ったから。
「雪を、かぶってた?」
僕はうなずいた。
「きれいだった?」
僕は首を振った。
「そう」
智花は寝返りを打った。目は閉じられていた。