無職透明
無職は社会的に透明な存在だと聞いたことはあったけれど、まさか本当に透明になるとは思ってもいなかった。
「仕事を辞めたばかりの今はその程度で済んでいますが、早く仕事を探さないと取り返しのつかないことになりますよ」
ハローワークで担当となった職員が俺にそう警告する。俺は彼の言葉に頷きながら、自分の左手を確認した。俺の左手の人差し指、そこに見えるはずの指がそこにはなかった。指を曲げたり、感覚みたいなものはある。ただ、机とかペンとかを人差し指で触ろうとしても通り抜けてしまい、触ることができない。漫画や映画に出てくる、透明人間という言葉が思い浮かぶ。
「人間は社会的な生き物だってよく聞きますよね? だから人間は社会的ではなくなると、その存在自体が透明になってしまうんです。このまま仕事もせず、誰とも関わらずにぶらぶらしていたら、全身が透明になってしまいますよ?」
「これを治すためにはどうすればいいんですか?」
「簡単です。社会的な存在になる、つまりは社会的な活動をすればいいんです。別に立派なことや難しいことをする必要はないんです。社会人として働いて税金を納めたり、人と交流したり、ボランティアをしたり、それだけでいいんです」
職員の言葉を聞き、俺は腕を組んで悩んでしまう。確かにこのまま透明になってしまうのは嫌だったけれど、働いたり、人と関わったりすることはそれ以上に嫌だった。薬とか、もっと別の方法はありませんかね? とダメ元で聞いてみる。職員は呆れた表情で、そんなこと言っていられる状況ではないですよと諭してくる。
「人と関わるのが苦手な人向けの仕事だって世の中にはあります。いくつか紹介しますので、一刻も早く社会に復帰してください。全身が透明になってしまったら取り返しがつきませんよ!」
職員から求人情報をまとめた資料を受け取り、俺はそのままハローワークを後にした。家に帰り、俺はベッドで寝転がりながら、もらった求人情報を確認してみる。パラパ と内容を見てみたが、心動かされるものは一つもなかった。
さて、どうしようか。俺はそう思いながら、もう一度自分の左手を観察する。仕事を辞めてからというものの、親も他界し、友達も一人もいなかった俺は、誰とも関わらない非社会的な日常を過ごしていた。少ない貯金を切り崩しながら節約生活を送り、買い物以外では全く外に出ることはない。買い物。その言葉で、俺はハローワーク職員との会話を思い出す。買い物をして経済を回すのも社会的な活動といえないのかと聞いた時、職員は残念そうに首を横に振った。
「残念ながら違います。飯島さんは買い物したり、家賃を払う時、相手に自分が飯島さんであるということを認識してもらっていますか? そうでないのであれば、それは単なる経済的な活動であり、社会的な活動とはいえません。大事なのは、誰かと『飯島直人』さんとして関わることなんです。たとえば、コンビニではお客様としか呼ばれないですが、職場の同僚や友達からはちゃんと名前で呼ばれますよね? そういう違いなんです」
職員の言っていることはなんとなく理解できたが、そうだとしても人と関わることの面倒臭さの方が勝ってしまう。せっかく無職になって何もしない時間ができたのだから、もう少しだけゆっくりしてもバチは当たらないはずだ。俺はそう思いながらもらった求人情報を投げ出し、昼寝をすることに決めた。
それからも俺はなんとなく仕事を探す気にはなれなくて、時間だけが無為に過ぎていった。透明になる症状は治らず、左手の人差し指から小指、手 甲の一部と悪化していったが、あまり焦りはしなかった。むしろ透明人間になったらやりたい放題だなと気楽に考え、楽しむ余裕さえあった。
ただ、ふと鏡の前に立ち、自分の裸を確認した時だった。自分の右脇腹の一部、それも拳ひとつ分くらいが透明になっているのを見た時、俺は少しだけやばいかもしれないと焦りを感じた。透明人間になってしまったら誰からも認識されな なってしまうのだから、そこから社会復帰するのはかなり難しくなる。俺はため息をつき、重たい腰を上げることにした。
俺は部屋に戻り、投げ捨てられた まの求人情報を拾い上げる。しかし、どれも応募期限が過ぎてしまっていた。もう一度ハローワークで仕事を紹介してもらおうかと思ったが、前と同じ担当が付いたら嫌だなと思い、行く気がしなかった。
そこでふと、透明化を治す はボランティア活動でもいいと言われていたことを思い出す。そちらの方がハードルは低いかもしれないと思ってネットを検索してみると、近場でやっているボランテ アがたくさん見つかった。
どれかに応募してみようと思い、そのうちいくつか ついて参加方法を確認してみる。しかし、どれもこれも参加のためには、ボランティア運営へメールを送るか、電話をかけて連絡を取らなければならなかった。俺はそれをみて、思わず手が止まる。匿名のままウェブで簡単に参加申し込みができたり、事前の申し込みなしで参加できるものがないかを探してみた。しかし、その参加の仕方だと、透明化を治すのに意味がない かもしれないと考え、結局ボランティア活動への参加も諦めてしま た。
パソコンを閉じながら、俺は匿名のままなんでもできる社会のありがたさを思い知った。SNSも買い物もすべて匿名でできるし 『飯島直人』という人物が相手に知ら る必要はない。手続きのために身分証明が必要な場合もあるが、それは事務的に必要なだけであり、『飯島直人』である必要 どこにもない。
家族も友達も仕事もない俺は今、社会的に匿名な存在になってしまって る。ここに存在しているのは『飯島直人』ではない ここに存在しているのは、名前のない、集合の中の匿名人物。
俺はそ で初めて、社会的に存在しないと う事実の恐ろしさに気がついた。そして、このまま俺は透明な存在のま いなくなってしまうのではないかと う不安が襲ってくる。そして、ふいに自分の左手を見て、思わず声を上げた 昨日までは一割ほどしか透明になっていなか た左手が、今では手首から上が全て透明になってしまってい からだ。
このま ではいけない。俺は慌てて、電話を取り、誰でもい から連絡を取ろうとした。しかし、携帯を取ろうとした右手は携帯をすり抜け、上手くつかむことができない。俺の手はすでに両手とも透明になっていた。つまり、俺は 電話をかけたり、物を掴んだ することができない。ちょっと考えればわか たはずの出来事に、俺は戦慄する。そして、職員が言っていた『取り返しのつかないことになる』という言葉を今にな て思い出すのだっ 。
俺は家の外へと飛び出 た。走 ている間に急速に透明化 進んでいく がわかる。身体の透明化に伴って服や靴は脱げ落 ていく。初め すれ違う人が不思議そ にこちら 見て たが、こち を見る人の割合は減 てい 、しまい は誰も俺に気が かなく っていた。
俺 ハローワーク 飛び込 。扉を開 こと もちろ できな ので、扉を通り抜け 施設の 入って く 俺は周囲 見渡し、前に 担当をしてく た職員 探した。 慌て 彼 へと駆け寄って、助けを 叫ぶ。 かし、彼は 気がつ ない。 俺 叫んで ると、 表 を こっち 振り向 た。
「あれ、なにか聞こえた気がするけど、気のせいだったかな……?」
独り言 呟き、 俺 すり抜ける して 去 いった。 絶望 周囲 。誰も 見 ない 俺 存在 気が てい い 透明 俺 に 、消 し た。
俺 叫 だ 人は誰も 俺 、 声 。
「誰 助
。