34話 豚骨ラーメン専門店
道中。
「あぢー、動いたばかりで服着ると凄く暑いよー」
多くの店が立ち並ぶ商店街の中を美咲はよろめくように歩く。
「夏になったばかりだから、まだまだ暑くなるよ」
「うへー。これ態と暑くしてるんだよね? そんなことしなくてもいいのにぃ」
「夏には夏の良さがあるから。ほら、明日は学校のプール開きだし」
「プール! プール楽しみにしてるんだ。学校のプールって体育館の地下にあるんでしょ?」
文句を言っていた美咲は一転して燥ぐ。
その天真爛漫な反応に、優奈も笑みがこぼれる。
しかし、続けて美咲が疑問を口にする。
「海は作らないのかな? あたし、海行ったことないから、作ってほしいな」
「海……」
癒されていた優奈は美咲の言葉を聞き、神妙な表情になって口を噤んだ。
そこで真琴が代わりに突っ込む。
「流石に無理だろ。忘れがちだけど、ここ地下だぞ」
「深く掘って水入れれば海にならない?」
「それ池とか湖になるんじゃね?」
「じゃあ海って何? 池や湖とどう違うの?」
「海ってのは魚とか……いや、魚は池にもいるか。違い……違いって何だろ?」
答えようとした真琴だが、途中で自分も違いを分かっていないことに気付き、疑問を浮かべた。
美咲も真琴も違いが分からなくて、二人して首を傾げる。
そんな二人を余所に、優奈は一人考え込んでいた。
町の開発計画に、海を作る予定は今のところない。
だが、美咲の言葉を聞いたことで、優奈は海の必要性について考え始めた。
池や湖との違いはさておき、海に近いものを作ることは可能であった。
ただ、規模が規模なだけに、非常に大掛かりな工事をしなければならない。
その為、開発計画から除外していたのだ。
膨大なリソースを割いて作っても、そこで出来ることはプールや人工的な川と大して変わらず、労力に見合うだけのメリットはない。
しかし海というのは、ただの一施設と同じにすることはできない。
空や山に並ぶ、地球を成す大きな要素の一つである。
女の子達はシェルター内で一生を暮らさなければならない為、作らなければもう海に行くことはできない。
何れ、海という存在は記憶や資料だけのものになってしまうだろう。
(結構大変そうだけど、作った方がいいかも。家に帰ったら開発計画の見直ししよっと)
優奈は海を作る事を前向きに検討することにした。
そんなことをしている間に、首を捻っていた真琴と美咲は考えることを諦める。
「分かんねーや。今度、先生にでも聞こうぜ」
「だね。そういえば最近、新しいお店作ってないみたいだけど、もう作らないのかな?」
美咲の疑問に、優奈が答える。
「作るはずだよ。今は裏側をメインでやってるから目には見えないけど、まだまだ町の開発は続くって先生が言ってた。そうだね……近いうちにちょっと大きいのができるかも?」
「おおー」
現在、細部の補強をメインで行っているが、新しい施設の開発もスローペースながら並行してやっていた。
海を作る予定も新しく入り、町の開発はまだまだ終わらない。
喋りながら歩いていると、目的地のラーメン屋に到着した。
二重扉を通過して、中に入った直後、強烈な匂いが三人の鼻を突く。
その匂いに、真琴はすぐさま鼻を摘まむ。
「臭っ。何だこの匂い」
「豚骨ラーメンの匂いだよ。変な匂いだよねー」
この店に案内してきた美咲は、躊躇することなく座席へと向かう。
ここはただのラーメン屋ではなく、豚骨ラーメン専門店だった。
店内には独特の匂いが充満しており、中の空気自体が脂ぎっているかのようである。
強い匂いが出るなど、他の料理に影響が出る食べ物はこのように専門店として分けていた。
「豚骨ラーメンって、こんな匂いする? この店、何かヤバそうなんだけど……」
美咲の後に続いて二人も座席に行くが、一般的な豚骨ラーメンとは匂いが明らかに違っていた為、真琴は不安を感じていた。
「これが本場の匂いってやつだよ。この前食べたけど、滅茶苦茶美味しかったよ」
「ほんとにぃ?」
「騙されたと思って食べてみてよ。とりあえず普通のでいいよね?」
疑う真琴を余所に、美咲はタッチパネルで普通の豚骨ラーメンを三つ注文する。
すると、三十秒も経たないうちに、店員ロボットが三つの豚骨ラーメンを運んできた。
それぞれの前に、丼を置かれる。
真琴は丼から巻き上がる匂いに顔を顰めるが、他の二人はすぐに割り箸を割り、躊躇することなく食べ始めた。
普通に食べる二人を見て、真琴は恐る恐る自分も手を付ける。
箸で麺を掬い、口元に持ってくると、匂いがより鼻に響く。
非常に抵抗があったが、真琴は覚悟を決め、一気に麺を啜った。
目を瞑って嫌いなものを食べるかのように噛む。
しかし四回五回と噛んだ時、その表情が和らぐ。
「……美味しい。けど、すっげー濃い」
「でしょー。一度は食べてみる価値あるよね」
「確かに、これは食べる価値あるわ。口臭くなりそうだから、他の子には紹介できそうにないけど」
真琴がそう言うと、優奈が説明する。
「臭いについては大丈夫だよ。匂いが強い食べ物は、胃の中ですぐに匂い成分が分解されるようになってるから、後に残らないんだ。辛いものも同じで、どんなに辛いやつでも後からお腹痛くなったりすることはないよ」
身嗜みやお洒落を気にする女の子は、臭いにも人一倍敏感である。
そんな子達でも気にせず好きなものを食べられるようにしていた。
「へー、凄い。聞いてた通り、優奈って物知りなんだな」
「聞いてた通り?」
「この前、ちょっと智香と話すことがあって、その時に優奈は色んなこと知ってて凄いって言ってたんだ」
「そ、そうなんだ」
優奈は気恥ずかしそうに照れる。
仲の良い女の子に褒められていたことを知り、非常に嬉しく思っていた。
「町のことならロボットに教えてもらって色々知ってるから、分からないことがあったら何でも聞いてよ」
優奈は照れながらテーブルの端にあった酢を取り、自分のラーメンにかける。
それを見た美咲が尋ねる。
「何かけてるの?」
「ん? あぁ、これお酢」
「お酢入れると美味しくなるの?」
「うん、結構美味しく……いや、どうだろう? 不味くなるかも」
「えぇー? じゃあ何でかけるの?」
「好み……かな? 私は好きだったから、つい……」
優奈は生まれ変わって味覚が変化したことは認識していたが、昔の感覚で無意識にかけてしまったのだった。
「ほぉー。じゃあ、あたしもちょっと入れてみようかな」
「あ、それなら私ので味見する?」
一度入れてしまうと元には戻せないので、優奈は味見の提案をした。
「するー」「あたしも」
美咲と真琴は身を乗り出して、自分の箸を遠慮することなく優奈の丼に突っ込む。
一度口につけた箸をスープに突っ込むというその行為は、あまり清潔とは言えなく、好まれざる行いである。
教師ロボットの前でやれば注意される案件だが、優奈は気にしないどころか内心喜んでいた。
二人はそのまま、優奈の丼からラーメンを食べる。
すると、すぐにその表情が歪む。
「すっぱ! 不味くなってるじゃん。入れない方が絶対いいよ」
「あたしもこれは入れない方がいいと思うー」
案の定、二人には不評であった。
「ははは、まぁそうなるよね。酢は歳とると好きになる人が多いから、今はダメでもそのうち美味しく思えるようになるかも?」
優奈はそう言ってラーメンを啜る。
(酸っぱ。やっぱり合わなくなってたかぁ)
内心失敗したと思いつつ、優奈は食べ始めた。
食べながら真琴が言う。
「町の食べ物って凄く美味しいけどさ。慣れたら普通というか、そんな感動しなくなったよな」
「慣れちゃったんだろうね。多分、今地上の食べ物食べたら、とんでもなく不味く感じるんじゃない?」
「うへー、地上に戻りたいとは思ってなかったけど、もう絶対戻れないな」
食べ物の良さも、地上への未練を失くさせることに一役買っていた。
一度生活レベルを上げてしまうと、下げることは簡単ではない。
町の最高品質の食べ物に慣れてしまったら、地上で出回っている低質な食べ物には耐えられないだろう。
そこで美咲が言う。
「味もだけどさー。あたしは安心して満足に食べれるところが一番かな。ここに来る前、施設に居たんだけど、ご飯の時は奪い合いで安心して食べられなかったんだ」
「マジかよ。大人はいなかったん?」
「いたよ。見つかると怒られるから、見てない隙に盗るんだよ。盗ったのはすぐに食べて証拠隠滅。ぼーっとしてると、あっという間に盗られちゃうから大変だったな。それはそれで楽しかったけど」
「殺伐としてんな。ま、あたしも前はあまり食べられなかったから気持ちは分かるよ」
二人は満足に食べられる有難味を噛み締めながら食べる。
その二人の言葉を聞き、優奈は町を作ったことが間違いではなかったと再認識した。
「満足に食べられるようになって何より。じゃあ、今日はそんな二人に餃子でも奢るよ」
「マジ!? サンキュー」「やほーい」
大した値段のものではなかったが、二人は大喜びする。
奢り甲斐のある反応で、優奈としても非常にいい気分であった。
その後、食事を終えた三人は、また仲良く遊んだのだった。