2話 未来のロボット
その後は、何とかトラブルに見舞われることなく、優也は自宅であるアパートの一室へと辿り着く。
結構な距離だったので、その頃には既に日が暮れていた。
公園近くの駐車場に優也の車を残していたが、公園専用の駐車場という訳ではなかった為、車を調べられる可能性は少ない。
無事帰還を果たした優也であったが、その表情は晴れなかった。
理由は言わずもながら先程のことである。
あんな場所で死体が見つかれば、警察が詳しく調査するであろう。
優也は男性の死とは無関係であったが、足跡などから捜査の手が及ぶ可能性は十分あった。
そうなれば盗撮の件もばれてしまうかもしれないので、当面の間は安心することはできない。
優也は部屋の電気もつけず、薄暗い部屋の中で不安に身を震わせると、突然、窓の内鍵が解錠される音がした。
その音に、優也はギョッとして目を向ける。
窓にはカーテンがかかっており、外は見えない。
しかし、月明りから丸い影が映し出されていた。
窓が開き、その丸い何かが入ってくる。
優也は驚きと恐怖で、身を強張らせた。
カーテンが捲り上がり、入ってきたものの姿が現れる。
それは先ほど雑木林の中で見た黒い球体であった。
黒い球体は、優也に向けて音声を発する。
「マスターとの距離が離れたことで紛失と判断。自動帰還を行いました」
奇想天外な訪問者に、優也は固まる。
何も反応を示さないでいると、黒い球体もそれ以上の発言はせず宙に浮いた状態を保ち、そのまま一分二分と時間が過ぎる。
黒い球体は一切動かず、ただただ浮いているだけだった。
一向に動きを見せない黒い球体に、優也は恐る恐る近づく。
そっと手を伸ばし、球体の上部に触れてみるが、黒い球体は相変わらず反応を示さない。
「……何なんだ、これは」
優也が呟くと、その言葉に反応したように音声を発する。
「私はARーV Xシリーズ。サポートを目的とした万能型自立稼働式ロボットです」
音声に優也は一瞬びくりとするが、すぐに自分の言葉に対する返事であると気付き、冷静になる。
「AR……?」
「ARーV Xシリーズです。前マスターからはヴァルサという愛称で呼ばれていました」
「なるほど、分からん」
「分からないことがありましたら、データベースをご参照くさだい」
黒い球体の前に、モニタが浮かび上がる。
そこには日本語の目次らしきものが表示されていた。
優也が適当に項目の一つに触れると、そのページが開かれる。
何となく使い方を把握した優也は、手探りで調べ始めた。
――――
カーテンの隙間から朝日が差し込み、小鳥の囀りが聴こえてくる。
「ん? もう朝か……」
優也はあれから寝るのも忘れ、夢中でデータベースを漁っていた。
そこには未来のあらゆる情報が入っており、現代を生きる優也にとってはオーパーツに等しいものである。
未来から来たロボットなど現実離れしたことであるが、未来の技術が詳細まで記されたその情報を見ては、誰であっても信じざるを得なかった。
優也は長時間読み続けて固まった身体を背伸びで解す。
「んんー……はぁ。五百年後に人類が滅びるねぇ」
データベースから、優也は雑木林で死んだ男性の正体と、その経緯も知った。
西暦二千五百年、人類は滅亡の危機に瀕していた。
原因は一概には言えないが、一番大きな理由は遺伝子の欠損であった。
環境汚染や晩婚化、様々な理由によって遺伝子は劣化していく。
これから数百年で人々の遺伝子は世代を経ながら少しずつ蝕まれ、取り返しのつかない状態にまで至っていた。
遺伝子の欠損は早期に判明されるが、社会的倫理や時の権力者達の都合によって長い間放置されることとなる。
医療技術の発展により、遺伝子欠損から来る症状が表面上解消できたことも原因であろう。
症状が進行し、問題が表面化した時にはもう手遅れで、慌てて欠損治療の研究を始めたものの間に合わず、一人また一人と倒れていった。
そして最後の一人となった時、その人間は一か八かの賭けで、問題多くて凍結されていた装置を使うことを決める。
それは過去へと空間転移する装置、所謂タイムマシンであった。
優也が雑木林で出会った男は人類が絶滅するという歴史を変える為に、この時代へとタイムリープして来た未来人であったのだ。
しかし、そのタイムリープは成功とは言えなかった。
時空転移の余波により、身体の大部分を欠損。
この時代に辿り着くことはできたものの、瀕死の重体に陥ってしまった。
滅びが差し迫る中、安全を確保する余裕もなく強行した為、起きた事故である。
怪我の状態は酷く、ヴァルサに備わっていた医療機器だけでは手の施しようがなかった。
僅かな時の延命しかできず、死を待つしかなかったところ、そこに偶然、優也が通りがかった為、彼に使命を託したのである。
「見ず知らずの時代も違う人間に託すなんて、余程のアホなのかそれだけ切羽詰っていたのか。タイムマシンを使うこと自体、追い詰められた末のもののようだから、これだけ杜撰なのも無理はないか」
タイムマシンを使った時点で、それまでの世界はなかったことになる。
未来は過去が積み上げられた上に立っているものであるので、ほんの僅かな変化でも崩れ去ってしまうのだ。
分岐ではなく、完全なリセットである。
故に、危険過ぎるとのことで、未来の人々はタイムマシンの研究を凍結したのだ。
未来人の男がいた未来はもう消え去った為、ここから先の未来は、今を生きる人々の行動などで紡がれて行く。
だが、これで滅亡の危機を避けられた訳ではない。
根本的な問題は解決しておらず、人類の方向性も変わっていないので、このまま時が進めば、同じような未来になる可能性が高かった。
「俺が尻拭いしてやれば、人類は助かるのだろうけど、遠い未来の人間なんかの為に働いてやる義理はないよな」
優也にとっては、遥か先の自分には関係のないことである。
遠い未来の話でなくとも、人類を救うなどという崇高な使命感は、初めから持ち合わせていなかった。
明らかな人選ミスである。
男が居た滅び間近の未来では、高度な教育により明確な悪意を持つ人間がいなかったことや、滅亡阻止の為に人類が皆一致団結して生きていたことから、人の悪意に疎かったのだ。
優也は様子を窺うように、チラッとヴァルサを見る。
託された使命の放棄を匂わせる発言をしたにも拘わらず、ヴァルサからは何も反応はなく、ただ宙を浮かんでいるだけだった。
高度な人工知能は持っていたものの、自らの意志というものはなかった。
何かしらの設定でもしない限り、自発的に行動を起こすことはなく、ただマスターに従うのみ。
これはヴァルサがサポート向けのロボットだからということではない。
未来のロボットは、全て意志を持たせないよう作っていたからである。
物事を正確に判断し、何者にも忖度しないAIは権力者達にとって都合が悪かった。
また、環境や他の生物からしたら人間は悪とも言えるので、ロボットの物事の見方によっては、反逆の狼煙を上げられる危険性があったのだ。
未来のロボットは性能が非常に高く、知能、力、思考速度、どれをとっても人間を遥かに凌駕していた。
意志を持って対立することになってしまえば、人類はなす術もなく負けてしまうだろう。
この現代でも、そのような作り話が溢れているくらいであるので、未来の人達は警戒して徹底的に意志や感情を抱かせないようにしていた。
あくまでロボットは道具であり、何をするかは使う人次第である。
「何はともあれ、今俺の手には未来の技術を結集させたロボットがある。こいつがあれば何だってできるだろう」
ヴァルサには、未来にあった全ての情報が詰め込まれていた。
この情報を利用して活用すれば、この時代でならやりたい放題ができるだろう。
「世界征服だって容易い。が、俺が本当にしたいことは……」
優也はモニタを操作して、データベースの項目を開く。
そこには物質を分解、再構築して別の存在に変える技術が記載されていた。
「これを使えば少女にだってなれる……!」
物質の再構築装置は原子まで分解し、全く違う存在に作り変えることができる為、年齢性別を変えることも可能であった。
未来では遺伝子欠損の研究により、DNAの解析もかなりの段階まで進んでいたので、足りなかった現代の欠損が少ない遺伝子情報を参照して掛け合わせることで、完全な少女へと生まれ変わることもできるのだ。
しかし、再構築装置は元々人間を用途にするものではない。
原子レベルにまで分解するというのは、その人間としては死に等しいことである。
記憶は外部にバックアップすることで引き継げるとしても、元は根本から変わってしまっている。
理論的には、ただ記憶を引き継いだだけの別人だった。
「だが……それでも俺は少女になりたい!」
例え死ぬとしても、優也は少女になることを望んだ。
優也の少女への渇望は、死の覚悟ができるほどであった。
決意した優也は、すぐさま少女に生まれ変わる準備を始めた。
ヴァルサを使い、再構築装置の作成に取り掛かる。
ヴァルサは万能タイプのロボットである為、材料と設計図さえあれば何でも作ることができた。
材料は部屋にあった電化製品などを分解して装置の部品へと作り変えていく。
それでも足りないものは、ホームセンターなどで買い揃えた。
ヴァルサがいれば、警察も恐れるに足りないとのことで、公園に置き去りにしていた車も回収し、ついでに未来から来た男の死体処理も行った。
幸い、まだ誰にも発見されていなかった為、難なく処理を済ませ、騒ぎになる前に痕跡を消すことができた。
ヴァルサによる処理は完璧な為、もう警察が来ることはないであろう。
そして半日もしないうちに装置が出来上がる。
優也の部屋の中央には、円柱の形をした銀色のカプセルが鎮座されていた。
これが分解・再構築を行う装置である。
既に準備は終わっており、いつでも動かせる状態であった。
「さて、早速始めようか」
優也はカプセルに入る為に服を脱ぎ始める。
だがそこで、テーブルの上に置いてあったスマートフォンが振動していることに気付く。
着信先は会社からであった。
今日は勤務日であったので、優也は無断欠勤している状態だった。
つまらなそうな顔をした優也は、スマートフォンを床に叩き付けて破壊した。
これから優也は自分という存在を捨て去り、新たな存在へと生まれ変わるのである。
今の社会的地位や身分は最早必要なかった。
水を差された優也だが、気を取り直して始めることにする。
衣服を脱ぎ去り、全裸でカプセルの中へと足を踏み入れる。
「さぁ、ここから俺は可憐な少女へと生まれ変わるんだ……!」
カプセルの扉が閉まり、足元から液体が満たされていった。