110話 決別後の生活
町から出た麻衣と智香の二人は、優奈から餞別として新しい戸籍を与えられ、田舎の児童養護施設へと入れられた。
地元の小学校に編入し、身寄りのない全くの別人として、地上での新しい人生を送り始めた。
施設の縁側で、麻衣は棒付きキャンディーを咥えながら空を見上げる。
町とは違う本物の空。
だが、元々見分けがつかなかったので、特に解放感があるとかはなかった。
「マズ……」
麻衣は咥えていた棒付きキャンディーを口から出して眺める。
食べ物は町のものに慣れていたせいで、途轍もなく不味く感じるようになっていた。
「それでも駄菓子が一番マシなのよね」
食べ物でも物によって落差があり、素材を生かすような物は食べれたものじゃないレベルだったが、ジャンク感があるものは比較的近い味であった。
おかげで身体に悪いとは思っていても、駄菓子ばかり食べる生活をしていた。
他にも町に慣れていたせいで色々と不都合があり、早くも麻衣の脳裏には「後悔」の二文字が頭を過っていた。
しかしそれでも、あの場に居続けることは出来なかった。
「前は、この生活をしてたんだから、慣れるしかないわね」
その時、施設の中から悲鳴が聴こえてくる。
「麻衣ちゃーん、助けてー!」
麻衣は慌てて中へと入り、悲鳴の元へと駆け付ける。
そこに居たのは殺虫スプレーを振り回す智香だった。
「虫! 虫が出た! 小さい蛾」
「またぁ? 虫が出る度に騒いでるじゃない」
「だってぇ」
「まぁ、気持ちは分かるけどね」
町には虫が一切いなかったので、二人は小さな羽虫でも気になるようになってしまっていた。
智香か殺虫スプレーを受け取った麻衣が蛾を狙ってかけると、蛾はあっという間に落ちて死んだ。
床の上に落ちた蛾の死体を見る二人。
「麻衣ちゃん、お願い」
「もー」
智香にお願いされ、麻衣は渋々ティッシュで後始末を行う。
虫は麻衣も嫌だったが、一緒に外について来てくれた手前、出来る限りの恩返しはしたいと考えていた。
麻衣が後始末をしていると、智香が言う。
「あのさ。蛾は死んだけど、ここって見えないだけで微生物が沢山……」
「ストップ。そのことは考えたくないわ」
微生物に関しては深く考えると発狂してしまいそうだった為、麻衣は話を止めさせた。
智香も考えないことにして、話題を変える。
「こっちの生活、思ってたより大変だね」
「そうね。今まで楽し過ぎてたから、その反動が酷いわ」
「大丈夫? やっていけそう?」
「頑張るしかないわ。一緒に頑張りましょうね」
「うん」
地上での生活に慣れて行こうと、二人は意気込む。
だが、その意気込みとは裏腹に、日に日に智香は窶れて行った。
満足できない食事、いつどこから襲って来るか分からない虫、楽しくない学校の授業、遊び場の少なさなどなど。
一つ一つは些細なことだが、暮らしのあらゆるところで感じるストレスが、二人の精神を少しずつ削っていた。
夜になると、同じ部屋で寝る麻衣の耳に、鼻を啜る音が聴こえてくる。
「帰りたい……」
毎晩寝静まると、智香は泣き言を言うようになっていた。
「……」
しかし、起きている時は決して言わなかったので、麻衣からは何も言えなかった。
智香の精神は見るからに限界に来ていた為、これ以上は壊れてしまうと思った麻衣は、智香を町へと帰らせることに決める。
一度出たら二度と戻れないと優奈には念押しされていたが、そうも言っていられる状況ではなかった。
日中、麻衣は一人で施設の職員がいる部屋を訪れた。
「私達を連れてきてくれた人と連絡を取ることって出来ますか?」
二人を施設に連れてきたのは大人に偽装したロボットだったので、そこから連絡が取れないかと麻衣は考えた。
だが、職員の人は首を横に振る。
「あそこのNPO法人、解散したから無理だな。何か用でもあったのか?」
「えっと、ちょっと預かってもらっていたのがあったのを忘れてたので。どうにかして連絡つけられませんか?」
「悪いけど、繋がる連絡先は持ってないんだよ。預けたものは多分、処分されちゃったと思うから諦めてくれ」
「そうですか……」
麻衣は落胆して職員部屋から出る。
もしかしたらと思っての行動だったが、結果はダメだった。
残る方法で思いつくのは、死亡偽装の為に地上で活動している偽装ロボットを見つけるか、おぼろげな記憶を頼りに、移住する際に通った町の入り口を探し当てるしかない。
だが、麻衣も薄々気付いていた。
念押しされてまでした約束を、勝手な都合で覆すことなど出来ないのだと。
失意の中、麻衣が部屋に戻ろうと施設の廊下を歩いていると、裏庭に智香の姿を見つける。
智香はスコップを手に、必死の形相で穴を掘っていた。
麻衣は縁側から出て、智香の下へと近づく。
「……何やってるの?」
「あ、麻衣ちゃん。ここからね、優奈ちゃんに会いに行くの。このまま掘っていれば、町に辿り着けるはず」
「それは……」
無謀な行動であった。
地下深くにある町まで手作業で掘ることなど出来る訳もなく、それ以前に町がこの下にあるとは限らない。
ちょっと考えれば分かることである。
だが、智香の目は正気ではなかった。
「ね、ねぇ、止めましょ。いくら掘っても辿り着くことなんてないわ」
「大丈夫、すぐに辿り着けるとは思ってないから。どれだけ掛かってでも、辿り着いてみせる」
「無理よ。どれだけ深いと思ってるの。場所も違うかもしれないし」
「違ったら別のところから掘るからいいよ。絶対に探し当てるから」
「別のところって、それまでどれだけ掛かるのよ……。仮に町まで辿り着けても中に入れないでしょ。町の壁は土じゃないのよ」
「そこまで行ったら優奈ちゃんが気付いてくれるよ。優奈ちゃん優しいから、謝ればきっと許してくれる」
智香の返事は滅茶苦茶だった。
まるで正気ではないその様子に、麻衣は怖くなり、智香の肩を揺する。
「分かってるでしょ。無理なの。もう何をしても戻ることは出来ないのよ」
すると、智香の手からスコップが落ち、顔が歪む。
「帰りたい。帰りたいよ……」
そう言いながら、その場で泣き崩れた。
麻衣の目からも涙が溢れてくる。
意地を張った結果、大切な友達まで巻き込んでしまったのだ。
未久の言っていたことが正しかったと、麻衣は今更理解した。
「そんなに戻りたいのですか?」
二人が振り向くと、そこには施設の職員が居た。
「入念に確認されたはずです。外に出てしまったら、二度と戻れないと」
職員の姿は黒い球体、ヴァルサへと変化した。
「「管理者さん!?」」
「優奈さんが苦難の道になると伝えましたよね。あれだけ啖呵を切っておきながら、今更戻りたいと言うのは、虫がいいとは思いませんか?」
「「……」」
ヴァルサは責める口調で二人に言う。
「優奈さんは何度も引き止めましたのに、それでも出て行ったのは貴方達です」
「……ごめんなさい」
「大変な生活になることは、お二人も分かっていたはずです。それなのに何故、出て行ったのですか?」
俯いた麻衣は、ゆっくりと口を開く。
「優奈のことは本当に大切な友達だと思ってた。だからこそ許せなかった」
麻衣が町を出たのは、優奈のことが嫌いになったのではなく、裏切られたショックからの行動だった。
「その気持ちは今でも変わりませんか?」
「……分からない。でも、仲直りしたい」
「それは楽に暮らしたいから?」
「違う、とは言えないけど、町で暮らしている時は本当に幸せだった。私達のことを想って、頑張って作ってくれたんだと、今なら分かる。前いたところから救ってくれたのも事実だし。許せない気持ちもあるけど、それ以上に感謝もしているの」
そこまで言うと、麻衣は突然、土下座をする。
「お願い! 私はダメでも智香だけは帰してあげて。この子はついてきてくれただけなの」
智香だけは助けたいと、麻衣は懸命に頼み込む。
「麻衣ちゃん……」
それを見ていた智香も、麻衣に並んで土下座を行う。
「お願いします! 麻衣ちゃんも一緒に帰らせてください」
二人は恥もプライドも捨て、誠心誠意の謝罪を行っていた。
「お二人の気持ちは分かりました。しかし、戻すとなるとルールを破ることになります。ルールが破られれば秩序も乱れる。作ってしまった例外から問題が起きないよう、優奈さんも調整に苦労することでしょう。それだけの迷惑を被らせてまで戻すメリットはありますか?」
ヴァルサの問うと、智香が即座に答える。
「私、優奈ちゃんが望むことなら何でも受け入れるよ。キスだってデートだってエッチなことだって」
「ちょっと、智香はそういうこと何も知らないでしょ」
「いいもん。こんなところで生活するくらいなら。それに優奈ちゃんのこと好きだし。麻衣ちゃんは?」
「私は、デートと……キスくらいなら、まぁ。あとは、出来るだけ頑張るように努力する」
「そんなんじゃ、受け入れてくれないよ」
「だって、いきなりそんなこと言われても覚悟が……」
二人で言い合っていると、ヴァルサが言う。
「本人の意思に反して、そのようなことをさせるのは、優奈さんとしても不本意なことです。ですが、そこまで言ってくれるのなら優奈さんも喜ぶでしょう」
「じゃあ……!」
「戻しましょう。いえ、シミュレーションを終了しましょう」
「「え?」」
直後、世界が歪み、辺りの景色が変化する。
そして現れたのは無機質な空間だった。
「お帰りー」
いつの間にか横になっていた二人の目に映ったのは、満面の笑みを浮かべる優奈だった。
訳も分からず身体を起こすと、二人はカプセルの中に入っていたことを知る。
「まだ思い出せない? 起きた時点で、記憶の封印は解けてるはずだけど」
その言葉で、二人の記憶が蘇る。