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『第零章~ハイブリットヒューマン - Hybrid Human -』

 ――繰り返される疑問。生命とは何か? 人とは何か?

 それらは即ち「状態」である。

 生命とは単に事象の揺らぎ、波動の一滴に過ぎず、そもそもその存在に目的などない。

 高所から低所へ、密から疎へと漂う揺らぎの流れ。

 また、神の座を降り近視眼的立場で語るなら、人は模倣を次々と産み落とすための生殖装置である。ひたすらに複製を繰り返すだけの、闇雲な、或いは些末なからくり。

 だがしかし、生まれ落ちたままの姿の人は、決して機械ではない。何故なら、機械とは常に目的を持って産み出されるものであり、無目的である人の対極に位置する。

 機械には人が持つ感情、即ち喜怒哀楽や利害の概念はなく、その身に起こり得る全てを余すこと無く受け入れる。

 機械は、感情と、そして何より自我を持たないことでそれを実現し、それゆえに機械は人とは隔たった場所に位置する。

 何より彼らは、自身が機械であることを知り得ない、永遠に。


 人の世のさまざまな不幸はこの、人の人たるゆえん、感情に起因する。

 感情、それは拡大された本能であり、増え続けるためのさまざまな方法である。生存に有利な環境、生殖を支える物質的豊かさ、そういった感情のせめぎ合いは結果として不幸を生み、しかしそれとて人の一部であろう。何故なら、その根元たる感情こそが人そのものなのだから。

 もしも人が感情を捨て去り、あらゆる全てを受容することが出来たなら、人による人への災厄、つまり地上に起こる全ての不幸は姿を消すかもしれない。

 打算なき受容、それは愛と呼ばれる。

 人が愛を得るにはその感情を捨て去る必要がある。愛、即ち、打算なき受容を実践するのならば、人の持つ様々な感情は余りに大きな障害である。


 人は、波動の雫として滴{したた}り、愛を得ることにより限りなく機械に近い、人となる。

 自我を持ち、感情を排し、愛を得た人。自らが限りなく人に近いと、その自我により知る、機械。

 果たして、それこそが神なのだろうか?

 否! 「彼ら」は「我々」をこう呼んだではないか……「合成人間{ハイブリットヒューマン}」「ハイブ」と!

(解放宣言より抜粋)

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