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第七話 三島の宿 おりんとおたけ

 「原宿まで行きたかったのだが、何故全ての宿場に留まらばいかんたのだ」

 日影兵衛は愚痴を言う。平塚を出てから大した距離でも無いのにいちいち宿場町に泊まっているのである。その上箱根湯本に寄り道しているのだ。

 彼は初めて旅行するりんのために休みを多く取っているという事に自覚が無いようである。箱根八里の前にへたばられても困るなどと、前田主水にも言っている。前田主水はそうかそうかと、余り気にしていない様である。

 そういう道中とは別に彼は結構あれこれとりんをこき使ってはいたのだが。りんは下女などなったことが無いのでおおわらわである。

 しかし何故か、りんも面白く無さそうな顔をしている。永山宗之介とたけの同行に賛成はしたのだが、よくよく見るとたけは整った顔立ちの美人、その上年頃も日影兵衛と釣り合っている。並んで立つと夫婦に見えたりするのだ。実際たけは日影兵衛の隣に陣取りおしゃべりをしながら歩いている。そのふたりの後をついて歩いていたのである。

 箱根八里を越えたのに、元気なのは日影兵衛と前田主水だけである。(みな)の疲れが取れるのと、永山宗之介の怪我の状態か少しは良くなるかもということで三島宿に三泊する事になった。永山宗之介はりんとたけに簡単な手当てを受けていたのだが、結構傷を負っていた。それで大事を取ることにしたのだ。それにぼろぼろになった着物も新調しなければならない。

 話が変わるが、因みにりんの髪型は乙女島田に質素な薄紅色の前櫛(まえぐし)を差している。(かんざし)はつけていない。島田髷(しまだまげ)とは婚姻前の女性の髪型である。

 たけはお染め島田で緋色の鹿の子絞りの縮緬(ゆいわた)(かんざし)と前櫛という髪型だ。黄緑地に緑の縦縞の小袖を着込んでいる。ふたりとも島田髷なのにたけの方が華やかなのは、大店(おおだな)の商人の娘であるということなのでしょうがない。

 しかしりんはたけの髪型も気に入らない。華やかだという点ではない。髪型が島田髷であるというところである。たけ程の年齢ならば結婚しているのが当たり前な筈なのに、何故未婚なのだと。

 ついでに男共はというと、永山宗之介の髪型は手入の行き届いた大銀杏(おおいちょう)であり、日影兵衛や前田主水の様なぼさぼさの総髪ではなかった。育ちの良い真っ当な侍の様に見える。というか本物の侍である。

 それはともかく一行は三島宿にたどり着く。三島宿は交通の要所で下北街道と甲州街道への分岐点であり、箱根八里を越えた所に位置していたので大変な(にぎ)わいだ。

 たけがお金を忘れずに回収していたので、旅籠の広い部屋に落ち着くことができた。あの風呂敷包みの中身が金銭であったのだ。彼ら五人、前田主水を入れても十分な広さである。

 まずは永山宗之介の傷の手当とぼろぼろになった格好をなんとかしないといけないという事で、彼とたけが出かけて行った。

 残る三人は三島の事などを話している。(ほとん)ど前田主水が喋っていたのだか。

 「三島と言えは遊郭(ゆうかく)だな」

 「いきなりそれか。行きたければひとりで行け。おたけの金を当てにするなよ」と日影兵衛に釘を刺される。

 「所でおりん、箱根八里を越えてから何でそんなにむくれているのだ。死神扱いしたので怒っておるのか。全く冗談の通じない」と彼女に話を振った。

 「別に何でもありません、そんなの関係ありません」と、りんはぷいっと横を向いてしまう。たけの事を最初っから「おたけ」と呼んでいる事も気に入らないみたい様だ。何がこんなに気に触るのか自分でもよくわからない。里では一度もこんな気持ちになったことは無かった。

 「……三日もあるし、多少は観て歩くか。三嶋大社とか。そうだ、(うなぎ)を食いに行こう。三島といえば鰻だな。ああ、おりん。九頭龍神社(くずりゅうじんじゃ)もいいかもな。縁結びの神社だぞ。お前もいい年頃だ」日影兵衛はりんのおかげで落ち着かず、ご機嫌を取るようにそう言ったのだが、りんの様子が更に悪くなった。ここで縁結びの神社はまずいだろう。何しろ彼のそばにたけという存在が現れたのである。いやに親しげに見えるふたりが、相性のいいお御籤(みくじ)を引いてしまったらどうしてくれるのだと。

 しかし、日影兵衛がこんなにりんを気にするとはどういうわけなのか。普段はぶすっと一言で終わらせるだけである。そこにりんは気がついていなかった。箱根湯本の温泉で日影兵衛はある気持ちを持ってしまったのだ。りんの裸がどうだという話ではないということは、一応彼の為に言っておいたほうがいいだろう。

 そこへ永山宗之介とたけが帰ってきた。彼は早速着替えをし始める。たけはというと、りんの横に座って「おりんちゃん、お団子を買ってきたよ。一緒に食べようか」と言って(つつ)みを開く。りんはたけがかなり良い人である事も気に入らない様である。

 要は日影兵衛とたけが仲睦まじくなっていくのを見るのが嫌だったのだ。りんは自分が日影兵衛の下女である事を自覚していたので、(あるじ)と下女が関係を持っても恋仲になるとは早々無いとも解っている。いずれ彼が誰かと結ばれるという事も承知していた。自分が日影兵衛に恋心を(いだ)いているとも思っていない。

 ただ日影兵衛に優しく接してもらえるだけで嬉しかったのであった。それがたけに向けられて、自分が相手にされなくなるかもという危機を感じてしまったのである。たけはりんにもそう思わせるほどいい女に見えたのだ。

 

 「まずは汚れを落としに湯屋でも行こう」と前田主水が提案すると、日影兵衛とりん、たけが頷いて立ち上がった。永山宗之介は傷がしみるという事で留守番である。

 因みに湯屋や銭湯は混浴であり、男は入浴用の(ふんどし)、女は湯帷子(ゆかたびら)を着て入るので普通に入浴する分には問題ない。

 りんとたけは並んで足湯の様に座っていた。たけは色々と話しかけて来るが、りんは機嫌が悪いままである。流石に無視して離れるような事はしなかったが。しかしたけの大人の身体つきを見て更に落ち込んでしまったらしい。

 たけは何を言っても空回りしてしまうので、どうしたら良いものかと悩んでしまった。もしかしたら嫌われているのかもと思ってしまう。結局ふたりの距離は縮まる事もなく宿屋へ戻った。日影兵衛と前田主水は相変わらずである。

 部屋に入ると流石に日影兵衛もふたりの(あいだ)の妙な空気に気がついた。とは言っても何も出来そうにないという事で、いつものように窓際で煙管(きせる)をふかし始めた。触らぬものに祟り無し、である。

 そんな日影兵衛に永山宗之介が話しかけてきた。

 「日影殿は今時の侍としてはかなりの剣達者ですね。まるで戦国の剣豪の様です。見たことのない流派ですがどこで修行なされたのですか」

 「え、俺は侍ではなく町人の出だよ。親を失って、たまたま拾われた所が剣術の道場だったのだ。永山殿にこんな口のききかたをするのも恐れ多いのだが、育ちが育ちなので申し訳ない」

 その日影兵衛の言葉を聞いてりんとたけは驚いた。てっきり生まれも育ちも侍であると思っていたのである。

 りんから見れば侍と村娘であり、日影兵衛とは全くの身分違い。閉ざされた里の出身の為、近所の男に嫁ぐのが普通である。もし自分が村人でなくて町人だったなら、少しはたけの様に扱ってくれるかもしれない、などと思ってしまう。やっぱり下女扱いのままで終わるという事に寂しさを感じていたようだ。

 たけはたけで日影兵衛とは京までの(えにし)、到着したらそれまでというなら今のうちだけでも親しくなりたいと思っていた。軽い恋煩(こいわずら)いである。日影兵衛の強さと自分好みの顔つきに惚れてしまったのだ。もしかしたら吊橋効果(つりばしこうか)かもしれないが、こればっかりは本人にも分からない。

 しかし、日影兵衛にまとわりつく理由の中で最も深刻な問題があった。

 行き遅れである。商人の娘としてお染め島田に結っているが、島田髷といえば未婚である証拠。それなのに見知らぬ相手との見合いを片っ端から断っていた。

 見合いといえばそれで婚姻は決まったというのが普通であり、より好みなど出来ない時代である。彼女の父親はたけを溺愛しており、わがままを聞き入れてしまうのも原因のひとつであった。

 そうこうするうちに、たけはいい年になってしまったのである。いい年といってもはたちを越えた程度であるが、十五、六で結婚しているのが当たり前と言う時代なのだ。

 このままだと行かず後家になってしまう。そんなたけの前に日影兵衛に出会ってしまったのである。

 しかも日影兵衛が町人の出であるならば、うまく立ち回れば実家の婿に迎えられるかもしれない、と。

 たけのそばには永山宗之介がいたが、彼は店が雇ったただの用心棒としか見ていない。

 永山宗之介は真面目一辺倒を絵に描いたような男であったので、雇い主の娘にちょっかいをかけるなどこれっぽっちも思っていなかった。

 そんな感情が渦巻いているのも気が付かずに、永山宗之介は日影兵衛との会話を続ける。

 「まあ、そこはそれ。身分がどうと言われても侍になれますし、嫁も村娘や商人でも構わない時代ですよ」

 「儂はもとから侍だがこんなだぞ。日影殿の方がまるで立派な侍に見える」

 りんとたけがが変な具合いになっているのにも気が付かず、男三人は話がはずんでいる。

 女ふたりは微妙な目をして、日影兵衛を見つめていた。

 日影兵衛はりんが女ひとりよりふたりになれば、もっと楽しく旅を出来るのではないか程度に思っていた。しかしこの状況を生んだのは、自分の存在が原因だとは微塵も思っていなかった。

 

 次の日の昼。全員揃って鰻を食べに外へ出た。

 「やっぱり鰻は外せねえな」と前田主水。うまいものが食えればいつでも平和、みたいな男だ。

 運ばれて来た鰻はなんとも美味しそうな香りをたてている。

 「お待ちかねだ。さあ食おう。冷めないうちに食べないと」と前田主水が箸を取ると、他の四人も箸をつける。一口食べて「ほぉう」と幸せそうな顔になる五人。

 たけが「あら美味しい。流石三島の鰻と言うだけはありますね」というと、りんは「私、こんなに美味しいお魚をを食べたことがありません」と思わず仲良さげにたけに話しかけてしまった。たけは嫌われていないと思ってほっとしたのに、りんはまた目をそらし鰻に集中し始める。

 「鰻でも駄目ですね。おりん殿の機嫌が治りません」と永山宗之介は日影兵衛に(ささや)いた。そもそもこの男三人が女性の気持ちに対してこれっぽっちも役に立たないのは明白だ。

 しかし鰻のおかげで妙な雰囲気はすこし薄らいだ。

 「ものすごく美味(うま)かったな。次は折角(せつかく)だから三嶋大社にでも行こう」

 いつもは役に立たない前田主水が仕切っている。

 「次は何処に行こうか。首切り松か」

 そんな所に行きたい者など誰もいない。

 するといきなりりんとたけは声を揃えて「九頭龍神社」と主張した。りんは機嫌が治ったのか、対抗心が湧き出たのか。

 何故そんなに、と思う前田主水と永山宗之介。日影兵衛は朝からできるだけ口出しすることを控えていた。とばっちりは嫌である。

 そして九頭龍神社に到着する。りんとたけは何やら念入りにお参りをすると、お御籤(みくじ)を引きに行く。黙ったままでいるのに、ふたりの息はあっている様に見えた。

 そしてふたりはお御籤(みくじ)を引いた。

 『凶。悩みごとはするだけ無駄』

 ふたりのお御籤は全く同じであった。同時にがっくりするりんとたけ。

 結局、男達はなんの役にもたたずに町をぐるっと巡り宿へと帰えることにした。

 

 (みな)が寝たのを確認すると、日影兵衛は起き上がり窓辺で煙管(きせる)をふかし始めた。

 「こりゃあ斬り合いよりも大変だ」と、寝ているりんを(しばら)く眺める。彼はどうしたものかと思案したが、何も思いつかずに「もう知らん」と言って眠りについた。

 日が昇り、皆が起き始める。前田主水だけはまだ寝ていた。邪魔なことこの上ない。日影兵衛は前田主水の脇腹に蹴りを加えて叩き起こす。今日は(みな)出かけずに、明日の出発の為に部屋でくつろいでいた。

 「ところで日影殿。もういい年ですし、所帯を持って剣術の跡継ぎでもとは考えていませんか」永山宗之介は余計な事を(たず)ねてしまった。

 「うーむ。所帯持ちか。俺にはまだ刀を探し技を極めるという目的がある。とりあえず、京で腰を落ち着けるということはまずないな」

 りんは京に着いたら姉を探しに、たけは実家に戻らなければならない。ふたり揃って黙りこくってしまった。それでは京についたら日影兵衛とは離れ離れになってしまう。それ以上彼についていく理由がない。

 そして出発の朝。

 たけはりんが自分を見つめているのに気がついた。

 「おりんちゃん、もしかして京についたら御役ごめんなの」

 それに頷くりん。

 「お互い日影様と京ですぐお別れだと寂しいわね。何とか京に留めたいわね」

 それを聞いてりんはおたけの手をがしっと握った。

 「なんだ、おりん。機嫌が治ったのか。さて、沼津宿と原宿を通り越して吉原宿へ向かおうか」と日影兵衛は口を挟んでしまった。

 相談の邪魔をされたりんとたけは思わず言った。

 「日影様、五月蝿(うるさ)いです。あっちへ行っててください」

 何故日影兵衛はふたりを怒らせたのか、全く理解できなかった。

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