最終話 江戸の家 兵衛とおりん
数日して、日影兵衛達は中山屋の大広間で円座を組んでいた。
「まだ黒錦党の一件で京は大騒ぎですね」と永山宗之介が言った。
「あれだけの死人が出たんだ。当分収まらんだろう」
「あ、そうそう、連れてこられたおらんさん。大分よくなられましたよ」たけはみんなに告げた。
「それは良かった。身内が分かれば返してやりましょう」と大村左近。
「それが、家族は父上ひとりだそうで……」
「俺が殺してしまった。俺が仇だ」
「亡くなられた事は知っているようです。それに心がかなり傷ついているようなので、家で住み込みの奉公人として預かる事にしました。少しずつ気が紛れる様にしますわ」
「おたつはどうだ」
「当分薬で苦しいでしょうから同じく家で預かります。普通の生活がおくれるようになったら里へ帰すつもりです」
「そうか。俺は江戸に帰る。暫く留まるつもりだ」
「俺と左近は大阪にいく。まだ倒していない奴がいるからな」と大村右近。頷く大村左近。
「手助けはいらんのか」
「いらん。これ以上お前に首を取らせるつもりはない。兵衛はとっとと江戸へ帰れ」
「何だその言いぐさは……お琴、お前は京観光するのであろう」
「時間を取りすぎたから観光はやめだ。土産だけ買って帰る。途中まで一緒させて貰っても良いか」
「それは構わんが。おたけ、このまま帰していいのか」
「お琴さん、土産の意味まだわかってないのかしら」
「なんだ、日影殿におたけ。土産は土産であろう」
「山名様も罪なことを。どっちにしてもふたつは売り切れ、残るひとつは」
たけは前田主水に顔を向けた。
「後ひとつ……それは何なのだ」佐々木琴は首をひねっている。
「俺も売り切れ……」日影兵衛はちらりとりんを見る。
「主水。一応聞くが、お前は江戸に帰るつもりなのか」
「日影殿が弟子にしてくれんから、沼津藩に士官しようかと思っている。そういうことだ」
「なんだと、聞いてないぞ」
「言ってないし、儂の勝手だし。駄目だったら山名殿のお付きにしてもらう。それも駄目ならあの道場に入門して仕事を探す。それも駄目なら沼津でひとりででも一から鍛え直す」
「わ、私は主水の様な輩が近くにいると思うと……」
「なんだ、土産は手に入れ済みか」
「日影殿、なんで土産の話が出てくるのだ。主水の話をしているのだぞ」
「だからだな、土産は三つのうちひとつ。お前と試合をした俺達のうちの誰かだ。土産の方から来てよかったな。山名殿はお前の婿を連れて来いと言っているのだ」
「な、な、な、なんだと」
「そんなにこいつが嫌なのか」
「い、いや。そういう訳では。それなら無視すればいいだけの事だ」
「お琴、すこしはかまってやったらどうだ」
「か、か、かまうだと。わ、私には別式の役目がある。忙しいのだ」
「旦那様にするというのは問題ないのね」
「な、何をいうのだ、おたけ。私は山名様にだな……」
「儂はお琴に相応しい漢になるのだ。断じて他の奴にはやらん」
「お、お、お」
「諦めろ。断るなら斬り殺すしか無いぞ。土産は台無しになるし、山名殿に逆らう事にもなるが」
「さ、さ、さ」
「……お琴は壊れた。主水、あまりしつこくするなよ」
「それは約束できかねる」
「で、で、で」
「もうほおっておけ。おたけと永山殿の祝言はまだまだ先であろ。決まったら文を寄越してくれ。落ち着いたら所在を知らせる」
「祝言ですか……」
「宗之介様。まだぐだぐだと言うつもりなのですか。うちのものは既に若旦那と読んでいるじゃないですか」
「す、すまぬ。そんなつもりはないですよ」
「永山殿終了のお知らせだ。一生尻にしかれるのも明白だな」
「日影殿、そこまで言わなくても」
「ははは。ではこれで皆の行き先はきまったな」
「ちょ、ちょっと待ってください。私の話は……」
「なんだおりん。せっかく姉のおたつが見つかったんだ。後はともに京に残るのだろう」
「いえ、江戸に行きます」
「なんだと。せっかく姉に会えたのに何を言い出す」
「姉とは十分話し合って決めました。江戸に行きます」
「……主として命令してやる。おたつと一緒にいろ」
「姉が見つかった時点で下女ではなくなりました。江戸に行きます。私の勝手です」
「どういう理屈だ。それに江戸に行ってどうするつもりだ。なんのあてもないだろう」
「日影様がいますから大丈夫です。今まで通りです」
「おい、先程下女でなくなったと自分で言っただろう」
「じゃあ今下女になりました。なので一緒に江戸に行きます」
「ちょっと待て。誰がこいつを……」
みんなはそっぽを向いていた。
「江戸に行きます」
「よく考えろ。俺が江戸に居着くとでも思うのか」
「攫われたのを助けて頂いたとき、日影様は私のことを『俺の女』と言いました。なら離れるわけにはいきません。というか、そう言われては離れたくありません」
「……何故おりんは突然こうなった」
「兵衛。お前はお琴以上に駄目なやつだな」
「な、何故私の名前が出てくるのだ」
「どういう意味だ、右近。お琴と一緒にするな」
「日影殿。もう諦めなされたらどうでしょう。置いて行くとひとりででも江戸に行きかねませんよ」
「永山様の仰るとおりです。日影様のあとをついていきます」
「さんざん構っておいて今更ですよ。日影様」
「か、構ってだと。おたけまで……」
「そんなに私がついていくのが嫌なのですか」
「な、泣くな。そうではなくてだな」
「なら一緒に江戸に連れて行って下さい」
「この小娘を何とかしてくれ」
「無理」
全員が口をを揃えて言った。
「おりんがそばにいるとだな、こう、いろいろと……」
「わかっているなら一緒に行きなさいな。おりんちゃんはみんなの前で頑張って言っているのですよ」
「頑張るだと。俺は……」
「下女に逆戻りでもいいので、日影様のおそばにいたいのです」
「いい加減、したいようにしたらどうだ。兵衛よ」
「右近、俺が何をしたいと言うのだ。目をそむけるな。おいおたけ、何とか……何故全員俺から目を逸らす」
「みっともないぞ、兵衛」
「私もそう思いますね」
「こいつら兄弟揃って……」
「日影殿、いい加減自分の気持ちに素直になるべきだ」
「主水、貴様もか。斬り捨てるぞ」
「……土産はみっつといったな。ひとりは永山殿、もうひとりは売れ残り、では残りは何なのだ」
「うう、お琴……」
「はいはい。細かいことはふたりで話し合ってくださいな。これでお開きにしましょう」
「勝手に話を終わらすな」
「私は日影様と一緒ならどこへでも一緒に行きます。選択肢は無いのです」
日影兵衛はとうとう折れた。
そして旅立ちの時がやってきた。
中山屋の前に皆が揃う。
「俺達は淀川を使って行く。また会うこともあろう。その時は宜しくな」と大村右近。
大村右近と左近が最初に仲間達から離れて行こうとした。が、突然立ち止まった。
「あ、兵衛。嫁は大切にしろよ」
「馬鹿な事を言ってないでさっさと大阪へ行け」
大村右近は「ではまたな」と言うと去っていった。大村左近は軽く会釈して大村右近について行く。
「では俺達も出発するか」と一同を見回し、永山宗之介とたけに「達者でな」と一言声をかけた。
そして共に京を出る旅の仲間と共に三条大橋へと向かう。東海道を旅する最初の場所である。たけは彼らが見えなくなるまで手を振り、永山宗之介も日影兵衛達を見つめながら立っていた。
そうして帰りの旅が始まった。
京での戦いが終わり、二ヶ月ほど経っていた。
ここは江戸の街の喧騒から外れた場所。
一軒の家が建っている。そこそこ広い平屋であり、敷地内には道場と思われる建物があった。道場がある以外は他の家と全く変わりがない。
外は良い天気で、ちゅんちゅんと小鳥が囀っている。
その家の障子の開かれた部屋に日影兵衛は座っていた。
臙脂色の着物をだらしなく着て、頭は相変わらずぼさぼさの総髪である。何度梳かしても直ぐにこうなってしまうので、もう諦めてしまった。
この家は日影兵衛の仲間ともいえる男に斡旋してもらった。彼の手配書をもみ消してくれたのもその男である。
日影兵衛は半分上の空で刀の手入れをしている。りんの里で手に入れた刀である。
「はあ」とため息をついて刀を鞘に納めると、背後の壁の刀の壁掛けに戻した。
その壁掛けには他に二組の大小が飾られている。
一組は沼津で佐々木琴を破った時に山名頼綱から譲り受けた刀。
もう一組は桑名で藤原草太から譲り受けた刀。
因みに黒錦党と決着つけるまで使っていたのは沼津の刀のみである。藤原草太の刀は見事すぎて使うのが勿体なかった。
そしてりんの里で譲り受けた刀は、もっとも立派な拵えをしていた。万が一にも壊したくなかったのである。後々はそれだけの理由ではなくなっていた。そこは推して知るべし、である。
この家に住み着いてからの彼は、気の向くまま街をうろうろしたり昼寝をしたりしてだらけきっている。旅の日影兵衛と同一人物とは思えなかった。
一応道場があるので日々の鍛錬は欠かさなかったのと、何度か出かけてはぼろぼろになって帰ってくる以外には。
何処に何しに行くのかと聞いても答えない。
日影兵衛は座り直すとまたため息をついた。
「どうしたんです、兵衛様。お悩み事ですか」
そう言ってお茶を用意したりんが部屋に入ってくる。鶯色で落ち着いた柄の着物を着ている。髪型は相変わらず乙女島田のままであったが、日影兵衛に興津で買って貰った飾り櫛と江戸に着いてから買って貰った簪をさしていた。
りんはお茶を置いて日影兵衛の前に座ると日影兵衛を見つめる。
「いやな、京でかっぱらった金で暮らしていけてるのは良いのだが、いずれそれも底をつく。俺も何か仕事をせねばとな」
それを聞いてりんは顔をしかめた。
「働くのは良い事ですが、あの、本物の刀を使った仕事は反対です」
「俺も今更用心棒の様な剣客商売などしたくはない」
それを聞いてりんはほっとしつつ庭の方を見た。
「せっかく立派な道場があるのですから、剣術指南をされてはどうです」
「俺は人に物を教えるのが下手なのだ。弟子がみんなお琴の様な奴だったら考えてもいい」
「そんな人は入門されるはずもないし、その辺に転がっているものでもないですよ。では寺子屋とかはどうです。私もお手伝いできますし。これでも江戸に来てから勉強しているのです」
「おりんに働かさせるつもりは毛頭ない。それに人に物を教えるのは苦手だと言っているだろうが」
「ならば兵衛様は元は町人でしたので、そちらのお仕事はどうでしょう」
「あれはものも知らぬ小僧の頃の話だ。商売のしょの字も知らん」
暫くの沈黙が訪れる。
「そうだ、屋台を出して蕎麦屋をやるか。俺は蕎麦か好きなのだ」と日影兵衛はいきなり言い出した。
「え」と耳を疑うりん。
「うーむ。鍼灸師でもいいな。つぼなら多少は心得ている。ああ、それより小田原の村上源内に弟子入りして医者になるか。患者になるのは嫌だが」
「……あの、兵衛様。本気でそう考えているのですか」
「頭に浮かんだ順に言ってみた」
がっくりとするりん。
「まあ、そんなに急にお決めにならなくても。ゆっくり考えてください」とりんが言うと、日影兵衛は立ち上がり、縁側にあぐらをかいて座り込む。
「おりんもちょっとこっちへ来い」とおりんの方を見ずに言った。
「は、はい」とりんは日影兵衛の方へ向かう。
「ここに座れ」と日影兵衛は自分のすぐ隣に招く。
おりんは言われるままにそこへ正座した。
日影兵衛はりんの方を見ずに話し始めた。
「おりん、俺は剣客商売などしたくはないとは言ったが、刀を捨てるつもりはない。いや、己の技、無影剣を極めたい」
「はい」
そんな日影兵衛の横顔をみてりんは答えた。
「それでも俺のそばから離れぬのか」
「……はい」おりんはうつむいて返事をした。
「苦労をかけるぞ」
「苦労だなんて思いません」
「ならば、こんな中途半端な生活はやめるか」
「え」
そう、日影兵衛とりんは江戸に来てから主と下女ではなく、男とその女として暮らし始めていたのだ。
そして日影兵衛はりんの予想外の事を口にした。
「おりん、いつまでも島田髷では嫌であろ。俺はおりんの文金高島田が見たい」
「文金高島田って婚姻の……あの、それは、その……」
「それもこれもあるか。俺がおりんをもらってやろうと言っているのだ。はっきり言わんとわからんのか」
日影兵衛はぶすっとした顔をして言った。照れ隠しなのか、まだりんの方を見ない。
思わず口元に両手指を当てるりん。顔がぽっと染まる。
「ほ、本気でおっしゃっているのですか」
「こんな嘘をついてどうする」
「でも、あの……」
「やっぱり俺が相手では嫌であったのか。なにせ俺は甲斐性なしだからな」
「そ、そんな、そんな訳ないです。私は兵衛様から……兵衛様から離れたくありません。でも私と兵衛さまでは……」
「今更何を言う」
ようやく日影兵衛はりんの方を向き、彼女を見つめた。
「あ、あの」
りんは叶わぬ夢だと思っていた。また下女になってもいい、それでも日影兵衛のそばから離れたくないと。
「……俺もまさか所帯を持つなどと考えたこともなかった。全ておりんが悪いのだ。全くもっておりんが悪い。江戸についてくると言ったおりんが悪い」
「何もそこまで言わなくても……」
りんは顔を赤くして半泣きになりながら日影兵衛を睨んでみせる。
「まあ、何だ。本当は俺が悪い」
日影兵衛はそう言いながら立ち上がると部屋に戻る。
りんはそんな彼を目で追い続ける。
「さあて、真面目に働くとするか。金がなければ話が先に進まん。まだまだ先の話だぞ。だからだな、これは口約束だ。嫌になったらいつでも言えよ。いきなり旅に出るかもしれんのだぞ」
「嫌になる訳ありません。いつまでもいつまでもおそばにいますから。兵衛様が私に愛想をつかすまで」
「そんな日が来ると思うのか」
そう言って日影兵衛はりん里の刀を手に取り、優しい笑みをたたえてりんの方を向いた。
「兵衛様は意地悪だから、本気で言っているのかわかりません」
りんは涙をぬぐって微笑み返した。
「未だ根に持っているのか、この小娘は」
日影兵衛は笑いながらりんのそばに行き、りんに右手を差し伸べた。
りんはその手を取り立ち上がる。
左手にはりんの里の刀。いや、りんの刀を携えて。
右手はりんの手を握りながら。
日影兵衛は空を仰いだ。つられてりんも空を見上げる。
「良い天気だな」
「はい」
ふたりはしばらくそのまま空を眺めていた。
日影兵衛の東海道の旅は終わりました。
しかし、これからおりんとの暮らしが始まります。
そして大阪に向かったふたりの決着は……
一応、まだまだ話の続きはあるのです。
それがどうなるかは、どうしましょう。




