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第二十六話 下衆の剣 東野塔平

 佐々木琴はこちらへ向かってくる複数の足音に気がついた。橘遊侠(たちばなゆうきょう)の娘を抱えたまま蔵の奥に行き、その娘を隠すように横たえ羽織をかける。

 そして蔵の中央まで駆け戻ると同時に十数人の盗賊が入ってきた。

 「さて、そこの鼠。女を何処に隠した」盗賊共のひとりが下卑た声で佐々木琴に言葉を吐く。

 「貴様ら、まだどうこうしようとするつもりか」

 佐々木琴の声には怒りが満ちていた。

 「おお。男の格好をしているが女だったのか。これまた上玉だ。女がふたりとはいい塩梅(あんばい)だ。お前はまだ殺さん。俺は東野塔平という。最後の最後まで覚えておけ。命を落とす時に俺の名前を叫んでくれよ」といやらしい笑みを浮かべた東野塔平と名乗る男が言う。

 「地獄で言ってろ」

 そう言う佐々木琴には臆したところがない。

 「お前ら、傷をつけるなよ。綺麗なまま捕まえろ」

 そう言われた手下どもも虫唾が走る様な笑いをしながら佐々木琴に近づいてくる。

 「最初に大将が手ぇ出すのを見てなきゃならないのは我慢できねえなあ。やっちまうか」東野塔平は舌なめずりをしながら佐々木琴をいやらしい目付きで見る。

 「まあいいわ。やれ。刀を奪えばそれで(しま)いだ」東野塔平がそう言うと、手下共か佐々木琴に殺到してきた。

 (私がやられたら、あの娘も。負けられぬ。だが)と、佐々木琴は敵の攻撃を交わしながら立ち回る。

 しかし敵が刀を振るうたびに着物が切り裂かれていく。

 「はい、お前減点」東野塔平は佐々木琴に傷を追わせた手下に向かって言う。

 佐々木琴は完全に(もてあそ)ばれていた。

 小袖と(はかま)がずたずたになっていく。

 「このっ」佐々木琴は周りに取り囲まれる前に後ろに飛びずさり、そのぼろぼろになって邪魔になった小袖を無理やり剥ぎ取り敵に向かって投げつけ斬り捨てる。

 佐々木琴の上半身は胸に巻いた(さらし)だけになってしまった。

 「はははは。自分から脱ぐのか。諦めたか、お前ら押し倒してしまえ」

 (まだ隙がある。斬れる。だが全員は)そう思いながら寄って来た一人を斬り倒す。佐々木琴は肩で息をし始めた。後ろの娘が気になってしょうがなかった。

 (あの時日影殿に大見得を切ったのにこれでは。その上またおりんの時の様に)

 戦で休み休み戦うのかと言った自分が甘かったと痛感する。

 そこで不覚にも佐々木琴は足に峰打ちをくらい尻もちをついてしまった。

 「こんな時に上の空か。ふたり倒したのは認めてやるがもう終わりだ。転ばしたお前、八十点。お前ら峰打ちででも傷つけるなよ。取り押さえろ」と東野塔平が言うと手下共は一気に間合いを詰めてくる。

 そこにいきなり、どでかいものが扉から突っ込んできた。

 「儂の女をひん剥いた奴はどいつだあ」

 それは背後から東野塔平の胴をなで斬りにする。予想外の攻撃に東野塔平は声を出すこともできずに転がり倒れた。

 前田主水である。

 手下共の注意が前田主水に向けられた時、咄嗟(とっさ)に佐々木琴は立ち上がった。

 「いつお前の女になったというのだ、このけだものめ」

 佐々木琴はそう言いながら敵を斬りつける。

 「わははは。細かいことは気にするな。それより儂の女の肌を見ていい男は儂だけなのだあ」

 無茶苦茶な事を言いながら前田主水は次々と敵を斬り倒していく。

 「だから儂の女とか言うな」

 強力な加勢を得た佐々木琴は最後の敵を斬り捨てた。

 そして「お、お前に見せる肌などもうない。恥ずかしいことまで言うな」と座り込む。

 前田主水は佐々木琴の小袖を拾い「こりゃひどく切り裂かれたものだ」と言いながら彼女に羽織らせた。

 「す、すまぬ。も、主水、助かった。私一人では無理だった……」

 佐々木琴は前田主水の顔を見つめてそう言った。彼女は初めて彼を名前で呼んだ。

 「む、怪我をしているではないか。見せてみろ」

 前田主水に怪我をした腕を取られた佐々木琴は「ちょ、ちょっと待て。私は後にしろ。あの娘の様子を見てくれ」と言いつつも前田主水の手を振り払わなかった。

 「わかったよ。動くなよ。傷に悪い」そう言いながら奥にいく前田主水を後ろに、佐々木琴は小袖で胸を隠すようにした。

 「なんなんだ、あいつはもう」

 彼女はそう言ってため息をついた。

 そこへ蔵の中にひとつの影が入ってきた。それに気づき身構える佐々木琴と前田主水。しかし肩の力が一気に抜けた。

 「その娘は私に任せてください。早く日影殿達の加勢を。私は戦いませんよ、護るだけです。なので後で怒られたら、危ないことはしなかったと口添えをお願いします。そちらの方が怖いのです」

 その影、永山宗之介は情けない顔をして言った。

 

 「大村兄弟、その外道はくれてやる。後ろは気にするな」日影兵衛はそう言い放った。

 「俺らが戻るまで死ぬなよ兵衛」大村右近はそれに答える。

 「余裕をこくな。貴様のちんけな技はもう見切っているぞ。俺達二人を相手にもう手は出まい」近衛重郎がそう言う。

 「そう思うならいつまでもそう思っていろ」と日影兵衛は静かに言いながら、ゆっくりと蔵の中に足を踏み入れた。

 「その構えか。無駄なことを」米原暮波は日影兵衛がだらりと腕を下げた姿を見てそう言った。

 彼らふたりはもともと無影剣を受ける気がない。日影兵衛の間合いの外に逃げるだけであったのだ。

 米原暮波の言葉が終わったその瞬間『うおん』という風を斬る様な音がした。

 近衛重郎が胴薙(どうな)ぎにされて崩れ落ち、周りにいた手下共全員から一斉に血煙が舞い上がる。米原暮波も袈裟斬りにされ血を噴いて倒れた。

 斬るのを邪魔した敵の刀は全て切断されてがしゃりと地に落ちる。

 米原暮波の亡骸(なきがら)のそばに現れた日影兵衛はその場で片膝をついた。

 「神足、千鳥(ちどり)、月光。我ながら無茶をしたもんだ」

 日影兵衛はそう言うと大村兄弟のほうへ目をやった。

 日影兵衛の放った技は日影残真流の千鳥と言う歩法で神足の軌道を変え、月光の横薙ぎを連続で繰り出したものである。蔵の中を神足で縦横無尽に駆け回った様なものだ。

 人間技とは思えない。

 その為に日影兵衛の身体にも大きな負担がかかってしまったのだ。敵とともに倒れなかったのが不思議なくらいである。

 「雑魚さえいなければ集中できるだろう。(しばら)く休ませてもらうぞ。右近、左近」

 日影兵衛はそう言って片膝をついた姿勢のまま大きく息をついた。

 

 「敵は三人か。つまらんなあ。実につまらん。まあいいか。十分楽しませてもらうぞ」

 桑原一心(くわばらいっしん)はそうほざいた。

 「貴様は最も許せん」

 「ただで死ねると思うなよ」

 大村右近は脇構えをとり、左近は正眼に構える。

 「ただで死ねないのはお前らだ。ゆっくりと斬り刻んでやろう。兄貴がなぶられるのを見たいか、それとも弟か」

 その瞬間、大村右近が消え桑原一心の左脚が裂ける。

 大村右近は桑原一心の背後に現れた。

 「兄者の無明剣を()けるか」と大村左近。

 桑原一心が受けた斬撃はかすり傷を与えただけだった。

 「無明剣、何だそれ。今のがか」桑原一心は動揺することもなく言い放った。挟み撃ちの状態になった事も気にしていない様子である。

 「この場合、やっぱり前から斬るよな」そう言って無造作に大村左近の方へ刀を向けた。

 それに合わせて大村左近は脇構えに型を変える。

 「ばぁか、今度は糸くず一本も斬らせまい。前後同時にかかってきても良いぞ」

 桑原一心はそう嘲笑して刀を振り上げた。

 その瞬間、桑原一心の背後から見えない突きの連撃が放たれた。

 渾身の無明剣二式。

 日影兵衛の斬月と同じく高速移動はしない。上半身がぶれて見えなくなるのだけは同じである。斬月とは違い無数の突きを叩き込むのだ。

 桑原一心は後ろに目があるかの様に初撃を躱して振り返りざまに大村右近を叩き斬ろうとした。

 だが、もはや遅かった。

 いや、大村右近の攻撃が速すぎた。

 止まらぬ連撃の突き。大村右近の全身がぶれて見える。

 それを喰らい桑原一心の体制が崩れた。

 大村右近の放った無明剣二式は仙石峽座衛門せんごくきょうざえもんに放った時より、速度も回数も格段と違った。大村右近の両腕から血がほとばしる。あまりの動きに腕が耐えられなくなってきたのだ。

 己の限界を上回る無明剣二式。残り全ての突きが桑原一心を刺し貫いた。

 そこへ背後から大村左近の袈裟斬りが放たれた。

 「ひゅうおああ」

 桑原一心は奇妙な叫びとともに崩れ落ちる。

 しかし。

 「げへっげへっげへへへへ」という笑い声と共にそれでも立ち上がろうとする桑原一心。

 「これでもまだ死なぬのか」と驚愕する大村左近。

 「なぶり殺ししてやりたい所だが、お前と同じ地獄へ行くのは御免だ」

 大村右近はそう言うと、桑原一心の首を斬り飛ばした。

 

 「お前ら頭と頭が繋がっているのか」と、何とか立ち上がった日影兵衛。

 「まあ、兄弟ですし、私が無明剣を使えない分色々と」と苦笑する大村左近。

 「左近は俺よりこずるいし、人の考えを読むのがうまいからな」と大村右近。

 「それでは詐欺師ではないですか」

 そう言いながら三人は桑原一心の部屋から出ると、最後の蔵の前まで向かった。

 「さて、まあ刀が振れぬほど敵は詰まってはいないだろう。今まで通り、策無しで行くか」と日影兵衛が言った。

 「無影剣は後何度使える」大村右近が問いかける。

 「後一、二回だな」

 「嘘をつくなよ。ならば大蛟如水(おおみずちにょすい)だけ狙え。雑魚は俺達が始末してやる」そこまで言うと、駆け寄って来るふたつの影を見つけた。

 前田主水と佐々木琴である。

 「お前ら、女を護っていろと言っただろう。それに主水、何故お琴を止めない」

 「いやあ、強力な助っ人が来たのでな」

 「強力な助っ人だと」

 「守りに関しては、私達より数倍上だろう」

 「何故知らせた。お琴、左近。それに何故俺達に黙っていたのだ」

 「ここで我らが破れたら次は中山屋が狙われると思いまして、気を付けてくれと伝えただけなのですが。まさかここまで来られるとは思っても見ませんでした」と大村左近が答える。

 「これから店を切り盛りせねばならぬと言うのに、永山殿は何を考えているのだ」

 「松平康治郎の一件もあるぞ。何だかんだで血の気が多いのだ」

 「そうだった。厄介な男だ。おたけも苦労するだろう。それよりお琴、何だその格好は。女としてどうかと思うが」

 「日影殿も見るな。私の着物はボロボロになってしまったのだ。仕方あるまいだろ」

 「まあ、先鋒は儂とお琴と左近殿で。日影殿と右近殿はよれよれに見えるぞ。それに右近殿は両腕が血まみれだ」

 「一応言っておくが、斬られた訳では無いぞ」と大村右近。仙石峽座衛門せんごくきょうざえもんの時といい今といい、大村右近も日影兵衛と同じくらい負けず嫌いの様である。

 「そんな事はどうでもいい。血まみれには違いない」と言いつつ、前田主水は扉を調べる。

 「鍵がかかっておらぬな」

 「誘いか間抜けか」と大村右近。

 「これだけ話し込んでも開けないとはお誘いの様ですね」と大村左近が扉を見ながら言う。

 「お琴、左近殿、開けてくれ。まず儂が一撃くれてやる」前田主水は刀を構えた。

 「まあよし。大蛟如水を斬る。行くぞ」

 その日影兵衛の言葉を合図に扉が開かれた。

 

 「思った通り」

 扉が開いたと同時に盗賊五人が斬りつけてきた。

 前田主水がそれを難なく吹き飛ばす。

 先鋒の三人が蔵の中に入って行く。そして扉の前を固めた敵を前田主水、大村左近、佐々木琴が掃除した。

 それに続いて日影兵衛と大村右近が蔵の中に踏み込む。

 「思ったより少ないな。右近、あのでかいふたりは」

 「知らん。後から入ったか、金で雇われたか」

 前田主水の体格を上回るふたりの男、六角棒を両手に携えた方が葛木阿形(かつらぎあぎょう)、身の丈より長い大太刀を手にしてるのが葛木吽形(かつらぎうんぎょう)という双子の浪人である。どちらの武器も間合いが広い。

 ふたりの周りには手下がいない。うっかり間合いに入って葛木阿形、吽形の攻撃の巻き添えになりたくはなかったのだ。

 そこで「私に大太刀の木偶の坊の相手をさせてくれんか」と佐々木琴が言い出した。

 「なにを言っている。先程散々な目にあったであろう。ひとりでは無理だ」と前田主水が止めようとする。

 「私はお前たちと出会ってからからろくでもないことばかりしている。失敗ばかりだ。ここに来ても主水の手を借りられなければ負けていた。しかし主水、お前が私の背を護ってくれるならば問題無い。勝てる。信じろ主水、お前が居ればだぞ」

 「頼りにしてくれるのか、お琴。儂でいいのか」

 「に、二度言わせるな」

 「よし、任せろ。雑魚は一匹たりともお琴に近づけはせん」前田主水の鼻息が荒くなった。

 「兄者、では私が六角棒を頂きます。私はここへ来て殆どなにもしていないのです。それに兄者は斬られた訳でもないのに血まみれです。はっきり言いますよ。今の兄者は邪魔です。雑魚でも片付けていてください」

 「俺が邪魔だと。言うようになったな左近。まあいい、許す」と大村右近。その両腕から血がぽたぽたと床を濡らしていた。

 「俺はまっすぐ大蛟如水の所まで行くだけだ」

 日影兵衛のその言葉が合図になった。

 五人は敵へと疾走(はし)りだす。

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