第二十一話 不落の剣 春日井伝次
長くて短いような夜が明けた。
気難しい顔した日影兵衛と青ざめた永山宗之介、ばつが悪そうな顔をした前田主水としおしおになっている佐々木琴は、一番でかい旅籠の一番広い部屋に入っていった。
「逃げ出さずに来たか。もうふたりはまだか」そう言った日影石流斉の背後には十人の亀山藩の侍が座っていた。
「所で何故お前まで来たのだ、佐々木の。女を護ると言ったから連れてきたのだぞ」と日影石流斉が咎めた。
「私も参加する」
「駄目だ」
「女だと侮っていられるのか」
「いや、お前の力量は認めておる。それどころか剣の天分があると見た。お前は強い。まだまだ強くなれる」
日影石流斉は日影兵衛と同じ様な事を言った。
「ならば何故」
「お前は人を斬った事が無いであろう。此度ではそのような者を仲間にするほど生易しいものではない」
「うっ」と言って佐々木琴は一歩下がった。
「出てゆけ」日影石流斉の有無を言わせぬ言葉を受けて、顔を歪めた佐々木琴は部屋を出ていった。
そして佐々木琴と入れ替わりにふたりの男が入って来る。
「丁度いい。わしらと共にするのはこのふたりだ」日影兵衛達三人は振り返る。
「大村右近だと」
「もう一人は黒頭巾ではないか。儂はもう一度死合う。馬鹿にされて引っ込んでいられるか」
「俺は松平康治郎という。黒頭巾はやめろ」
「なんだ、知り合いであったのか」と日影石流斉。
「そうだ大村右近、加神峰惣治と加神峰順治、宮坂小吾郎と皆本俊輔、言峰千里という黄錦党を倒したが役に立つか」
「加神峰惣治と加神峰順治だと。自分で倒したかったが、探さずに済んだ。他の奴らは知らん。黒錦党と黄錦党が袂を分った後に入った奴らか雑魚だ。俺は黒錦党と黄錦党に別れる前からの連中を探している。ここにいるのなら素通りはせん」
「何故、松平康治郎がここにいるのですか」と永山宗之介。彼も前田主水と同じく戦った事のある相手だ。
「謹慎されていたのだが、雲行きが怪しくなってな。それで出奔した。江戸にいくわけにもいかないし、中途半端で死ぬつもりもない。ここで更なる極みを得るつもりなのだ。戦など早々体験できるものではない。切腹で死ぬより遥かにましだ」
と松平康治郎はそう言って指で自分の腹を斬るように滑らせた。
「永山殿、前に言った露払いとは大村右近、こいつの事だ」
「では……」
「露払いとはなんの事だ」と大村右近。
そこで日影石流斉はごほんと咳払いをした。
「まあ座れ。出発は明日の朝一番に決まった」と難しい顔をした日影石流斉が言った。
「敵の巣穴はどこだ」と、日影兵衛。
「筆捨山のそばの山村だ。奴らに襲われて乗っ取られた」
「策はあるのか」
「策というほどのものはない。我ら六人で親玉とその取り巻きを倒す。亀山のは討ちもらした雑魚を片付けて貰う。良いな。亀山の」
「心得た」
「いい加減だな」と気にした様子もなく日影兵衛は言った。何も問題は無いように。
「しかし大村右京と松平康治郎か……勝ち目が見えてきた」と呟く。
そして話し合いが始まった。
その夜。
日影兵衛はまた窓際に座っていた。今度は窓を開け煙管をふかしている。そしておりんに「出発は明日の朝一番に決まった」と告げた。
「では」と頬を少し赤らめたりんが帯を解こうとする。
「それはもういい。望まぬことを無理にするな」
「望まぬ事ではありません」とおりんは言った。
「昨日の事は忘れろ、と言っても無理か。おりん、お前を必ず京へ連れて行く。勝ち目が見えた。こんな所で死ぬわけにはいかん」
「ほ、本当ですか、日影様……あの、ではおそばによって寝てもいいですか。前見たく手を……」
「なんだ童に戻ったか」
おりんは日影兵衛の枕に自分の枕を添えた。
「昨日は沸切らぬ事ばかり申し上げてすみませんでした。私は必ず生きて帰ります」と永山宗之介はたけに告げた。日影兵衛と同じく永山宗之介にも勝ち目が見えたのだ。
「それは……」
「こう言ってはなんですが、あなたを生涯守り通す事に決めました。用心棒は辞めです。助平と呼ばれても構いませんよ。一緒に京へ行きましょう、おたけ様。行かず後家になどしません」
たけはうつむいた。目から涙がこぼれそうなのを見られない様に。
「それは……では死なないと言うのは本当ですね。お待ちしています。お待ちしておりますから」
前田主水は佐々木琴に告げた。
「昨日はあんなことをしてすまなかった。するつもりはなかったのだが、負けるかもしれぬなどと思ってしまった。必ず生きて帰る事に決めた。黒頭巾と決着をつけねばならん」
「そ、それはもういい。気にしていない。生きて帰るならそれでいい」と少し頬を染めた佐々木琴は答える。
「それより前田殿にお願いがあるのだが」
「あんなことをした手前だ。できることなら何でもするぞ」
「あの、無理は承知の上ではあるが……」
「お琴らしくないな。云うてみろ」
「それは……」と佐々木琴は話し始めた。
「なんだと、死ぬかもしれんぞ」
「覚悟の上だ」
「しかしだな」
「手篭めにしたくせに」
そう言われると前田主水は何も言えなくなった。
翌朝、六人と亀山の侍十人が揃った。
「では行くか」と言って日影石流斉は先頭を進む。日影兵衛は藤原草太の刀を身にまとっていた。他の四人も覚悟を決めた顔をしていた。
そして彼らは黄錦党の巣救う廃村の見える位置まで到達する。
「なかなか広いな」と松平康治郎。
「わしと兵衛、大村右近、永山宗之介は中央突破だ。派手にやり敵を引き付ける。松平康治郎は左手、前田主水は右手の小路をお願いする。但し勝ちが見込めない敵と出会ったら、わしら中央と合流だ。逃げろ。亀山のはわしらが取りこぼした輩を叩け。親玉は村長の家か一番でかい庄屋に居ると見る。これで良いな」日影石流斉はそう指示した。
「これも何もねえ。しかも配置をここで決めるとはいい加減だな」と日影兵衛。
「町並みを見ての事だ。では行くぞ」
十六人は黄錦党の本拠地に乗り込んだ。
日影兵衛と大村右近が入り口を護る盗賊をいきなり切り飛ばす。それを見た護り手が叫びながら殺到してきた。
これが戦いの合図だ。
日影兵衛達が突き進んだ大通りに大勢の山賊共が現れ、襲いかかってきた。
彼らはそれを切り飛ばしながら進む。
「うおおおお」
気合のこもった叫びとともに前田主水は突き進む。敵が間合いに入ろうが入るまいが関係ない。
前田主水と顔を合わせた盗賊どもは、斬り殺されるとかどうとか以前に吹き飛ばされて壁や木々に激突する。
「雑魚ばっかりじゃねえか。外れを引いたか。しかし、お琴に教えるべきではなかった」
少し後悔しながらも前田主水は止まらない。
「これなら儂が一番乗りだ……っとと」いきなり前田主水は立ち止まった。
進む方向からひとりの男が歩いてくる。口元の黄錦党の印は付けているが、獣皮の袖なしの袢纏よような物を着ている。下半身は股引きだ。
「なんだ、猟師か何かか」そう言う前田主水は刀を構え直す。その男が現れた途端盗賊共の雑魚が姿を消していた。辺りには倒された盗賊の死体しかない。他のものは中央の大通りに向かったようである。その男に任せれば問題ないかというように。
(けったいな格好をしているが只者ではないな)
その男はずらりと刀を抜いた。
「ちっ、外れかよ」その男はそう言って唾を吐く。
「誰が外れだと」
「ここにはお前しかいないだろうが。外れの上に阿呆か。この木偶の坊」男は前田主水を挑発し続ける。
男の名は野中獣郎。刀を構えつつも、ゆらりゆらりと身体を揺らしながら近づいてくる。
「なんだ。酔っ払いか」
前田主水は挑発に乗らなかった。じっと正眼の構えを取る。(ふらふらしてやがるが隙が無い)そう思いながら彼も間合いを詰める。
いきなりふたりは激突した。ふたりの前後が入れ替わる。瞬時に振り向きまた対峙する。
「なるほど」と言う前田主水の頭には永山宗之介の剣さばきが思い浮かんでいた。
「貴様」そう言った野中獣郎の手元が痺れて震えている。
前田主水の斬撃を受け流したつもりが、その剛剣を防ぎ切れなかったのだ。
「黒頭巾程ではないな。技も永山殿に劣る」
「何をわけのわからぬことを」
再びふたりは飛び込んだ。
「がきゅいん」という音が響き渡る。そして壁に激しく叩きつけられた様な音がした。
「外れはお前の方だったな」
そこに立っていたのは前田主水であった。
野中獣郎は頭から壁に激突していた。その頭は原型を留めぬほど潰れている。
「しかし、余計な土産を貰ってしまったな」そう言う前田主水の右肩に野中獣郎の折れた刀の切っ先が刺さっていた。前田主水はそれを無造作に引き抜く。それと同時に着物の肩口から血が吹き出したが、前田主水は腕をぐるぐる回すと「まあ、大したことはない」と言って先へと駆け出した。
「石流斉殿に気が付かれないようにするためとはいえ、これはないぞ」
そう言って佐々木琴は茂みの中から姿を現した。身体や美しい髪に木の枝や葉っぱを絡ませて、うっかり汚れた腕で拭ってしまったのか、顔に泥を擦った様な跡がある。
そして気配を殺しながら村の中へと入っていく。
いきなり目に入ったのは十人余りの盗賊とふたりの亀山の侍の惨殺死体であった。
佐々木琴は思わず腕で口を覆う。
(これが斬られて死ぬということか)
そう思いつつ、町中を見る。再び転がった死体に目をやると「真ん中か、左か、右か」と呟いた。その頭に前田主水の顔が浮かぶ。
「何故あのけだものは仲間の配置まで教えてくれなかったのだ」そう言うと左の方へ駆け出す。中央はひとりでは無理だと判断する。盗賊の死体が多すぎた。左を選んだ理由はない。思うままだ。
しかし、角を曲がるといきなりふたりの盗賊と鉢合わせした。
「なっ」と佐々木琴。
「こんな所にまだいやがった」
同時に声があがる。
佐々木琴はすかさず抜刀したが、手足が震えている。
「こいつ、あの侍共より弱そうだな。女か」とふたりの盗賊が佐々木琴に刀を向けた。
佐々木琴の頭の中が真っ白になる。自分が叫び声をあげているのも気が付かなかった。斬撃が疾走る。
そこには刀を振り下ろしたまま肩で息をしている佐々木琴と斬り倒されたふたりの盗賊の死体があった。
今まで感じたことのないものが身体を駆け巡り、佐々木琴は我に返った。
「こ、これが、人を斬ったという……」そう呟いた佐々木琴は刀を持った手を動かせないでいた。
「こんな所でもなければ人を斬る場所など無いではないか」そう言いながら佐々木琴は前へと歩き始めた。
松平康治郎は窮地に陥っていた。
五人の盗賊に前を塞がれたのである。
(この四人だけならば倒せそうだが)
そう思う彼の前には異様な格好をした者がいた。時代遅れか何なのか、全身に赤い鎧兜を纏った男である。名を春日井伝次という。
(動きは鈍そうだ。なんとか一旦下がれるか)
松平康治郎は他の四人に目をやる。その四人はじりじりと彼を取り囲む様に動いていた。
(無理だな。ならば先にこの四人を)
いきなり松平康治郎はその場で回転した。その奇妙な動きについていけなかった四人の盗賊は血しぶきをあげて倒れ込む。
(柳生一心流奥義、円月輪。馬鹿げた技だと思っていたが)そう思いつつもその勢いのまま残る春日井伝次に刀を叩き込むが、その鎧に弾かれた。
「けったいな技を使う。だがこの鎧は斬れぬ様だな」
そう言いながら春日井伝次は松平康治郎を胴薙ぎにしようとする。
(やはり鈍い、防げる。鎧通しを使えば勝てるかもしれん)そうして春日井伝次の攻撃を刀で捌こうとした瞬間、ありえない声を聞いた。
「松平殿ぉ」佐々木琴の叫び声。それを聞いた松平康治郎の動きが一瞬止まった。そこへ春日井伝次の一撃が入った。
「おおお」という声をあげて松平康治郎は農家の塀に叩きつけられた。そのままずるずると腰を落としていく。その腹は深く斬り裂かれていた。
「ああっ」
佐々木琴は自分がとんでもない事をしてしまった事に気がついた。彼女は松平康治郎のもとまで駆け寄る。
「すまぬ、私が……」
「俺が未熟だっただけのことだ。それより敵から目を話すな」
佐々木琴はその言葉を聞いて春日井伝次の方へ刀を向ける。
「ははは。女のくせに剣士を気取るからだ。その男はお前が殺したも同然だ」春日井伝次の嘲笑が耳を突く。
「ううっ」と呻きながらも佐々木琴は刀を頭上に振り上げた。
「そういうことをするから仲間を殺すのだ。兜割りでもする気か。兜割りとはどれだけ兜をへこませられたか見るものだぞ。非力な女のお前の刀では一寸も潰せまい」春日井伝次は佐々木琴などいつでも切り殺せると、余裕を見せて講釈をたれた。
「どれ、やってみろ。しくじったその時お前は死ぬ」
佐々木琴は無言のまま息を吸い込み、刀を振り下ろした。
春日井伝次は次の瞬間、真っ二つになり崩れ落ちた。
「日影残真流奥義、月光……」
日影兵衛に見せて貰った技である。一度見ただけで使いこなすとは。
佐々木琴はそう呟くと、息を吐き出し松平康治郎のもとへ駆け寄る。
「凄いなお前……」となんとか声を出す松平康治郎。
「すまぬ、すまぬ、私が勝手ばかりしたために」
「気にするな。それより身を隠すか、石流斉殿と合流しろ。俺の事は捨て置け」
「しかし、しかし……」松平康治郎の腹に手を触れた佐々木琴の手のひらはべっとりと血に染まった。
「触るな、痛い。大丈夫だ、俺はまだ死なん。兵衛達がすぐ戻る。お前、死ぬなよ」
その言葉を聞きつつ佐々木琴は自分の着物の胸元をはだけると、胸に巻着付けていた晒を取り外し「すまぬ、すまぬ」と言いながら彼の手当をし始めた。
「ちらちらと胸が見えるとは、その方が目の毒だ。まずは胸元を整えろ」そう言って松平康治郎は笑って見せた。
「しかし切腹が嫌で出奔したくせに結局腹を斬る羽目になるとは、やはり笑えんわ」
彼はぼそりと呟いた。