幻影:B男
「世界をひっくり返す程の、キラーアプリを作ってやる!」
俺、諏訪洋一は希望に燃えていた。
早くから人生経験を積む為に、高校生の時から幅広くアルバイトを経験した。
高校1年はファストフード店のレジカウンター。
高校2年はコンビニ。
高校3年は受験勉強に専念。
大学1年はファミレス。
大学2年は店舗清掃員。
大学3年は工事現場の誘導員。
大学4年は卒業研究に専念。
合間合間で、イベントスタッフ、警備員、リゾートバイト、引っ越し作業員、といった具合。接客から裏方まで、何でもかんでもこなし、がむしゃらに吸収した。
趣味と実益を兼ねて、自転車(ロードレーサー)に乗る。地元のプライベートチームに所属している。トレーニング目的で、通勤はいつでもどこでもロードレーサー。
努力と幅広い経験が高評価で、粘り強さを期待され、第一志望の某ソフト開発会社に入社した。
入社時の身体検査に異常は無かったが、1年間のOJTの間に、右手がシビレるようになった。原因は不明だ。
当初は違和感程度で済んだが、OJT終了時には、マウスもキーボードも思うように操作できない。
同期の奴らには、それをイビられた。
同期で一番プライドが高い遠藤は、特に酷かった。
特に許せないのが、遠藤の担当業務を、言葉巧みに俺に丸投げした事だ。ヤツは定時で上がるのに、俺は午前様。それなのに、話はあべこべに広まり、周囲の認識では、俺の担当業務を遠藤が手伝っている事になっている。
「俺様は賢くて効率が良いから、定時で仕事が終わる。お前は鈍クサイねぇ、今日も午前様かい?お前の業務を引き取ってあげたのに、このザマか。この給料泥棒め。」
イライラが募るようになった。
OJTが終了し正式に配属されて間もない、2年目の4月中旬の事。
普段はロードレーサーで通勤するが、その日に限って早朝から大雨。徒歩で駅へ向かった。
途中の歩道は、雨の日に滑りやすい箇所がある。予告板によると、近々着工するらしい。
それをぼんやりと眺めながら歩道を歩いていると、車が水溜まりを踏んで、飛沫を上げた。
うをっ!
避ける瞬間、身体がフワッと宙を舞い、直後に右腕全体に激痛。
足元は例の滑りやすい箇所なのが災いして、無理な体制で避けたせいで、足を滑らせたのだ。
起き上がろうと右手をつくが、右腕はまるで動かない。
あれ?明らかにおかしい。
左腕だけで、取り合えず体を起こした。
急いで救急車を呼び、次いで会社に状況を報告。事情を酌んで傷病欠勤にしてもらった。
救急での診断は、右肩腱板断裂と、右肘部尺骨神経障害。
より重大な、右肩を先に治療した。
右肩腱板再建術式。
術後の最優先事項は結合すること。右肩は特殊装具を使ってガチガチに固定された。
装具を外してからは、長いリハビリ。
固まった肩関節をほぐすことから始まり、衰弱した筋肉をつけるために筋トレへ移行、初めは理学療法士に介助してもらい、無負荷、軽い負荷、腕の自重、加重あり、と徐々に運動強度を高めていった。
『日常生活には支障ない』までに回復した。のだが、、、
「100%元通りになることは、決してないよ。これをもって症状固定で、治療は終了。以後は経過観察。」医者は冷たい。
言葉通り、右肩は可動域が狭まり、疲労しやすくなった。右肩を激しく使うスポーツは、二度とできないことを意味する。
競技者としてのロードレースは卒業、プライベートチームは事実上脱退した。
右肘部尺骨神経障害で、問題が起きた。
ミスタイプが格段に増加、マウスは意図したところをポイントできない。
職業的には致命傷だ。
ところが。。。
「医学的所見なし。」
神経が障害されると、通常は伝達速度が遅くなる。
検査してみると、右肘は正常範囲。
検査で異常が見つからないと、医者は決して治療へ進まない。症状を訴えても、仕事に支障があると訴えても、覆らない。無症状の人にメスを入れる事になり、医療行為の範疇を逸脱するそうだ。渋々受け入れた。
遠藤は、リハビリ中もイビる。
装具で右肩を固定しているときは、手術個所にわざとぶつかり、装具を外してからは右腕を引っ張っては振り回し、治療を妨害した。
上司に訴えても信じてもらえない。指導員だけは俺の味方で信じてくれたが、社内の政治力で握りつぶされた。
それどころか、巧みに人目を盗んでの犯行なので、証拠も目撃者も無いのに、遠藤を責めたせいで、俺が悪者扱いされた。
社内では悪い噂が駆け巡り、俺は性悪で協調性なしというレッテルを貼られた。
そのうえ、仕事は以前にも増して遅い。
技あり2つ、合わせて一本!
退職勧告を受け、辞表と解雇の二択を迫られた。
泣きながら、辞表を書いた。
ただ辞めるだけでは、一方的な俺の負けだ。あまりにも悔しいじゃないか。
置き土産とばかりに、俺は退職日に、社内放送で、ある音声を流した。
遠藤が俺をイビる声。それに続く俺の猿芝居。
「1階の男子トイレでイビルとは、卑怯だぞ。それも〇月〇日かよ。」
社内に激震が走った。
そう。
俺の罠だ。
遠藤をおびき寄せるためにひと芝居うって、俺は1階トイレでわざと孤立した。
まんまと罠にかかった遠藤は、俺をイビり、声はスマホに録音した。
通常はあり得ない事だが、特例で、1階男子トイレの内外には、極秘で監視カメラを設置してある。俺の入社間もない頃、1階男子トイレから泥棒が侵入した。指導員は、総務部に合意を得て、数日前に監視カメラを設置した。その存在を、こっそり教えくれた。
俺の猿芝居は設置日の翌日を指している。
総務部が慌ててその日の防犯カメラを確認して、遠藤が俺をイビる姿がバッチリ映っていた。
それどころか、想定外の物まで。
俺をイビった後に、遠藤が会社の備品をトイレの窓から横流しする姿。
外には連携する仲間も映っている。何と退職した元先輩社員。
家宅捜索で発見されたものを以て、遠藤たちを尋問したところ、過去の侵入者は先輩で遠藤は内通者だと自供した。
遠藤と先輩は、窃盗,不法侵入,器物損壊など諸々の罪で逮捕された。遠藤は俺に対する傷害罪も追加。二人は晴れて塀の中へ転居した。当然、懲戒解雇。後に会社と俺は損害を賠償させた。
退職勧告は撤回されたが、俺は辞意は貫いた。
遠藤が俺をイビった理由は、ひどく子供じみていた。
キーパーソンは同期の女性A子。
同期の中では一番の美人で、性格も良い。誰からも好かれた。
OJTのある日、A子が重大なミスを犯した。運悪く指導員も誰もフォローできない事態に。偶然俺に暇ができて、フォローは成功、ミスは帳消しとなり、A子は不問に付された。
お礼として、A子のおごりでディナーに行った、その店を出たところで、遠藤と遭遇した。
俺の活躍に対する嫉妬。
もう一つ。完全に誤解だが、俺が遠藤より先にA子に手を出したことへの嫉妬。
俺様が一番と豪語する遠藤の、プライドが許さなかったのだ。
聴いていて、アホらしくなった。奴の幼稚な嫉妬に巻き込まれ、俺は挫折させられたのか。
せめてもの慰みは、遠藤は返す刀で、自身の人生を棒に振った事。自業自得だ。
2年を持たずに、俺は無職になった。
まぁ、いいや。あの会社が膿を出し切って良くなるなら、元指導員への恩返しになるだろう。俺は戻る気にはなれないが。
同業他社へ行こうか。
異業種へ乗り換えるか。
どちらを選ぶにしても、しばらくは自宅療養と洒落込もう。右手は未だ爆弾を抱えている。