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20.08.22 ぼく達のいない冬について話そう

作者: 霽藤 聖



 割れたガラスを踏む音が、教会内の静寂を支配した。


 「何がそんなに気に食わないの? ちゃんと助けが来るわよ」硝子ショウコは床に散らばったガラスの破片を素足でどかしながら、テディにそう言った。

 「全部が気に食わないよ! ここの嫌に静かな雰囲気も、かしこまった決まり文句も!」テディは叫んだ。

 例え、その声が硝子にしか聞こえないとしても、既に死に絶えた彼には叫ぶ以外に何も出来やしない。

 彼女としてもテディのわがままにはこなれたものだった。彼が叫べば世界の悲鳴が教会内に轟いて、空気中の生物も怒りを孕んだ大地さえも彼を意識せずにはいられないような雰囲気に感じた。


 教会の外は雪が降っていて、世界はまっ白く輝いていた。生き生きとした少年少女は空に口を開けて、雪を食べていた。小さくて白いお粉が空からぽろぽろと降ってきて、可愛くて優しい人たちのピンク色の口の中に含まれていく。きっとこの優しさが、この小さな人たちにとって邪悪を生み出す種にはならないはず。周りのお母さんたちは「おばか」と微笑みながら細く傷の無い指で、自らの子供の小さな額を小突いた。


 「そんな事言わないで。わたしはここでしか癒されないのよ」そう言って、硝子が優しく微笑むと、その長く美しいまつ毛はテディをなだめるように優しく上下した。テディとしても、そう言われては返す言葉もないようで、薄い唇をへの字にして、手に持ったブーメランを握りしめた。ブーメランは手の中で唸った。唸りはテディの内側で旋回を繰り返すようだった。





 椅子に座っていた老夫婦は一つの十字架を二人で片手ずつ握りしめていた。

 「早く…急いで…音を立てるなよ!…静かに逃げるんだよ」

 ミキ老夫の額には汗をかき、眉間に皺を寄せて囁いた。そんな夫の虚言をなだめるようにミサ夫人は重ねていた夫の手をより強く握りしめた。

 「何もかも、心配いらないわ。大丈夫よ…大丈夫よ」

 老夫婦がこの教会に来てからすでに8時間は経っており、老夫婦は互いに疲労しているようだった。疲れは心を窮屈にすぼめ、植物の根に養分を吸われるように生気を奪い取る。悲しみと疲労との間を幸せだった頃の記憶が見え隠れしする度に、2人は涙を流した。涙は教会の床に染み入り神の恩恵を受けてこの教会の一部となる。しかし、教会は悲しみのみによって築き上げられたわけではない。それはもちろん形而上的な話になるのだけど……

 ガラスの割れる音が教会内に響いた。同時に外からの冷たい空気が教会内に吹き込んできた。その冷たさに教会内にいる人々は身震いし、より一層堅固に身と心を引き締めた。ぎしぎしとキリスト教のお堅い誓いや、祈りや、生真面目さがそこにいた人々の肉体を蝕んだ。





 「僕達がここから去ったあとの話をようよ」

 テディは俯いて、教会のしみったれた床を見つめてそう言った。床には小さな蜘蛛が一匹、生活の一環として歩き回っていた。


 「わたしはきっと寂しがるわ。わたしはお婆さまの焼いたクッキーを食べたいし、クリスマスツリーの下で泣いてる子を励ましてあげたい」

 硝子はテディの瞳をまっすぐ見つめて真剣にそう言った。風に揺れる彼女の黒髪はテディの視界の全てを抱くようだった。彼女の黒髪は人々の誓いのように堅固な漆黒で、その確実性に人々は安心し、魅了されるようだった。

 外からは子供達の小鳥のような笑い声がする。


 「そんなのになんの意味があるの?それらは僕達とはもう無縁でしょ?」

 テディは教会の長椅子の下にもぞもぞと、隠れ始めた。テディのいかにも病弱そうな蒼白い肌は蛇のように教会の床を這い、棺桶のように椅子の下に収まった。

 「無縁だなんてことはないわ。こうやって想うことに縁がないだなんて、どうしてそんなこと言えるのよ?」

 「でもそんな一方的なもんになんの意味があるんだか、僕には分からないや」

 硝子は長椅子の下をのぞいて彼に言った。

 「ならテディはここから去ったあとどうするの?」


 「僕は泣くかもね。もう、寂しくて仕方がないんだよ。僕はね、寂しくて仕方がないんだよ」

 長椅子からはすすり泣く声がした。





 ミサ夫人は赤く冷えた夫の手を擦り合わせて温めた。

 「貴方はなぜそんな夢を、幻想を見て嘆くの? 言わなくても私にはわかってるのに、私は聞かずにはいられない。貴方は今でもあの子が亡くなったことに貴方の中で整理がつけられないのね」

 しかし、彼女に及ぶはずだった分の精神的苦痛まで請け負うようにミキ老夫は苦しんでいる。それが確かに彼女救うのだ。彼女は救われているのだけど、やり場のないいたたまれない気持ちに苛まれていた。

 私は彼に支えられて生きている。そして私は彼を支えるのだけれど、今、どれほどこの樹木のような肌を犠牲に彼を元気付けられたら!この木の根の様に萎えた足を犠牲に彼を喜ばせることができたのなら!私たちは、息子は、どれほど幸福に癒されたことでしょう!


 教会の外は夜の闇に包まれた。イルはミネーションは街を美しく彩る。子供たちはうちに帰って兄弟やペットと遊び、お母さんは夕飯の支度をする時間。

 冬の後には春が躍り出て、雪の間から命が芽吹く。冷めた人たちは積雪の下で冷えた思いをし、雪解けと同時に地の底に打ち拉がれる。それでもそれらの涙は植物の栄養となる。それが報われるということなの?



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