第3話 吸血鬼の隠れ里
「……なんだ?」
街道を走行中、トールは左右の森に違和感を覚えて目を凝らす。
「幻術で森に見せかけてるんだな。ここを曲がればいいのか?」
助手席のキリシュに尋ねると、呆れた顔を向けられた。
「何で分かるんだい?」
「うーん、継ぎ目っぽいのが見えた。ゲームで壁抜けできそうな直角を見つけたような感覚があってさ」
「さっぱり分からないね。そこを右に曲がれば、すぐに隠れ里への街道に出る。降りて誘導しようか?」
「そうだな。頼んだ」
助手席を降りたキリシュが森へ魔機車を誘導する。トールはアクセルを軽く踏んで徐行しながら、幻術で隠された森に入った。
オブラートの膜を破くような独特の感覚に眉をひそめる。
「結界も兼ねてるのか」
結界は旧文明の技術だ。研究はされているものの、幻術を兼ねた結界は初めて見たトールは感心しつつも、吸血鬼の魔法技術に警戒心を覚えた。
寿命のない吸血鬼。獣人の集落で聞いた話では旧文明時代から生存している個体もいるというが、眉唾だと思っていた。
だが、結界に幻術を付与するほどの技術を持っているのなら、旧文明の知識があってもおかしくはない。それが生で経験したものであれば、その吸血鬼の魔力量は想像を絶する。
幻術結界を抜けると左右はおろか上すらも木々に囲まれた薄暗い街道に出た。トールたちの魔機車で横幅ぎりぎりの細い街道だが、石が敷設されていて走りやすくなっている。
頭上を覆う木々の枝はかなり高くまで生い茂っており、太陽の光がほとんど届かない。
トールは魔機車のヘッドライトを点灯させた。
「トール君、対向車は来ないと思うけれど、徐行してくれ」
助手席に戻ってきたキリシュに言われて、トールは魔機車を徐行させる。
キリシュが後ろに声をかけた。
「双子さん、ピアムを起こしてほしい。この結界の内側なら、始祖様の影響で日光は完全に遮断されている」
「――始祖!?」
トールは思わず魔機車を停めてキリシュを見る。
始祖、旧文明時代に異世界からやってきた吸血鬼たちの総称だ。
他の吸血鬼と異なる点は存在しないが、問題なのは年齢である。
「始祖って、どんな魔力量になってんだよ?」
「うーん、どんなと言われてもすぐに分かると思うけれどね。あぁ、この結界を張っているのが始祖様だよ」
「……この規模の結界を一人で?」
「あぁ、幻術も兼ねたこの結界を一人でさ」
本来、高純度の魔石を使用してようやく町一つ分の結界を発動させることができる。
そんな結界を隠れ里はおろか周辺地域にまで拡大し、さらには幻術付与できる魔力量。
「規模が想像できねぇ」
ハンドルに額を預け、トールはため息をつく。
仮に戦闘にでもなれば、逃げ切れるかどうかも怪しい相手だ。キリシュの様子や聞いた話を総合すると問答無用で襲ってくることはないだろうが……。
「まぁ、いいか。そん時はそん時だ」
「トール君は思い切りがいいね。心配しなくても、少々悪戯好きなだけで普通の吸血鬼だよ」
二階から起き出して来たピアムと共に双子が進行方向を覗きに来る。
「いよいよ、吸血鬼の隠れ里ですね」
「先ほどの幻術結界を見る限り、発展してそうですね」
わくわくしている様子の二人に苦笑しつつ、トールはアクセルを踏む。
徐行しながら街道を進むこと二時間弱。
魔機車を走らせ続けるほどに、トールは頬が引きつるのを感じた。
徐行運転とはいえ、魔機車で舗装路を走っているにもかかわらず隠れ里に着かない。それは、結界の範囲を物語っており、術者の魔力量を如実に表している。
加えて、道の先から濃密な魔力が漂ってきていた。
「ダンジョンでもここまで魔力は濃くないだろ」
「始祖様が無意識に魔力を垂れ流しているんだ。これがあるから、周辺は魔機獣が多いし、迂闊に外にも出られない」
トールは後ろを見る。
双子とピアムは暢気にカードゲームで遊んでいた。
視線に気付いたユーフィが首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「いや、俺って小者なんだな、と思ってな」
「あ、見えてきましたよ。あれじゃないですか、隠れ里?」
ユーフィが道の先を指さすと、全員が前を見る。
高くそびえる崖をくりぬいた居住区が見える。隠れ里という割に大規模な町に見えた。
天井部を支えるのはハニカム構造を採った分厚い金属の板であり、結界が消失しても太陽光が入ってこないように工夫されている。
各家にも窓らしきものがなく、殺風景になるのを嫌ったのかツル性植物を壁に這わせたり多段構造のプランターを置いて陰性植物を植えてある。他にも、透明度が低い水晶を飾ってあったり、動物を象った焼き物が置かれていた。
全体的に暖色系の壁や屋根で構成されているのは夜に埋もれないようにするための工夫なのだろう。吸血鬼の隠れ里であるからにはほとんどの住人が夜型の生活をしていると思われたが、日中の今でも人影が目につく。
「関とかはないよな?」
「隠れ里だからね。結界をくぐった時点で始祖様にも気付かれている。ほら、出迎えが来た」
キリシュが道を塞ぐように立つ一人の老人を指した。
白髪交じりのグレーの髪を伸ばして首の後ろに括った、猛禽のような鋭い目をした六十過ぎの老人だ。着崩した正装がやたらと似合うのは姿勢の正しさと立ち姿からくる若々しさ故だろう。
「とてつもなく強そうだな」
始祖ほどではないが、老人もかなりの魔力を周囲に放っている。数百年の時を生きてきた吸血鬼なのは間違いない。
トールは魔機車を停めて、運転席を降りた。
ぞろぞろと魔機車を降りるトールたちを猛禽のような鋭い三白眼で見回して、老人は笑みを浮かべた。
「キリシュではないか。里帰りとは感心、感心。最近の若者はろくに帰省もせぬと始祖が嘆いていたところだ。だが、新たな吸血鬼の誕生とはいささか感心せん。こちらにも準備があるのだ」
視線を向けられたピアムが緊張して体を硬直させ、キリシュの服を掴んだ。
老人は怯んだような顔をする。孫に嫌いと言われた祖父のような情けない顔をして、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「怖がらせてしまったか。歓迎はしているのだ。だがな、宴を開き、好物を用意してやろうにも、事前に知らせが欲しいという話をだな、その、あぁ、うん。そちらの若人よ、妙な魔力波長をしているな。落ち物かな?」
あからさまに話題をずらしてきた老人にトールは苦笑しつつ肯定した。
「あぁ、落ち物だ。魔力波長なんてわかるのか?」
「専門なのでな。落ち物で凄腕の冒険者で若い男。ふむふむ、君が赤雷のトールか?」
「知ってるのか?」
自分の正体をあっさりと言い当てる老人に驚く。
老人は誇る様子もなく静かに頷いた。
「外の情報は入ってきている。まして、獣人たちの方からも話があってな。もしもこちらに来ることがあれば歓迎してほしいとね」
老人はそう言って背を向ける。
「新たな吸血鬼の誕生は喜ばしい。珍しい客人も来たことだから始祖との面会を準備しよう」