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第7話:カミングアウト

「いらっしゃい」

カラン、とドアベルが軽く鳴く。


店内へと入って来た原田研究室メンバーを、カウンターの奥に佇む人物の声が迎えた。


「久し振り〜マスタ〜。儲かってる〜?」


教授の右側にはアーズリィが、左側には孝介が肩を組んでいる。

教授は、あえて孝介とアーズリィを隣り合わせに座らせ、自身は孝介の左隣、マスターの真正面に腰を下ろした。


「相変わらず出来上がってますね原田さん。見ての通りですよ」

鼻下にひげをたくわえ、黒々とした髪の毛をなでつけた、いかにもといった風貌のマスターが答える。


店には、4人の他には誰も居なかった。

薄暗く静かな店内を、スローな音楽が満たしている。

重厚なベースの上で軽やかにピアノが踊る、大人びたジャズだ。


「ここ僕のお気に入りなんだから〜つぶさないでよ〜?」

「うちは常連さんの憩いの場として存在出来ればそれで満足なんですよ。そういうわけで原田さん、今後のためにも今日はたくさん飲んで下さいね?」


教授はこの店の常連らしく、慣れた様子で軽口を叩き合っている。

そうしながらも、マスターの手は休むことなく動く。

その澱みない動作が、この店の長生きの度合いを示していた。


しばらくして、教授と孝介の前に琥珀色のウイスキーが差し出された。

丈の低いグラスの中で、透明な氷がカラン、と心地よい音をたてる。

次いでアーズリィの前には、サクランボをアクセントにした、薄桃色のカクテルが置かれた。


「――ところで原田さん、この可愛らしいお2人は?」

「そうそう、うちの研究室に新しく〜来てくれた子達だよ〜。こっちの眼鏡の男の子が〜4年生の境孝介君〜」


「初めまして」

紹介された孝介は、小さく頭を下げる。

それに対し、実に賢そうな方だ、とマスターが上品に微笑んだ。


「それで〜、こっちの眠そうな女の子が〜アーズリィ・ランドハイト君〜。こう見えて三十路間近だよ〜」


一方のアーズリィは、瞼をほとんど落とし、舟を漕いでいた。

つい先程まで教授と一緒に騒いでいたのが嘘のようだ。


「そうはとても見えませんね。可愛らしいお方だ」

「でしょ〜。昨日フランスから日本に来たばかりでね〜お疲れのようだね〜」


名前を呼ばれたことで少し覚醒したのか、アーズリィは顔を上げる。

眼前にあるカクテルに気づいたようで、お酒ダ〜、と嬉しそうに手を伸ばした。





他愛も無い世間話が続いて、午後11時を回ったころ、突然店内に電子音が響いた。


「おっと〜? ワイフからだ〜」


教授はズボンのポケットから、携帯電話を取り出した。

それをいじりながら、ふらふらとおぼつかぬ足取りで、席を離れる。


その間にマスターと孝介で会話が進められる。

アーズリィは、カウンターに突っ伏しており、それには不参加だ。


「孝介さん、どうですか原田さんの印象は?」

「敢えていうならば……掴み所の無い人ですね」


孝介は率直な感想を述べる。良く言えば掴み所ない、悪く言えば変な人、だ。


「そうでしょうね。私はあの方を若い頃から知っているのですが、昔からそうでした」


そう言ってマスターは、グラスを拭きながら、口角を穏やかにあげた。


「――ところで、あなたが彼の研究室に入ったのは何故ですか? ……こう言ってはなんですが、あそこは昔、××研究の権威でしたから、××に誤解を与えてしまい危険では?」


瞬間、孝介の顔から温度が消えた。

孝介は表情を変えないままに、少しだけ残ったウイスキーをあおる。

そうして、小さくつぶやいた。


「……誤解も何も、僕は、魔女について学ぶため、あそこに入ったんですよ」


マスターの手から、グラスがするりと滑り落ちた。

幸いなことにそれは割れずに、流しにはねて転がった。

ぐわんぐわん、という反響音が、ジャズの音色に加わる。


「――失礼しました、少々取り乱してしまいました。それにしても、久し振りに聞きましたね、その言葉」

マスターはグラスを拾いあげながら、謝罪を述べる。

そう言った顔には、あからさまな動揺が浮かんでいた。




××、とマスターが言葉を濁したのには、理由がある。

それは孝介にとっては、くだらないと一蹴する理由だったが。


マスターだけではない。一部の人間を除き、日本国民は決して声に出さない。魔女、と。


事の発端は、今から16年前に起こった、『東新宿事件』だ。

東新宿の一角にあるビルで、国際魔女対策委員会が開かれていた所に、突如起こった大爆発。

それにより、16名の委員の命が一瞬のうちに奪われた。

加えて当時ビルにいた、無関係の人にも被害は広がり、結局死傷者は40名を超えた。



その日まで、日本国民は魔女の存在を何ら気にかけてはいなかった。

一般人がもつ魔女という認識は、「遠い外国で居るらしい」程度のもので、皆自分達には無関係だと思っていた。

だからこそ、事件の犯人が魔女だったと分かった途端、日本では上を下への大騒ぎとなった。


そして何より人々の心に激震をもたらしたのは、犯人の言動。

何故こんな事件を起こしたのか、との問いに、魔女はこう言ってのけたのだ。



「気まぐれ」



それを聞いた人々は悟った。

魔女とは、即ち憎悪の対象であり、忌まわしき存在であり……絶対的恐怖であると。


そうして生まれた都市伝説が、『魔女と口にしてはいけない。言えば、奴らはどこまでも追いかけて来て、お前を殺すだろう』。


その言葉には、後世への戒めとしての意味が隠されていた。

――死にたくなかったら、関わるな。

それから16年たった今もなお、その話は脈々と語り継がれ、人々の心に深く浸透している。





「全く、原田さんもいくら反対しても聞いてくれませんでしたよ」

そういってマスターは眉根を下げ、困ったように笑った。


「しかし……あなたも東新宿事件を当然ご存じですよね。どうしてそんな危険なことを……」

「……では、逆にお聞きします。東新宿事件でいうところの、少年Aを知っていますか?」



2人の間に、1本の細い糸がぴん、と張りつめる。

孝介は努めて静かにそう言って、グラスを振った。

溶けて脆くなった氷が、音をたてて砕ける。

その目は、ただ空虚にカウンターの木目を映していた。



その時、場違いに明るい声が、割って入ってきた。


「や〜ごめんごめん。悪いけど〜ワイフが帰ってきてって言うから〜帰らなきゃ〜。僕のことは気にしないで、後は若い2人で楽しんでね〜!」


「――相変わらずの愛妻家ぶりで。また、いらしてくださいね」


先程までの緊張感を振り払うように、にこやかにマスターが言う。

教授は軽く手を上げ、それに応えた。

それから、そそくさと上着を羽織り、財布から2万円を出してカウンターに置いた。


「それじゃ、また明日研究室で〜。出来たら〜、遅刻はしないようにね〜?」

「はい。今日は有難うございました。お気をつけて」


孝介は席から立ち上がり、一礼する。

教授はスキップをしながら扉へと歩いていき、ひらひらと手を振りつつ出て行った。

隣からありがトうございまシタ〜、と気の抜けた声が聞こえたので見れば、虚ろな表情ながらもアーズリィが顔を起こしていた。



ドアが閉ざされ、再びジャズの音色が空間を支配し始める。



「……先程は、失礼しました。気持ちの良い話ではありませんでしたね」

「いえ、気にしていませんよ」


孝介は表向き、微笑んでそう答える。

実際には酒で高揚していた気分が崩れ去っていたが、マスターに悪気が無かったのだ。仕方ないと思うしかない。


マスターは、孝介とアーズリィの前に新たな酒と肴を差出し、ごゆっくりどうぞ、と言い残して店の奥へ去った。



――さて、教授に「若い者で」と言われたもののどうしたものか。

教授にしろマスターにしろ、気を利かせたつもりなのだろうが、正直なところ有難迷惑だ。


見ると、アーズリィはサクランボを口内で転がしていた。

口から茎を生やして、実に楽しそうに遊んでいる。

座っているにも関わらず上体がふらふらと揺れていて、酩酊具合を示していた。

そのまま放っておいて帰るのもありか、と思う。


こちらの視線に気づいたのか、アーズリィは、


「さっきノ話ィ〜聞いてタぞォ〜」


と舌足らずに孝介に絡んできた。

口元のサクランボの茎が、ぴろぴろと上下に揺れている。


「ワタシが〜、研究室に来タ理由〜、知リたイ〜?」

人形のように整った顔をにたつかせ、真赤にしながら、アーズリィが迫ってくる。

さらさらとした髪が、孝介の腕を撫ぜ、熱を持った吐息がかかった。酒臭く、かつ甘い匂いだ。


「ああ、知りたいね」

本能的に高鳴った心臓を抑え込みつつ、孝介はさらりと受け流す。

……毎度のことながら、酔っぱらいというのは厄介だ。

美味しい状況だという認識もなくはないが、生憎そんなものに現を抜かしている暇はない。



アーズリィは、ドウしよっカナ〜、と楽しそうに繰り返している。

孝介は、自身の胸元に寄りかかってきたアーズリィを押し戻した。

その際、胸に手が当たってしまい、孝介は少しだけ後ろめたさを感じた。



この酔っぱらい……相当面倒臭い。

放置して帰るか、それとも仕方ないので、駅までどうにか歩かせて、一緒に帰るか。

孝介は真剣にこの2択問題について考える。朝までここで一緒、という選択肢は却下だ。


ところが、孝介の悩みは、アーズリィの実にご機嫌な声によって、唐突にぶった切られることとなった。



「実ハ……ワタシ〜、魔女ナンダ〜♪」






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