第5話:研究室にて
(まさか……な?)
少しだけ、嫌な予感はしていた。
万年人手不足と聞いていた原田研究室から、笑い声が聞こえるということに、それだけ違和感があった。
もちろん、生徒もしくは他の教授等が来ているだけ、という考え方も出来る。
しかし、原田教授は変わり者ということは学内で有名で、そうそう来客があるとは思えないのだ。
それからもう1点。
聞こえる2つの声のどちらもに、聞き覚えがある気がする。
1つは原田教授のものだろう。そしてもう1つが、ごくごく最近にも聞いたような――
しかし、腕時計はあと数秒で9時を指してしまう。
行く他に選択肢はなかった。
結果、現在孝介は、原田研究室にて少女と対面していた。
どこにでもいる初対面の少女という訳では無い。
早い話が、昨日突然出会い――飯を与え――図らずも夜を共にし――先程大学の正門で別れたばかりの、少女だ。
叩き起こしてしばらくした後、少女は、9時までに大日本大学に行かねばならないので道を教えて欲しい、と言い出した。
孝介も同じく9時までに原田研究室に行かなければならないし、説明するよりも早いため、共にアパートをでた。
そして電車に揺られること約50分。
今日はいつもよりもアパートを発った時間が遅く、正門に着いた時点で9時数分前だった。
少女は、有難う、礼はまた今度、と叫び、せわしく走り去って行った。
何のためにシティハイツを探していたのかも、大日本大学に行って何をするのかも聞かなかった。
今後会うこともあるとは思えないし、興味もわかなかったからだ。
それが……まさかこんなことになろうとは。
「あっ、少年! まさかキミがココの学生なのカ?」
この状況を想像出来なかったのは自分だけではなかったようで、少女は興奮のためか、頬をやや紅潮させていた。
「いやいやごめんね孝介君、留学生が来るって言い忘れてたよ〜。ところで何、君達知り合いなの〜?」
「はあ……、詳細は省きますが、昨日偶然出会って、気づけばつい先程まで行動を共にしていました」
「へぇ〜! よく分かんないけど、早速仲が良いのはいいことだねぇ〜」
「……いえ、そういうことでは全くありませんが」
留学生が来るという重要なことを言い忘れるとは……ある意味凄い人だ、と思う。
原田教授はそれほど悪びれることはなく、相変わらず飄々としていた。
――それはそうと、1つ、とても気になる疑問が残る。
孝介は、改めて少女の方へと見た。
怪しまれない程度にさりげなく、足の先から上方へと目線をずらしていく。
それが顔に至ったところで、少女と目が合った。
お互いに気まずさを感じたようで、愛想笑いを交わす。
「あ〜孝介君、今『なんでこんな可愛い女の子が?』って思ったね〜? じゃあとりあえず、自己紹介し合おう。まずはアズ君ね〜」
読まれた。……「可愛い女の子」でなく「ガキ」と思ったが。
アズ君、と呼ばれた少女は、教授に促され、やや緊張した面持ちで口を開く。
そういえば、密度はごく薄いながらも、割と長い時間共にいたのに、名前すら聞いていなかったことに気づいた。
「エーと、改めて昨日と朝ハ有難ウ、非常に助かりましタ! そういえバ自己紹介まだだったネ。
アーズリィ・ランドハイトといいマス、フランスからきまシタ。今後よろしクお願いしマス」
弾ける笑顔と小さなお辞儀が孝介に向けられる。
「それデ……ワタシ、どうやラ日本人に若ク見らレてるようなんだけど……何歳位に見えルかな?」
細い眉を下げ、孝介を見上げるようにして、アーズリィと名乗った少女が問うた。
それに対し、しばらくの間、孝介は思案する。
アーズリィという名の――少女。
背格好は、標準程度の自分から見ても、非常に小さく見える。150cmいくかいかないかというところだろう。
透き通る白い肌に、光を秘めた大きな青い目が印象的な、あどけない顔。
淡いブロンドの腰まで届く長い髪は、耳の下部で緩く2つに結わえられていて、それが幼さを助長している。
それから、成長途上の華奢な体に、紺色のスーツと黒いタイツをしっかりと着込んでいる。
基本的には細いのだが、胸部の発達は良いようで、その部分のみスーツが張ってややきつそうだ。
耳にピアス、首にチョーカー、手には白い手袋をしている。
さらに、インナーだろうか、薄手の黒布が首の中盤までを覆っていた。
それらのおかげで肌が露出しているのは、首の上部と顔面だけだ。
装飾品は多いが、全体的にシンプルで暗い色遣いなので、その分肌の白さが目立った。
人物自身はどうみても若い。大体中学生くらいだろう。
それに大人びた格好と、白人ならではの成長の速さ、本人の言動を勘案して、孝介は答えを出した。
「……どう見ても15歳以下」
それを聞いたアーズリィはがっくりと肩を落とした。
どうやら、この解答は彼女が求めるものではなかったようだ。
そして原田教授が正答を言う。それは耳を疑うような数字だった。
「そう見えるよね〜僕も初めびっくりしたよ〜。なんとアズ君は29歳! 実は孝介君より年上なんだよ〜。若さの秘訣を教えてほしいよね〜?」
正直、何かの冗談にしか聞こえない。
しかし、15歳っテ……という暗い呟きが聞こえたあたり、本当のことなのだろう。
呆気にとられる孝介と、暗くなっているアーズリィを尻目に、教授はにこやかに話を進める。
「それじゃあ、次、孝介君いっとこうか〜」
子供だと思って昨日からさんざん乱暴な口を聞いてしまったが、まさか年上だとは。
今更ながら、目上への対応をしなければならないと気付かされる。
勝手に年下だと思い込んだ自分が悪かったのであるが、どうにも気が重い。
「境孝介です。今春4年生で、現在22歳です。……年下だと思い込んで失礼な口をきいてしまい、申し訳ありませんでした」
「……あァ、今更敬語使わなくテいいヨ。ワタシも敬語は慣れナイし、君には使わナイことにスる。アズって呼んデ」
「……じゃあお言葉に甘えて。こっちは何でも好きに呼んでもらえれば」
暗くなっていた顔を瞬時に切り替え、アーズリィが笑顔を返してきた。
無礼な態度だった自分に怒ることもせず、寛大な少女――ではなくて――女だと思った。
それにしても、寛大な女で本当に良かった。
見かけに左右されてはいけないとはいえ、どうみても中学生だ。敬語を使うことに、大いに違和感がある。
「アズ君は母国の大学で魔女について勉強していたらしくてね〜。それで今回は……『東新宿事件』について理解を深めたくて、研究生として日本に来たんだよ〜。孝介君の卒研に対していい助言をくれると思うから、二人共仲良くやってね〜」
目尻の皺を増やしながら教授が言う。
幼い外見からは想像し得ないが、この大学に研究生として留学するということは、学部卒業レベルの学力を有しているということだ。
しかも、何しろ大日本大学だ。相当な審査を通って来た猛者であるのは間違いない。
(都合いい。利用させてもらおう)
魔女について大っぴらにに研究出来るようになったこのタイミングで、強力な駒が現れた。
なんと幸運なことだ。
「それじゃ、今後3人で異文化理解研究室、盛り上げていこうね〜」
「よろしくデス!」「――よろしくお願いします」
悪い人達ではないが、必要以上に慣れ合う必要はない。
スムーズにいく程度に円満にやっていこう。
そういう利己的な考えを薄っぺらな笑顔に隠して、孝介は教授とアーズリィの2人に向けて頭を下げた。