逆転説・パスカルの賭け
「あなたは、本当に……私たちの知る、神なのですか……?」
僕の言葉に、ようやく神が反応した。ゆっくりと、視線を下へ――僕の顔へと向ける。その眼は……たしかに嗤っていた。
「いかにも、私は神である。お前たちの愛する……な」
満足気に言い終えると、再び神は、いや、神“だった”ものは、目の前の端末へと視線を戻した。相変わらず、わけのわからない画像や単語を操っている。いったい、僕たちの信じていたものは、いったい何だったんだ?
「……信じていたのに」僕は、失ってしまった。信仰も、愛も。残された家族の幸せさえ。
「スキルも最近はいろいろ要望があってのう。大抵のものは扱えるぞ? まぁ。それにも制限はあるのじゃがな」
僕たちの会話は、もう噛み合っていなかった。明後日の方向に話題を振る老人を見限って、僕も僕の話をする。
「僕の父を知っていますか……? 父は敬虔な信者でした。どんな苦難が降り注ごうとも信仰を失わず、強くひたむきに生きる人でした」
「おすすめはやはり人体強化系じゃな。ほとんどの転生者も、一つぐらいは必ず選ぶ。やはり体は資本じゃからのう」
「父はいつも僕に語り聞かせてくれました。“神は偉大なだけではない。心優しく、慈悲深い。信じていれば、その尊さが、お前にもいずれ分かる”と」
「神聖系の魔法も魅力じゃな。なんせ魔物にはめっぽう強い。ほとんど一撃じゃ」
「そんな父が、どうやって亡くなったか知っていますか? ……親身になって相談に乗っていた信者の一人に、刃物で内臓を抉られて殺されたんです」
「生命力を底上げするのも捨てがたいのう。普通なら死ぬような怪我でも耐えられる身体、わしも欲しいのう。最近腰にガタがきていてのう」
「信者は、そのあと首を掻ききって自殺しました。父を最初に見つけたのは僕で、まだ息がありました。死の間際に、僕に言ってくれた言葉があります。なんだかわかりますか? “人を、神を、憎んではいけないよ”ですよ? 信じられますか?」
「しかし最近の転生者は面白いことを考えるやつが多いのう。わざわざ自分から不利になるような条件を選ぶやつもいる。チートなぞ、いくらでも用意できるというのに、不便極まりない異能を頼んだりする。創意工夫が楽しいのだろうなぁ」
「僕も敬虔な信者でした、そうあろうとしました。父の最後の言葉だったから……そんな僕でも、頭にくることって、やっぱりあるんですよ。特に聖書の悪口を言われた時です。今時クリズチャンと名乗ると、心無い言葉をかける人って結構いるんです。嘆かわしいですよね、その子はクラスメイトだったんですけど、結構頭のいい子だったんですよ……何て言ったと思います?」
「ひとつ前の転生者が、面白いやつでな? 火の魔法と水の魔法だけで、数百を超えるオークの群れを壊滅させたのじゃ。いや爽快じゃった。オークどもは逃げ惑い、糞尿をまき散らせ、涙と汚泥と血に塗れながら必死に助けを乞うた。それを見ながら、そやつは二つの魔法を掛け合わせ大爆発を起こした――ボンっ! まさしく木っ端みじんじゃ!」
「“神が人を殺した人数を知ってるか? 聖書で神は、ざっと二百万人以上殺してる。悪魔は何人だと思う? せいぜい十人かそこらだ! お前らの神様はずいぶんお優しいんだなぁ!”ですよ」
「一網打尽! 胸のすくような光景じゃろうなぁ! わしにも経験があるから、その快感は想像するに難くない」
「僕たちが何をしたって言うんだ!」わざと会話を噛み合うように仕向けているとしか思えない数々の、聞くに堪えない言葉に、僕の逆鱗は再び逆立った。「僕たち家族に、何の恨みがあるっていうんだよっ!? なぁ、教えてくれ。あんたはほんとはどの神さまなんだ? 創造神? 仏? それとも、たくさんある宗教のうちの一つ? それとも――」
老人は答えない。代わりに何か、関係ない話をひたすらくちゃべっている。こちらを、なんとか向かせないと。言葉だけでは、何も変えられない。
「答えろよっ!」
勢いをつけて立ち上がり、拳を老人へ、その薄汚い顔面へと叩きつけた。だが、拳は、老人のほんの数インチ手前で弾かれた。見えない何か、強化ガラスのような質感によって阻まれていた。老人は、顔色一つ変えずにいる。僕は思わずよろけ、拳を庇った。真っ赤だ。痛みを無視して僕は叫ぶ。
「っ――! あんたはそうやって人を弄んで! なんで助けない! なんで耳を貸そうとしない! それじゃあ、あんたが地獄に追放した奴らと変わらないじゃないか!」
「そんなに家族が恋しいか?」
「!」息をのむ。老人は手を止め、重々しく僕の言葉に返答していた。目つきは淀んで、僕の心の内を水底まで攫っていくような、投網のような無慈悲さを湛えている。
「そこまで言うなら、考え無いこともないが。そうじゃ! 善いことを思いついたぞ!」
怖気が走る。嫌な予感がした。嬉々として神は告げる。生気のなかった目を、爛々と輝かせて。