deus ex machina
「――」神の表情が変わった。腕は真横に広げたまま、固まってしまったのだ。まるで、聞きたくない言葉を、聞かされた時のように。それを、僕は続きを促されていると受け取り、話を進めた。
「恐らく、全知全能である貴方様は知っていると思いますが、私には、養わなければならない母親と妹がおります。母は近年認知症を患い、介護を必要としています――」
神は何も言わず、ただじっと話を聞いているように見えた。ここにはいない家族のことで頭がいっぱいだった僕は、さらに続きを話す。
「――妹は、重度の障害を持っていて、一人で生活するにも助けがいります。私が、ここで死んでしまっては、家族が不幸を背負ってしまいます」今以上の不幸を。
それは、誰のせいでもない。僕たち家族に与えられたギフトなのだ。そのことで、神を疑ったこともあったが、そうなるべき理由があると信じて、今日まで生きてきたのだ。だが、普通の生活にさえ喘ぐ家族を残して、死んでしまうわけにはいかない。まして、家族を忘れてのうのうと別世界で暮らすなど、考えられない――
「どうか、どうか! 私を今までの世界に――」
「ならん」言い終える前に、神が言葉を遮った。短く、きっぱりと。
「――どうしても、ですか?」
「ならん」神は両腕を組んで、目を伏せている。なんとなく、そんな気はしていた。それが出来たら、おそらく神は、すでにそうしていただろう。それは、仕方ないことだ。だが、家族のことだけは譲れない――
「では、でしたら! 私の家族を救ってはくださいませんか? 私のことは、どうなっても構いません! 転生とやらも、何もかも、貴方に捧げます! ですから、母とみさきのことだけは――」
「ならん」体勢すら変えず、神は続ける。「すまんな、決まりがあるのじゃ」
「どうして――」
「さぁ! 辛気臭い話は終わりにしよう! 後がつかえてしまうでな。ほれほれ、行きたい世界を選ぶがいい。さ、まずはどれから選んでもらおうかのぅ」神は、聞き終える前にさっさと離れてしまう。何もない空間に、電子パネルのような光体を出現させ、なにやら検索しているようだ。
「主よ! どうかお聞きください――」
「最初は何がいいかのぅ、やはり異世界のベースから選んでもらうか……」
「異世界なんてどうでもいいです! 私は貴方に話しているんです! どうしてできないんですか? 私の命でも足りないのですか? この身をささげても、二人の幸せずら願えないのですか!? 身の丈に合わないほどのことは望みません、せめて、二人の病気だけでも――」
「お! こんな世界はどうじゃ? 男はお主一人だけ、いるのは種族問わず美形の女だけじゃ。スケベ根性丸出しよのう」
「――では、お金をっ! 二人に生活に困らないだけの財を! いえ、たくさんでなくてもいいんです! 当面をやりくりできるくらいの生活費でも構いません!」
「選ぶのは他にもあるからなぁ。出自も自由自在じゃぞ? 人間のままでもいいし、動物や魔物にだってなれる……そうじゃ! ドラゴンなんていいんじゃないか?」
「――だったら、誰か、人を……。僕の代わりに、誰か、家族を支えてくれるような、そんな人を……」
「見た目はやっぱり重要じゃよなぁ。好んで不細工になる意味が分からん。あ、でも悪役に憧れがあるのなら、やっぱり厳ついほうが格好がつくのお。そうじゃ、忘れとった。性別も選べるぞ? そういう願望があればの話じゃが」
「――――――こっちを見て! 僕の話を聞いてくれよ! 頼むからっ!」我慢の限界だった。こちらの話を聞かないばかりか、振り返りもしない神に、怒りが沸き上がった。ずっと座っていて、しびれる足を無理やり動かして、神の目の前に駆け込んだ。足がもつれて絡まり、顏から倒れてしまったが、これなら神も、僕を無視できない。垂れてくる鼻血を気にも留めず、顏を上げる。ちょうど、神の顔が真上に見上げられる位置だ。
「僕は! ここにいる! 異世界にはいかない! 頼みを聞いてくれ!」必死に叫んだ。生まれて初めて、人に対して怒鳴った。いや、正確には神だが。きっと、聞いてくれる。だって、僕が、僕の家族が、死んだ父が敬愛していた神なのだ! その神が、そんな心にもないことなど、するわけがない。きっと何かの間違いなんだ。そうに違いない。そうでなければ――
「で? スキルは何が欲しい? いろいろあるぞ~」
――神はこちらを見ていなかった。いや僕だけではない。なにも、何も見ていなかった。なにもその眼には映っていない。聞こえていなかったのではない。そもそも届かないのだ。無感情にしゃべり、無感情に笑い、無感情に物事を進める。情というものが、存在していないのだ。淡々と続けるその姿は、まるでロボットやゲームのNPCみたいだ。そんな、そんなことって……これではまるで――機械仕掛けの神様じゃないか……。