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三十二話、春の君と共に

  私がお産を終えてから一ヶ月が過ぎた。


  春仁様は相変わらず、書類仕事をしながらも左大臣邸に滞在している。生まれた若宮は名を恒仁(つねひと)親王と名付けられた。ちなみに陰陽師の靖忠さんに占ってもらい、三つくらい候補が上がったのだが。その内の一つをチョイスして名付けてくれたのは春仁様だ。私も男の子が生まれたので春仁様にと言ったら快諾してくれた。恒仁は元気に育っている。私が直接母乳を与えるわけにもいかないので乳母(めのと)達に任せっきりだ。時折、周囲が気を使って恒仁を連れて来てくれるが。それでもいいところ、一、二時間程会えるくらいだ。ちょっと寂しくはあった。その代わり、姉さんが馨子ちゃんを連れて遊びに来てくれるようになった。生後五ヶ月くらいの馨子ちゃんは凄く元気でかわゆらしい。姉さんと滝瀬宮様のお子さんだから将来が楽しみではある。私が周防や小式部と一緒に作った産着を姉さんは大事に使ってくれているらしい。そんなこんなで真冬から春に向けて季節は確実に変わっていっていたのだった。


「……馨子。風香姉様よー!」


  そう言って天児を持ちつつ、姉さんは馨子ちゃんをあやした。馨子ちゃんはきゃっきゃっと高い声を上げてはしゃぐ。私はその光景を微笑ましいと思いながら眺めていた。よく考えると恒仁と馨子ちゃんはいとこ同士で父親で言ったらはとこくらいの関係になる。将来は恒仁のお妃候補に馨子ちゃんも選ばれる可能性があった。このご時世、いとこ同士での結婚なんてざらにあるし。


「……風香。どうしたの?」


「……うん。ちょっと将来の事を考えていたの」


「将来ねえ。もしかして恒仁君の事が心配なの?」


「そりゃあ。心配だよ。もしかしたらあの子が東宮になったら。お妃候補に馨子ちゃんが選ばれる可能性もあるなあと思ってね」


「なるほど。それは有り得るわねえ」


  姉さんも頷いて同意を示してくれる。馨子ちゃんを同行していた乳母に預けた。そして人払いを命じてくれる。静かに部屋に控えていた女房達が退出していく。姉さんと二人きりになった。


「で。史華ちゃん。うちの娘が妃がねになる事が心配だと言っていたわね」


「うん。裕子さんはどう思うの?」


「どうと言われても。けど。馨子があんなドロドロした所でやっていけるかだわね」


「それは私も思うよ。馨子ちゃんには普通に結婚してもらいたいわ」


「まあ。お上がそう言ったら従うしかないからね。けどできれば。馨子には平穏な生活を送ってほしいわ」


  姉さんはそう言うとちょっと俯いた。表情は憂鬱そうだ。今のご時世だと結婚は親が決める事だからなあ。せめて馨子ちゃんと恒仁には好きな人と結婚してほしい。もちろん、これから生まれるであろう子供達にも。それを願わずにはいられなかった。


「……裕子さん。恒仁には幸せに生きてもらいたいわね」


「あたしも思うわ。恒仁君は甥っ子でもあるわけだしね」


  ポツポツと話す。まだ、春とはいえど。外から吹き込む風は冷たい。まあ、現代でいえば。今は二月の下旬だから真冬ではある。ふうと息をつく。近くにあった火桶に手をかざす。じんわりと温かさが伝わってきた。


「史華ちゃん。あんたがあたしの妹で良かったと思うわ」


「……裕子さん?」


「ふふっ。姪っ子の心配を今からしているんだもの。ついこの間にお産を終えたばかりなのに」


  裕子さん--姉さんはそう言うと私の近くにまで来た。肩をポンポンとされる。手からも温もりが伝わってきて涙腺が緩んだ。ぽたりと目からは涙が落ちた。


「……あらあら。風香。まあ、今まで色々あったものね」


「……うう。姉さんー!」


「よしよし。この四カ月はよく頑張ったわね。いくら周防さんや東宮様がいたとはいっても。一人だけで寂しかったでしょう」


  次から次へと涙が溢れた。本当に私って泣き虫だわね。でも姉さんは怒らずに慰めてくれる。


「……風香。馨子が五歳になるまでは待っていてね。そうしたら後宮にまた行かせてもらうから」


「……うん。待ってる。姉さんが行けるようになるまでは一人でも頑張ってみるよ」


「その調子よ。あんたはもう人の親になったの。今まで以上にしっかりとしないとね」


  私は涙を袖で拭きながら頷いた。姉さんの言う通りだ。本当にもっとしっかりしなきゃね。姉さんと固く握手を交わしたのだった。


  その後、姉さんは馨子ちゃんと一緒に居所に帰っていった。私は疲れを感じて脇息に寄りかかる。さっきは泣いたから瞼の辺りが腫れぼったい感じがしていた。周防が心配して水を入れた盥桶と麻布を持ってきてくれる。


「……女御様。目の辺りが腫れています。これで冷やしてください」


「うん。ありがとう」


  手渡された麻布を受け取った。水で濡らしてあって目を閉じて当てるとひんやりとした感覚が心地よい。しばらくそうするとだいぶヒリヒリしていたのがマシになった。麻布を取ると周防に返す。


「良かった。赤みが引きましたね」


「そう。なら良かったわ」


  周防はそう言いながらまた麻布を盥桶にある水に浸して洗った。ぎゅっと絞るともう一度手渡してくる。受け取って再び目の辺りを冷やした。十分間くらいはそうしていたろうか。すっかりヒリヒリ感が引いた。礼を言って返すとやっと周防は笑った。


「……腫れもすっかり引きましたね。では一旦失礼致します」


「……うん。わかった」


  周防が盥桶と麻布を持って退出する。入れ替わるように春仁様がやってきた。抱き寄せられた。最近はこれが日課になっていた。トントンと背中を軽く叩くと余計に腕の力が強まったのだった。

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