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二十九話、新しい命

  私の懐妊がわかってから早くも一カ月が過ぎていた。


  もう妊娠六カ月くらいにはなり、お腹が大きくせり出している。姉さんはもう臨月に入っていた。十月と十日ほど経ったら生まれるらしいが。ちなみに今は九月も下旬になっていた。秋も真っ盛りかという頃だ。いつ何があってもいいように周防や小式部など五人程の女房が交代で近くに控えている。姉さんが言っていたように立ったり座ったりするのも一苦労だ。胎動もあって驚く時もあった。そんなこんなで日々を過ごしていた。


「……女御様。香屋子様のお産も近いですね」


「そうね。もう一月もすれば生まれるわ」


「香屋子様も女御様も今回が初産ですから。十月と十日より早まるかもしれません」


  周防が言う。確かにと頷いた。流石に実体験しているなだけはある。感心しながらもお腹を撫でたのだった。


  あれから、三日後に異変は訪れた。姉さんの所に行っていた周防が慌てて戻ってくる。私はちょうど小式部と囲碁をやっていたが。あまりの慌てように驚いて小式部と目を見合わせる。


「……どうしたの。周防。そんなに息を切らせて」


「……それが。香屋子様が「お腹が痛い」とおっしゃいまして。どうやら産気付かれたようです」


「え。それは本当なの?!」


「ええ。今、父君様方が阿闍梨殿などを呼び寄せておられます」


「そう。だったらのんびりと寝ていられないわね」


  私はそう言うと立ち上がる。けど小式部に止められた。


「……女御様。今、あなた様も一人だけのお身体ではないのですよ。香屋子様のお産が無事に終わりましたら。ちゃんとお知らせします」


「そうですよ。女御様はお休みになっていてください」


  二人から言われてしょんぼりとなる。まるで私が役立たずのようだ。姉さんの事が凄く心配なのにな。周防はそんな私を見て苦笑した。


「……大丈夫ですよ。香屋子様は「女御様のお側にいた方がいい」とおっしゃっていました」


「……そう。姉さんにいつも私は心配をかけているわね」


「女御様。御気を落とさずに。何でしたら私が様子を見に行ってきますよ」


「わかった。頼むわね」


「ええ。では。一旦失礼致します」


  周防はそう言うと立ち上がって姉さんのいる対屋に行く。私はお産が無事に終わるように祈りながら見送った。


  三半刻(さはんとき)程して周防が戻ってきた。ちょっと顔色が青白い。どうしたのだろうと思うが。聞くに聞けない。


「……女御様」


「……それで。周防。姉さんはどうだったの?」


「……それが。香屋子様は難産のようで」


  難産らしいと聞いて私は驚いた。まあ、初産だと出産予定日よりも早くなったり遅くなったりも珍しくないと姉さんが文で書いていたっけ。それでも私はいても立ってもいられずに立ち上がっていた。


「……お待ちください。どこへ行くおつもりですか!?」


「……姉さんの所よ。このまま、じっとしてなんていられないわ」


「に、女御様。香屋子様のお側に控えるおつもりですか。それはなりません!」


  周防に力づくで止められた。小式部もこくこくと頷く。私はへなへなとその場にへたり込んだ。無力感に打ちひしがれていた。こういう時に限って自分も身重の体なのが嫌になった。けどお腹の中の赤子には罪がない。どうしたらと思った。


「……風香」


「……あ。あなた様は」


  不意に低い声が聞こえて妻戸の方を向いた。そこには涼しげな眼差しの一人の男性--春仁様が佇んでいた。て、ちょっと待ってよ。春仁様。あなた、お仕事はどうしたの。東宮と言ったら今上様の補佐とか政務とかで多忙でしょうに。そう突っ込みたかったが。口からはひゅうひゅうと息の音しか出ない。


「風香。典薬頭から聞いたよ。身ごもっていたというのに山に分け行って果物を採りに行っていたと。どうして君はおとなしくできないかな」


「……女御様。だからあれだけ危険だと申し上げましたのに」


「……だって。姉さんが体調が優れないと聞いて。いても立ってもいられなかったのよ」


  私が言うと春仁様は呆れたようにため息をついた。そして大股でこちらに近寄ると私の事をそっと抱きしめる。


「風香。やはり俺が側にいないと駄目だな。すぐに君は無茶をする」


「春仁様。それでもお仕事を放り出すのは東宮として駄目ですよ」


「……わかってる。そう思って書類と必要なものは持ってきておいた」


  私は唖然とした。春仁様って実は仕事のさぼり常習犯なの?聞きたくなったが。それは何とか飲み込んだ。


「……春仁様。私の側で見張りでもするつもりなの?」


「そうするつもりだ。もし何事かあっても俺がいた方が対処もしやすい」


「わかった。その代わり、お仕事はちゃんとなさってください。でなかったら父上に言いつけますからね」


  睨みつけて言うと春仁様は困ったように笑う。頬を撫でられたが。それには絆されまいと余計に睨みをきつくさせた。


「……風香。よほど俺は信用がないみたいだな」


「この間の事を忘れたとは言わせませんよ」


  ぎっと睨みながら言った。春仁様は苦笑した。仕方ないと言わんばかりに離れる。すると簀子縁をパタパタと走る足音と衣擦れの音が聞こえた。そして私の部屋に姉さんのお付きの女房が息を切らせて転がり込んできた。


「……し、失礼致します。女御様」


「……一体どうしたの。何かあったのかしら」


「ええ。その。大君様の御子が。たった今。お生まれになりました!」


  大君と聞いてすぐに姉さんだとわかった。私は驚いていたが。それでもこれだけはと頑張って声を出して聞いた。


「……そう。姉さんの御子は。若君なの。それとも……」


「……お元気な姫君です」


  その一言を聞いて安堵した。赤子の性別が女の子ならこの左大臣家を継げるからだ。私はへたり込みそうになりながらも神仏に感謝したのだった。

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