二十七話、風香の……?
私は薬師--典薬頭だという男性に診てもらった。
それによるともしかしたら懐妊しているのではという思わぬ診断結果だった。しかも四月--妊娠四カ月らしい。ええっ。大声を上げそうになったが。なんとか平静を保っていた。その後、典薬頭は食べやすい物を用意するようにとか幾つかの注意点を周防たちに告げる。
「……吐き気が酷い時は無理に食事を勧めない事ですな。それから酸っぱくてひんやりとした物にあっさりとした物を用意しておいてもいいでしょう。病ではありませぬから。薬は効かぬと考えてくだされ」
「……わかりました。他には何かあるでしょうか?」
「悪阻は長ければ、二月から三月は続くでしょう。その間は水だけでもお飲ませするように。後は気晴らしに外にお出でになるのもいいでしょうなあ」
典薬頭はそう言うとからからと笑った。ひょうきんな性格の人のようだ。
「女御様。聞きましたぞ。男装してこっそり外出なさったとか。いやあ。剛な女人もおられるのですなあ」
「……え。どこで聞いたんですか?」
「……春の宮とだけ申し上げておきましょう」
私は春の宮と聞いて唖然とした。ばっちり春仁様にばれてんじゃないのよー!!うう、こっぴどく叱られるよー! 穴があったら入りたい気分だ。けど妊娠していただなんて全く気がついていなかった。私のお腹はそんなにふっくらとしていない。
「……ふむ。女御様。初めてだと気付きにくいものですぞ。もうちょっと早めにわしらに言っておられたら良かったのですがな」
「……ごめんなさい」
「なあに。謝らなくてもいいですぞ。では。そろそろお暇しましょうかな」
典薬頭は立ち上がる。周防が見送りに付いていく。私も「ありがとう」とお礼を言った。典薬頭はからからと笑いながら帰って行ったのだった。
数日後、私は春仁様から許可を得て実家に再び戻った。周防や小式部達も一緒だ。既に産着や帯などは完成していて姉さんに贈っておいた。お礼の文が来たのは昨日だった。そんなことを思い出しながら自室にてふうと息をつく。もう実家に帰ってから三日が過ぎた。お産が終わるまでは春仁様に会えない。
「……女御様。蘇をお持ち致しました。召し上がれそうですか?」
「……ありがとう。ちょっと食べてみるわ」
周防が持ってきてくれた蘇--クリームチーズ状のものを受け取る。漆塗りのお皿に盛り付けてあった。手で摘んで一口齧ってみたが。素朴なけど濃厚な味が美味しい。少しずつ食べてみた。これくらいならなんとかいけるようだ。一個を食べきると二個目も食べた。だが三個目までは入らなかった。
「これくらいにしておくわ。ごちそうさま」
「いえ。少しでも召し上がられて安心しました。少し前までは汁粥ですら駄目でしたものね」
「そうだったわね。私もそれは覚えているけど」
周防は「ようございました」と言って穏やかに笑う。本当に妊娠がわかった頃は気分が悪い時が多くて寝込んでいた。周防達が持ってきてくれたお粥やお汁なども一向に受け付けず、リバースする日が四日程続いた。今から六日程前だったと思う。
「……女御様。もう無理はなさらずに休みませんか?」
「そうするわ。じゃあ、寝所の用意を頼むわね」
「わかりました。しばらくお待ちください」
周防と小式部が立ち上がる。寝所の用意をしに二人は一旦、退出した。それを見送りつつ、脇息にぐったりと寄りかかったのだった。
それにしたって人一人を生み育むのがこれ程大変だとは思わなかった。改めて私を産んでくれた現世の母上や前世のお母さん、その他の世の女性方を尊敬する。皆、こんなに辛い思いを味わっていたなんてね。お腹はちょっと出てきているが。それでも近くで見ないとわからないらしい。
(……ふう。悪阻がなかったといえば。嘘になるわねえ)
そういえば、二カ月前あたりからちょっとだるかったり食欲の減退があったな。吐き気があったし食べ物の匂いを嗅いだだけで気分が悪くなって……いたと思う。周防はなんとなく気づいていたようだが。よく考えたら周防には結婚して十年くらいになる旦那さんがいたはず。お子さんも二人いたと聞いたか。やっぱり経験した事があるからすぐにピンときたのだろう。
御帳台の寝具の中に潜り込んだ。今は七月で残暑も厳しく暑い。じわじわと身体中から汗が滲み出る。ふうとまた息をつく。寝転がってはいるが。気分は上々とは言えない。
仕方ないので瞼を閉じた。トロトロと眠りについたのだった。
再び目を覚ました時には暗くなっていた。小式部が起こしにやってくる。手には食べやすいようにと木苺や芋粥があった。
「……女御様。起きられましたか。もう夕刻ですよ」
「……え。もうそんな刻限なの?」
「ええ。とりあえず、木苺などを持ってきました。召し上がりますか?」
「そうするわ。御帳台から出た方がいいわね」
「……そのままでも大丈夫です。ちょっと失礼しますね」
そう言って小式部は近づいてきた。すぐ側まで来るとお皿を手渡してくれる。受け取ってお行儀が悪いけど木苺を一つ摘んで口に入れた。程よい甘酸っぱさが美味しい。本当に食べやすかった。三つ程食べてみる。これだったらいけそうだとまた思う。もう二つ食べて首を横に振った。小式部は頷いてそれ以上は言わなかった。後は女房の皆で食べるように言って横になったのだった。