二十三話、香屋子
この回は姉の香屋子姫視点になります。R15的な描写が含まれますので苦手な方はご注意ください。
あたしは藤原 香屋子といい、今東宮様の妃である登華殿女御の同母姉だ。
女御は元の名を風香という。あたしから言うと三歳下の可愛い妹だ。くりっとした黒い瞳に艶艶とした黒髪。シミ一つない白い肌に桃色の薄い唇の儚げな感じの可憐な女の子ではあるが。今のご時世に必要な歌や楽などの風流ごとの才能はからっきしだった。入内してからは東宮様や他のお妃方からの文のお返事はあたしがもっぱらしていた。周防と協力しながらだが。そんなこんなで忙しい日々を送っていたのだった。
「……香屋子様。もう女御様が入内なさって三月が経ちましたね」
「そうね。もう秋だわ」
周防と二人で唐菓子を食べながら話をする。他の女房達も各々くつろいでいた。ここは女房の控え室だ。いわゆるお局と呼ばれる部屋だが。あたしはまだ新参者なので周防と同じお局に寝泊まりしていた。けど東宮様のお渡りはない。女御が心配だわ。
「香屋子様?」
「……何でもないわ。女御様が気になって」
「私もそうです。女御様にお渡りがないのがちょっと……」
周防は言葉を濁したが。確かになと思う。あたしとしては女御にお渡りがあれば、肩身の狭い思いをしなくてもいいと考えていた。まあ、あの子自身がどう思うかはわからないが。
「……まあねえ。女御様があまり気にしてないのがせめてもの救いかしらね」
「ですね」
「とりあえず、女御様に東宮様に歌でもお送りするように申し上げてみようかしら」
そう言うと周防は苦笑いする。あたしは唐菓子を一口齧った。油で揚げた餡ドーナツみたいな菓子だ。お砂糖をまぶしてあって美味しい。
「さっ。唐菓子を食べるのもいいけど。仕事にそろそろ戻りましょう」
「……ええ。では片付けておきますね」
「ありがとう」
あたしはお礼を言って立ち上がった。几帳に掛けておいた唐衣を羽織る。女御--風香の元に向かったのだった。
その後、風香のいる登華殿に東宮様がお渡りになった。けど心配だったあたしは風香に進言して二、三度は同席していた。そのたびに東宮様は不満げにしておられたが。あたしが同席しなくなった後でやっと東宮様は風香と一夜を共に過ごすという出来事が起きた。これを聞いてちょっとは胸を撫で下ろした。東宮様が風香に興味を持ってくれたのだ。このまま、二人が真の夫婦になってくれたらめっけものであるのは確かだった。
「……裕子」
そう言ってあたしを見つめるのは滝瀬宮--前世の旦那である祐介だ。ちゃんと今世の名で呼んでほしいが。まあ、久しぶりに再会できたのだ。仕方ないかと思う。
「……宮」
「すまん。今は香屋子だったな」
宮は苦笑いして謝ってくる。今日であたしが滝瀬宮と婚姻してから五日目の夜だ。三日夜の儀式を経て後は所顕しが残るのみだった。宮はあたしの身体を抱き寄せた。鼻腔にふわりと彼の薫衣香が入る。ちょっと懐かしい気持ちが湧き起こった。前世の祐介もグリーンシトラスの香りが好きだったな。それを思い出すとじんわりと喜びが溢れ出す。
「……いいえ。ごめんなさい。あたし、今のあなたの名を知らないから。もし良かったら教えてくださいな」
「そうだな。俺の名は冬仁だ」
「わかった。冬仁様」
名を呼ぶと宮もとい、冬仁様は嬉しそうに笑った。あたしの事を余計に強く抱きしめる。ちょっと苦しいけど嬉しくもあった。
「……風香も春仁様と幸せになってもらいたいわね」
「俺も思うよ。けどお前が男装して乗り込んできた時は驚いたぞ」
「ふふっ。最初は男としてあなたと会ったのだったわ」
笑うと冬仁様はちょっと困ったように笑った。髪を撫でられる。その手つきは壊れ物を扱うように優しい。
「風香姫は素直な子だからな。あの捻くれ者に困らされないか心配だよ」
「あたしもそれは思ったわ。あの子、男運が悪いというか」
「……香屋子。本人達の前では言うなよ」
あたしは肩を竦めた。クスクスと冬仁様は笑う。顎をくいっと上げられた。反射で瞼を閉じると唇に接吻を落とされる。二、三度それを繰り返すとゆっくりと押し倒された。深く激しく接吻をされてそれに応える為に彼の首に腕を回したのだった。
翌朝、冬仁様は早くに起きた。あたしも見送るために起き上がる。冬仁様は鹿ケ谷の別邸からこちらに通ってきていた。まだ、結婚して日が浅いのであたしが彼の元に行くのは憚られた。仕方ないと思うしかない。
「……ではな。香屋子」
「ええ。また明日ね」
あたしは軽く手を振った。冬仁様は名残惜しげにしながらも狩衣などを手早く着て立ち上がる。そのまま、静かにあたしの部屋を去っていく。また、二度寝をしたのだった。
お昼になり風香付きの女房の周防がこっそりこちらにやってきた。あたしは人払いをして話を聞く。
「……あの。姫様」
「……どうかしたの。周防」
「実は女御様の御許に東宮様がいらして。昨夜にお二人は新枕を交わしたようです」
新枕をと聞いてあたしは驚いた。あの浮気性の捻くれ者がとうとう可愛い我が妹にまで毒牙を伸ばしたか。ちょっと面白くなかった。なーんーで。よりにもよってあいつなのよ。もっと良い男を見つけてあげるんだった。
「……香屋子様?」
「……何でもないわ。でもちょっと間が悪いわね」
「そうですね。私もそれは思いました」
あたしと周防はため息をついた。二人で頭を悩ませたのだった。




