二十話、三日夜二
姉さんは今夜にも三日夜の餅の儀式をやるらしい。
私は春仁様と二人で絵を描いたり絵巻物を見たりして一日を過ごしていた。昨夜は添い寝だけで終わったが。正直、ほっとしている。春仁様は「風香の髪が腰の丈になるまでは待つよ」と約束してくれた。まあ、後一年以上はかかると思っている。それまでにもっと親密になれたらいいなと思うのだった。
「……風香。香屋子姫は大丈夫かな」
「……ううんと。大丈夫だとは思いますけど」
「それでも心配だね」
少し眉をしかめて春仁様は言う。私はちょっと複雑だ。いくら実の姉といっても他の女性の心配をされるのは嫌というか。でも口には出さない。この穏やかな時間を壊したくないし。
「風香。眉間にしわが寄っているよ」
「え。本当ですか?」
「ああ。もしかして怒ってるかい?」
苦笑しながら言われて私はムウっと顔をしかめた。わかっていたのに言うだなんて。余計にむしゃくしゃする。気がついたらツンとそっぽを向いていた。
「……春仁様。私が怒っているのがわかっていたんですね。いくら実の兄弟といえど他の女人の心配をされるのは嫌なのですけど」
「悪かったよ。今度からは言わないように気をつける」
「本当ですか?」
私がじっと見つめると春仁様は困ったように笑う。どうせ、私はお子様ですよ。内心でそう思うが。
「……本当だよ。君も疑り深いね」
「……私以外にも大事にしているお方がいるのに。そんな殿方を信用しきれるはずがありません」
「風香……」
つい言ってしまった。私は口を噤んだ。春仁様の表情がすうと真顔になった。目つきが鋭くてちょっと怖いくらいで。
「……君は俺の立場をわかっていないね。俺はいずれは帝になる身。将来のために幾人もの妃を娶るのは致し方ない事なんだ」
「……そうですね」
「子を為さねば他の奴に帝位を奪われる。父もそれを危惧していてね。だから宮中でも実力者である左の大臣を味方につける必要があった。そこで出てきたのが君を入内させることだった」
わかっている。私だって恋愛結婚が夢のまた夢というのは。けど政治的な事情で目の前の人と結婚させられた。それがこんなにも重くのしかかってくるとは思わなかった。予期していなかったともいえる。
「春仁様。あなたは本当は。私の事を好きではないでしょう」
「見抜かれていたとはね。けど気になってはいる。君との時間は思ったより居心地が良いのが誤算だった」
「……私。春仁様と離縁したい。でもできないんですよね」
本音を言ってしまっていた。けど春仁様はにっと笑った。面白い物を見つけたと言わんばかりに。
「……ふうん。俺とそんなに別れたいのか。残念だが。離してやれそうにないな」
「え。私を手放す気はないという事ですか?」
「まあ。そういうことだ。白梅の宮や滝瀬の宮には盗られたくないな」
「……滝瀬宮様は姉さんに夢中でしょうから。それはないと思いますけど」
「君は甘いな。あいつらは俺より色恋では自由の身だ。いつ君を口説き出すかわかったもんじゃない」
私は春仁様の本性を垣間見たような気がした。こういう人だったのね。そう思いながら彼を見つめる。お互いに無言でいたのだった。
夜になり姉さんの三日夜の餅の儀が行われた。花を模したお皿にお餅をたくさん盛り付けて新郎新婦が食べるという儀式だ。この後は所顕しという儀式も控えていて大忙しになるだろう。私は身分上、出席する事はできないが。
「……風香。今日は人手があちらに大分取られてしまう。夕餉はどうしようか?」
「そうですね。台盤所に何かないか周防に見てきてもらう事にします」
「わかった。頼むよ」
私は部屋の隅に控えていた周防を呼んだ。夕餉を持ってきてほしいと言う。頷いて台盤所に行ってくれる。
「ちょっと間が悪かったかな。風香の宿下がりと姉姫の婚儀が重なるとはね」
「……婚儀自体はおめでたい事ではないですか」
「君は何も思わないのか?」
そう言うと春仁様は私を抱きすくめた。すぐ隣に座っていたのでなすがままだ。額に接吻をされた。
「私は姉さんを嫌いではありませんから」
「ふうむ。君が言ったんじゃないか。姉姫の名を言わないでくれと」
「……それとこれとは別です。蒸し返さないでください」
抗議を込めて言うと春仁様はくっくっと笑った。ちょっと悔しい。今までは猫をかぶっていたのだとわかる。
「風香。そんなに怒るな。襲いたくなるから」
「……変態」
ぼそっと言うと余計に春仁様はおかしそうに笑った。そうこうしていたら周防が戻ってくる。こほんと咳払いをされた。私は慌てて春仁様から離れた。
「女御様。一通りの物はありました」
「……ありがとう。宮様から召し上がってください」
「わかった」
春仁様は頷くと周防からお膳を受け取った。もう一人の女房も後ろにいた。私の分も持ってきてくれたらしい。お膳が置かれるとお箸を持って湯漬けのご飯や大根のにいらぎ、山菜入りの汁物、蛸の羹を食べた。春仁様も上品に召し上がる。うん。蛸の羹は干物を焼いたものだが。これ、好きなのよね。あー、たこ焼きが食べたいわ。そう思いながら黙々と食べたのだった。