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十六話、風の音

  私はその後、寝る前に靖忠さんのお部屋に行った。


  男装してはいるが。夜中に男性のお部屋に行くのはちょっと気が引ける。仕方ないので文野さんに頼み、案内をしてもらった。文野さんに簀子縁で待ってもらい、靖忠さんの部屋の蔀戸を叩く。すると妻戸が開き、出てきてくれた。


「……おや。小君ではないですか。いかがなさいましたか?」


「……夜分遅くにごめんなさい。ちょっと靖忠さんとお話をしたくて」


「ああ。それでわざわざいらしたのですね。言ってくだされば、私の方から行ったのに」


  私は首を横に振る。靖忠さんは何を思ったのか。妻戸を大きく開いて私の腕を掴んだ。無言で半ば引きずりこまれるように中に入った。妻戸はぱたんと閉じられる。


「……姫。よもや、夜這いに来たとか言いませんよね?」


「……え。ち、違います。ただ、姉さんの事が気になって」


「ああ。裕子さんの事が気になったから来たのか」


  がらりと変わった声音にどきりとなった。いつぞやの眞澄君の顔で靖忠さんは私を見ている。


「……さっきは悪かったよ。俺の勘違いで怖い思いをさせたな」


「いいの。その。姉さんは大丈夫かなと思って」


「裕子さんだったら今頃、宮様といい雰囲気だろ」


  いい雰囲気と聞いて頬が熱くなった。もしかすると姉さんは一夜を宮様と共に過ごす事になるだろうなあ。このまま行くと即結婚という事態に……。まあ、姉さんのためを思うとその方がいいんだけど。父上と母上はさぞかし驚くだろうな。まさか、俗聖で有名なお方と姉さんが結婚するなんて。私でも驚くわね。靖忠さん--眞澄君の前ではあるが。不意にかの聖母マリア様を讃える賛美歌が口をついて出た。歌詞のないショパン作曲の歌を。


「……Ah--」


  ソプラノに近い声で歌う。眞澄君が驚いてこちらを見ているのには気づいていたが。まあ、いきなり歌うからおかしな奴と思われても仕方ないけど。そのまま、終わりまで歌い続けたのだった。


「……すごいな。史華さんにこんな特技があったなんて」


「……いきなり歌ったりしてごめん」


  驚きながらも褒めてくれる眞澄君に私は謝る。なんでまたキリスト教の賛美歌を歌うんだ、私は。ここは平安時代でキリスト教の賛美歌なんて知らない人も多いのに。自己嫌悪に陥っていた。けど、眞澄君は私に近づくと頭を撫でてくる。


「史華さん。謝らなくていいよ。むしろ、綺麗な声だった」


「……あ、ありがとう」


「俺も賛美歌をまともに聞いたのはこれが初めてだよ。けどどこで習ったのか聞いてもいいか?」


「えっと。お母さんの知り合いの方が声楽をやっていたの。その方に教えてもらったんだ」


「へえ。んで、なんで賛美歌を歌う気になったんだ。理由を聞いてもいいかな?」


  私はいよいよ来たと思う。普通、そう考えてもおかしくないのに。仕方なく理由を言った。


「……その。姉さんがお嫁に行くと思ったら寂しくなって。気がついたら歌ってたというか」


「……なるほど。けど史華さんの歌は。声自体に不思議な力があるな。賛美歌を歌っていたからか、こう清浄な霊気を感じた」


「え。それ本当なの?」


「ああ。陰陽師としてやってきたせいかわかるんだよな。何となくは」


「へえ。じゃあ、誰かの役に立てるかなあ」


  そう言うと眞澄君はちょっと渋い表情になった。どうしたのだろうと思っていたらこちらを見てくる。


「……いや。史華さんの力は隠していた方がいい。今は仮にもやんごとない身分なんだから」


「そうだよね。わかった、あまり他の人の前では披露しないようにする」


「そうしてくれたら有り難い。けど。夜も遅い。部屋に戻った方がいいよ」


  仕方ないので私は頷いた。眞澄君は妻戸を開けて簀子縁に出るように促す。そしたら文野さんが律儀にも待っていてくれた。


「……お話は終わったようですね。行きましょうか。小君様」


「ええ。行きましょう。それでは。靖忠殿」


「……ええ。また明日によろしくお願いします」


  眞澄君--靖忠さんに挨拶をしてから部屋に戻った。文野さんは急いで他の女房達と寝所に用意をしてくれる。半刻も経たないうちに寝所の用意はできたらしい。


「……では。小君様。お休みなさいませ」


「お休みなさい」


  そう言ってから文野さん達は退出する。私はきょろきょろと辺りを見て水干だけを脱いだ。几帳に引っ掛けると襖障子を開けて寝所に入った。寝具にくるまって寝たのだった。


  翌朝、明け方近くに起きると寝所を出て水干を急いで着る。少しして文野さんが角盥を持ってやってきた。


「おはようございます。身支度を済ませましょうね。小君様」


「おはようございます。お願いします」


「ええ。では顔を洗ってくださいませ」


  頷いて置かれた角盥で何度か顔を洗う。差し出された麻布で水気を拭った。髪を梳いて整えたりしてから朝餉を持ってきてもらった。湯漬けのご飯と山菜のお汁、大根のにいらぎ、木苺が出された。それらを完食すると私は姉さんの様子を聞いてみる。


「……あの。女房殿。兄上はどうしているかわかりませんか?」


「……あら。兄君ですか。宮様の寝所からまだお出ましになっていませんね」


「え。じゃあ、兄上はお休み中ですか」


「そうだと思います。けど。宮様に男色の趣味がおありだったとは。驚きました」


「……何というか。兄上がすみません」


「小君様?」


  謝ると文野さんは不思議そうな顔になる。まさか、宮様が男色家と思われるとは。ちょっとややこしい事になったなと思ったのだった。

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