どうやら悪役令嬢は復讐に夢中だった様で
人生で一番絶望した時は、と聞かれればいつでも答えを返すことが出来るだろう。あの瞬間の私はただただ、この世界を、この社会を、自分を、あの女を憎むことしか出来なかった。
しかし、私は酷く幸運な事に---絶望のその瞬間に、私が自らの為だけに復讐できる力を持っている事に気付いたのだ。幼い無力な子供だった私は、そうして復讐の業火に呑まれる自分を嘲笑いながら毒牙を研いできた。
そうしてはや十年。私、ヴィオレッタ・モンタージュは立派な淑女に成長した。復讐も完遂に近いと言って良いだろう。
しかし、私は一つ勘違いをしていた。
怨み憎しみというのは、膨れ上がるだけ膨れ上がって、後でどれだけ事を成そうと早々満足などしない。あれほど憎んでいたあの女が、その命火が、消えかかっているにもかかわらず---私が望んだ景色を確かに見ているはずなのに、私は私の鬱屈を持て余して居たのだ。
「退屈だわ。死んでしまうかもしれない。」
豪華な部屋で一人呟く。復讐を為し遂げた時には、きっと自分は歪んだ顔で嗤っているものだと思っていた。
けれども。どうだろうか。憎しみの焔は燻りつづけて、消えずに膨らみ増すばかり。あの女が死んだら復讐はもう完遂と言って良い。けれども、その後の私は?焔だけ残して目的を失う私は一体どうなるのだろうか----
「あぁ、退屈で堪らない。」
鏡の向こうの私は無表情だ。ボリュームある綺麗な波打つ金髪に、深い深紅の瞳。鼻筋の通った派手な少女が、頬杖をついて此方を見ている。ねぇ、ヴィオレッタ・モンタージュ?貴女はこれからどうやって生きて行くの?
首を傾げて見せても、当然鏡の向こうの少女は返事をくれはしない。そんな時だった。ドンドンドンと驚くべき品のなさでドアが叩かれ、続けてガチャリと開く。部屋の向こうで待機していたのだろう赤髪の侍女が必死に止めようとするが突き飛ばされていた。全く、呆れながらこの異母弟はこうやってよく取り乱す。もう少し公爵家の嫡男だという意識を持って貰いたいものだ。
鼻息荒くこちらへ詰め寄る彼に、ついと目線だけをやった。
「ヴィオレッタ!エイミーの形見を何処へやった!!」
「エイミー?それはエイミー・ラミール子爵令嬢?それともエイミー・アレ--」
「ラミール子爵家のエイミーだ!馬鹿にするのも良い加減にしてくれ!!ヴィオレッタ!」
「馬鹿になんてしていないわ。それで、侍女を突き飛ばしてまで私に言いたい事ってそれだけかしら?」
私は煩く喚く彼から目を離すと、自分の指の爪先を見る。エイミー。エイミー・ラミール嬢ねぇ。最近良く聞く名前だけれど、生憎私は他の事で忙しくて。形見がどうとか言っていたけれど、本当に知らないものはどうしようもない。
「エイミーが泣いていたんだっ、いくら姉だろうがもう容赦は出来ない!」
あの女の子供である異母弟は、あの女に似てとっても激情型だ。顔は父上に似ているけれど、髪や瞳の色はあの女そっくり---忌々しい。
「何を言っているか分からないわ。摘まみ出しなさい。」
騒ぎを聞き付けてやって来ていた私付きの執事が二人がかりで彼を部屋から引っ張り出す。私は部屋を出る最後まできぃきぃと煩い異母弟には一瞥もやらずに、侍女へ声を掛けた。
「悪かったわね。私の異母弟が。」
「い、いえっ!とんでもございません。止めきれなかった私に責がございますので!」
「そうかしら。まぁ良いわ。ところで、先程の形見がどうとかって何のお話かしら?」
私がそう言ってうっすら微笑むと、赤髪の侍女は頬を紅潮させてもごもごと口ごもった。こてりと首を傾げて話を促すと、おどおどと口を開く。
「あの、その、申し上げにくい事ですが、エヴィン様はエイミー様が学園で最近無くされたという母親の形見を、ヴィオレッタ様が彼女から取り上げたのだと思っているらしく…、その、」
「あら、そうなの。異母弟が彼女に熱をあげていることは知っていたけれど、まさかそこまでとは思わなかったわ。」
「いえ、その…。エヴィン様がそう思われる理由というのが、エイミー様がご自分でその、あの…」
「良いわ。続けなさい。」
「…その、ヴィオレッタ様から様々な苛めを受けている、と申したそうです。それを聞いたエヴィン様が此方へいらしたのだと思います。」
「そうなの。エイミー嬢が名指しで私をあれに告発したと…。」
びくりと侍女が震える。恐る恐る私を伺うその様に、つい笑みが零れる。エイミー。エイミー・ラミール子爵令嬢。面白いかもしれない。
「書斎へ行くわ。ゆっくりしたいから人を近付けないように言っておいて。ああでも、エドに軽食を持って来るよう伝えて貰えるかしら。扉前の待機も彼にさせるわ。」
「畏まりました。では、その様に致します。」
「ええ、お願いするわ。それと明日は学園に行ってみようかと思っているからそのつもりでね。」
「はい。承知致しました。」
侍女の完璧な礼を見て、私は立ち上がる。そう、目的を失って退屈なら、違う目的を探せば良い話だ。
たまには異母弟も良い事をするじゃないか。ああ、明日が楽しみだ。
取り敢えず、書斎へ向かおう。折角なのだから教えてあげても良いかもしれない。今更苦痛の一つや二つ、増えた所であの女も気にしやしないだろう。
気分が良い。今日は素敵な夜を過ごせそうだ。
私は書斎に入って、誰にも見られていないことを確認すると隠し扉を開く。続く隠し部屋の隠し扉を鍵で開けると、地下へと続く階段が現れる--
そうだ。落ちるところまで堕ちるのなら、異母弟もあの女に会わせてやっても良いかもしれない。母親と息子の感動の再開だ。と言っても、あの女にとって異母弟はただの駒であるだろうから、あんまり楽しい事は起きないと思うけれど。
コツ、コツとヒールの音を響かせながら階段を降りて行くとそこそこの広さの部屋に出る。
その部屋の真ん中にはベッドが置かれていて、そしてその脇には錠で繋がれた女が居る。その女は手首を錠でベッドの脚に繋がれていて、ベッドの近く以外へ動く事は出来ない。
目隠しをされ、口封じをされた女--父の愛人のカテリーナはぶるぶると震えてとても可哀想だ。ああ、本当に可哀想。だって、すぐ側にベッドがあるのに、座れないんだから。
「ねぇ、可哀想なカテリーナ。」
目の前に居る憎い女に笑いかける。目隠しで見えてはいないが、それでもこちらの機嫌の良さが伝わったのか、哀れな女はガタガタと震え始めた。
「私、可愛い異母弟が居るじゃない?」
私は屈んで、哀れな女の髪を撫でてやった。ほつれて汚れ、べたりと頬に張り付いた髪をすいてやる。すると女は、首を左右に振って必死に私の手から逃れようともがいた。私は一つ笑顔を溢して、立ち上がる。
「お前、まだそんな良い反応が出来たのね。知らなかったわ。お前のような人間でも子を愛す事が出来るのね。」
女はゴンと頭を床へぶつけた。ごりごりと地面に額を押し付けて体を揺らしている。謝っているのか。赦しを請うているのか。分からないが、意外な反応ではあった。復讐が一つ、増える。
「あら、どうしたの?そんなに会いたいの?」
無駄よ。今更そんな事をしても---
「じゃあ連れてきてあげるわ。近い内に、ここへ。」
異母弟へ手を出してもこの女は別に気にしないと勝手に思ってしまっていた。違うのなら話は別だ。全く、本当に今日は良い日だ。面白い事を二つも知れた。私は女を見下ろしてクスクスと笑みを溢す。
愛しているのなら、奪い取ってやろうではないか。
お前が、かつて私にそうしたように----
翌日、私は宣言通りに学園へ来ていた。卒業間近の私は無論全ての授業単位を取得しているので、ここでやる事など無いのだが少し確かめたい事があったからだ。
食堂のテラスで優雅にティータイムを楽しんでいると、とととっと足音が。私は側で控えていた猫目の私専属の執事にチラと目線をやってから手元のティーカップへと視線を落とした。
「ヴィオレッタ様っ。」
可憐な声が焦燥を滲ませて転がり落ちてくる。見上げると側には菫色の髪に若葉色の瞳をした可愛らしい令嬢が立っている。
「どうかされました?」
涼しい顔で私がそれに応えると、ざわりとテラスに波紋が波立つ。当たり前だ。子爵令嬢が公爵令嬢に赦しもなく話し掛けるなどマナー違反も甚だしい。穏便な対応でも彼女を無視するか執事に追い払わせるかの二択しかない。
それを私がさらりと応えたものだから、周りとしては訳が分からないだろう。しかも、相手は只の子爵令嬢じゃない。高位の令息をたらしこんでいるともっぱらの噂のお騒がせ令嬢である。その噂では私の婚約者も彼女に傾倒しているらしい。
とくれば、普通なら私は子爵令嬢---エイミー・ラミールを毛嫌いしていても可笑しくはない。けれども、私は生憎自分の目的に忙しいので今まで全く彼女に構ってこなかった。
思い返せば彼女は私の近くで急にバタンと転けてみたり、教室で教科書がないと騒いでいたり、お気に入りのハンケチーフを盗られたと泣いていたりしていたが、私は私で忙しく完全に無視していた。
我ながら馬鹿だと自分でも思う。こんなに面白い人が転がっているのに全然気付かなかったのだから。
「失礼を承知で申し上げますっ。私の形見のネックレスをご存じ無いでしょうか…!」
ふるふると震える両の手。下げられた瞳。可憐な顔の割には魅惑的なぽってりした唇--その端は悔しさか恐怖かきゅっと噛み締められている。
どこからどうみても苛められている令嬢の姿がそこにある。
しかし。私は見えている。悲しみと怒りを示す彼女の瞳の奥に、確かな強かさが映っているのを。
「知らないわね。用はそれだけかしら?」
私がばっさりと切り捨てるとエイミーは瞳を潤ませて私を見下ろす。
「本当ですか…!?」
「ええ、本当よ。」
私はそれ以降エイミーに一瞥もくれてやらなかった。その後少しは食い下がった彼女も、これ以上は意味がないと悟ったのか一礼して走り去っていった。
私は執事をチラと見上げて小首を傾げてみる。すると彼は小さく小さく頷いた。
---合格だ。
私は今だざわめくテラスをそのままに、ゆったりと立ち上がる。困惑するもの、恐れるもの、呆れるもの、ほくそ笑むもの。沢山の視線を浴びながらもその場を去った。
屋敷へ帰ると、部屋の前には異母弟が顔を真っ赤にして立っていた。情報が早いこと。
「ヴィオレッタ!お前、何を企んでいる!」
目が合って一言目がそれか。呆れたものだ。親の顔が見てみたい。…ああ、そうだ。見に行けば良いじゃないか。
「大きい声を出さないで欲しいわ。此処ではなんだから話をしたいなら私の書斎へ行きましょうか。」
「移動する理由など何処にある!誤魔化そうとしても無駄だぞっ!」
「あら、良いんですの?どこで誰が聞いているのかも分からないのに。」
私がそう言ってうっそりと嗤うと、異母弟がびくりと体を揺らす。実は、彼の前でこんな風に嗤うのは初めてだったりする。
「悪いこと言わないわ。着いて来た方が身のためよ。貴方の為にも、そして、あの子の為にもね。」
こう言って嗤えば簡単で可愛い私の異母弟は大人しく私に着いて来るしかない。彼は、私が彼の想い人を虐げていると思っているのだから。
側に控える猫目の執事と、私の部屋の扉の前で待機していた赤髪の侍女に一つ視線をやる。そうして、私は異母弟と共に私の書斎へ歩き出した。その後ろを猫目の執事が静かに追いかけて来る。
書斎へ入って、まず口を開いたのは私だった。彼は、少し私を警戒している様だった。
「貴方、母君に会ってみたいとは思いませんこと?」
「な、なんだ急に…とち狂った事を。母君なら二年前に居なくなっただろう…?今はそんなことよりも---」
「あら、残念ねぇ。もう母君の事は宜しくて?エイミー嬢が健やかならそれで良いと。」
「な、何が言いたい…!大体エイミーの事はお前がっ。」
困惑していた異母弟が、本来の目的を思い出したのか、私を強く睨み付けてくる。私はそんな可愛い異母弟に向けて、小さく口を開いた。
「やれ。」
「がっ……!」
それは一瞬だった。待機していた執事が、私の言葉で異母弟を攻撃する。首の後ろを強く殴り付けられて一撃で昏倒した彼は、恐らく何が起こったのかも分からぬまま床へ沈んだ事だろう。
私は嗤う。可愛い異母弟。貴方が犯した罪では無いけど、ちょっと頭が足りないわ。そういう所、あの女にそっくりね。
「宜しかったので?ヴィオレッタ様。」
猫目の執事が問い掛けてくる。
えぇ、勿論。私は自分のやっている事を理解している。
にっこりと笑みを返すと、猫目の執事は静かに微笑んだ。
「もうすぐ卒業パーティーね。きっちり準備するようにお願いするわ。」
「勿論で御座います。ヴィオレッタ様。」
恭しく礼をする猫目の執事。私はついと地面に張り付いたままの異母弟を見下ろす。
「楽しみね。」
クスリ、と笑いが溢れ落ちる。どす黒い感情が、轟いて止まない。
鏡の前で派手な少女が此方を見ている。真っ赤なドレスは彼女の妖艶さを引き立てて、少し濃い目の化粧は彼女の華々しさをさらに増加させていた。絶世の美女とも言えるだろう。ただ、無表情なのが珠に傷だろうか。
後ろで私の出来映えに御満悦な赤髪の侍女を放って、頬杖をついて鏡を眺める。私は、母上にそっくりだ。本当に似ている。瞳の色こそ父上譲りの鮮血色だが、黄金色のボリュームのある髪だって母上譲りだ。私は、自分の容姿を好んでいるけれど、時々憎くて堪らなくもなる。
母上は、こんなに冷たい無表情を浮かべた事などなかった。いつも優しい笑顔で、私の名を呼んでいた。
「…あの、ヴィオレッタ様。そろそろお時間でございます。」
頬を紅潮させた赤髪の侍女は、恭しく私にそう言った。私は頭のてっぺんから足の爪先まで完璧な令嬢になった自身をもう一度鏡で見て、それから立ち上がり侍女を見やる。
「貴女、私がモンタージュに相応しいと思うかしら?」
「…あ、それは…畏れながら申し上げますと…。」
「良いわ、続けなさい。」
「…その、正直に申し上げますと…ヴィオレッタ様にここは小さすぎると…あの、えっと…思います。」
「そう。」
「…はい。しかし、私は何があろうと貴女の道を行きます。どうかその御慈悲を私に。」
再び頭を下げる赤髪の侍女に、私は無表情で頷く。
道。この道はなんの道だろう。破滅の道か、栄光の道か、それとも----
この学園の卒業パーティーというのは、国を挙げての社交の場でもある。我が国の王候貴族や他国の高貴なる方々も参加する卒業パーティーなのである。
勿論高位令嬢の私には様々な声が掛けられる。暫しそれに対応し、談笑してから、私は少し外の風に当たって来るとその場を離れる。
カツカツと高いハイヒールの音を少し響かせて会場を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「ヴィヴィ。」
小さくも良く通るその声に、私は振り返る。我が国の第二王子にして私の婚約者---オリバーが子爵令嬢と側近を伴いそこに居た。
「少し時間を貰っても良いかな。」
ふわふわした黒髪に垂れ目がちの青い目、優しげな微笑み。絵本のようなキラキラとした金髪碧眼の王子様ではないが、静かで研ぎ澄まされた美しさを持つ彼は、老若男女に人気がある。
「ええ、勿論ですわ。」
私は婚約者の腕にベッタリと張り付く子爵令嬢と彼女を守るように脇に控える殿下の側近達を見る。殿下の側近達は皆国の有力子息ばかりだが、険しい顔をして私を見ていた。面白い。
「良かった。最近ラミール嬢と側近達が煩くてね。どうしても一言物申したいのだと。」
「この場でかしら?」
「うん。そうみたいなんだ。どうしてもどうしてもと煩いから、一応陛下にも話は通してあるよ。だけれど、僕は君に話を繋ぐだけで、彼等とは何の関係もないから。」
殿下はそう言って静かに微笑むと、腕に張り付いていた夢見る乙女をそっと引き剥がして私の隣へと並んだ。
それに驚いたのは私ではない。目を見開いて固まる哀れな子爵令嬢と、顔を青くさせる殿下の側近達だ。
「え、お、オリバー様?どうして…っ。」
おろおろと視線を迷わせる可憐なエイミー嬢。私の隣で私の腰へ手を回した殿下は、心底不思議そうに首を捻った。
「どうしてもこうしても、君の訴えを大勢の前で公開すべきだって彼等がいつも煩いから。公務中でもお構いなしだし、学園にも迷惑をかけてしまったしね。だからこの際、もうハッキリさせておいた方が良いのかなと思ってね。」
そして、殿下は何も知らない幼子の様に、微笑んで告げた。
「だから、この場を用意してあげたよ。この国の有力子息たちの頼みだ。感謝は彼らにしなさい。」
パーティー会場の人々は、平然を装いつつも此方へ注目していた。色々な感情と企みを乗せた目が私達へ突き刺さっている。
しかし一人、この場の意味を全く分かっていない者が居た。彼女は見る者が思わず庇ってやりたくなる程の可憐さを持って、瞳を潤ませる。
「オリバー様、私の為に…有難うございますっ!」
その言葉にただ殿下は微笑むだけ。私は殿下へゆったりと身を預けながら、揃いも揃ってエイミー嬢にご執心のこの国の有力子息達へ目を向けた。
「それで皆さん、何用かしら?」
彼等の真っ青な顔が面白い。まるで殿下に裏切られたとでも言うような顔だ。悪い人だと殿下を見上げてみると、殿下は首を傾けて微笑んだ。
「…ヴィオレッタ・モンタージュ嬢。」
側近の一人がか細い声を挙げた。可哀想に。私は唇を吊り上げてまるで物語の悪役のように笑う。ぶるり、と隣の殿下が奮えた気がした。
物語の役者というのは、幕が下がるまでは舞台を降りられないのだ。可哀想な彼等は私の前に引きずり出されてしまった。
「…貴女は、ここにいるエイミー・ラミールに度重なる嫌がらせを行いましたか?」
「いいえ。行ってないわ。」
「本当に?」
「ええ。」
もうすでに嵌められたと気付いている宰相の息子が、小さく息を吐いた。それきり何も言わなくなる。しかし、皆が皆そう頭が回る訳でもないし、分かったからと諦められるものでもない。
「なにも、俺達は彼女の証言だけを証拠として貴女を糾弾している訳ではないぞ。彼女以外の証人もいる。」
「あら、そうなの?けれど、やっていないものはやっていないわ。」
「それを証明して頂きたいのだ。」
「可笑しな話ね。訴え出る側の主張ではないわ。私これでも貴族令嬢よ?」
「それだよ。身分を傘に攻撃していたって言う目撃情報もある。」
「いくら殿下の婚約者といえども許されてはならないものがあるはずだ。」
「それに、君自身がやっていなくても、配下にやらせていたりしなかった?実際、現行犯からは君の名が出ていたよ。」
ここぞとばかりに捲し立てられる。本当は、ここに異母弟が加わっていたのだろうと思うと、それはそれで見てみたかったと感じた。
「モンタージュの名は良くも悪くも響いて聞こえるものよ。それだけでは何の証明にもならないわね。」
「誰にも命じていないと言うんだな。」
「ええ、そうよ。でも、そんなにその証人が信用できるなら、今此処で出てきて貰えば良いわ。私は構わないもの。」
ねぇ、殿下?
そう隣へと声を掛ける。私は好戦的に唇を吊り上げたまま、殿下の静かな青い瞳を見つめた。
「どうだろう。僕は正直もううんざりだよ。こんな茶番に付き合わされるのはね。」
静かで穏やかな微笑みから転がり出る言葉は凶器の様。それを聞いた殿下の取り巻き達は、もう黙るしかない。
彼等は私だけでなく殿下まで舐めてかかっていたんだな。丸め込めるとでも思っていたのだろうか。
静かになってしまった彼等の代わりに、今度声を挙げたのは勿論エイミー嬢だ。宰相の息子は彼女を止めていたが、全く彼女は止まらなかった。
「みんな、どうしてっ…。ヴィオレッタ様が公爵令嬢だからですかっ。何故言わないの…?この人はひどい人なのにっ…!」
私は冷ややかに彼女を見下ろす。しかし、言葉は返してやらなかった。焦れた彼女がまた声を挙げる。男を惑わす蕩けた鳴き声だ。
「最初は悪口だけだったっ…それくらいなら全然大丈夫でした!でも、教科書を破いたり足を引っ掻けたりするのは、違うんじゃないですかっ…!」
なんて可愛いこと。私がもしも本気で貴女を追い落としたいなら、まずは傘下の令嬢達には徹底的に無視をさせるし、ラミール家のものを買わないようにさせるわ。嫌がらせと言うのは、その人がされて嫌な事をしなければ意味がない。
エイミー嬢の様な悪意を気にせず冷笑に気付かない健気さを持つ者には、悪口なんて意味がない。
教科書を破るくらいならいつもつけている素朴な髪飾りを壊してやる方が効果的。教科書なんて消耗品を破いたところで労力と見返りが釣り合わない。
エイミー嬢の感覚は庶民に近い。毎度彼女を見掛ける度に着けていた安物の髪飾り。普通の貴族令嬢ならどれだけ大事なものでもあんなものは着けないだろう。少なくとも、外では。
教科書を破く暇があれば、彼女を押さえつけ髪飾りを取り上げて目の前で砕いた方が効率的だ。
足を引っ掻けるのも同じだ。そんなことよりもっと簡単な事がある。大事に育てられてきた女なら誰でも恐怖を感じるだろう事。
私に向かって、やれドレスを破いただの形見がどうのと喚いているエイミー嬢を、上から下まで観察する。ああ、これならば何一つ問題などない。
私は、ほの暗い焔を灯した瞳を彼女へ真っ直ぐに向ける。隣の殿下が私の様子に気付いて身動ぎした。
---犯してやれば良いのだ。情報なんて幾らでも握りつぶせる。使い捨ての駒だって幾らでもいる。
なんにせよ家格が違う。大抵の事なら握り潰せるだろう。しかし、どうせ嫌がらせをする事によって情報操作を行うなら、より鋭い毒牙を。
結局あの女だってそれで壊れた様なものだ。だから、ベッドに座ることすら出来ないのだ。ベッドの上には悪い記憶があるから、わざわざ冷たい床でぶるぶると震えているのだ。
今だ頑張ってきゃんきゃんと鳴き喚いている子爵令嬢を見ていると、くいっと腕が引かれた。私は頷いて、殿下と共にその場を離れる。
そうして、私は一つ自分の間違いに気付いた。本当に追い落とすなら---殺せば良いだけの話だった。
けれど、それはしない。
だって彼女は次の目標なんだから。殺したりするのは、勿体無い。
向こうも私へ敵意を持っているみたいだし--エイミー・ラミール嬢、貴方は合格よ。
私と一緒に遊びましょう。
会場を離れながらうっそりと笑う私の髪に、殿下が微笑んでキスを落とした。