7 服飾街と兄弟の血
「いやあ、可愛い御仁を連れてきましたねわんちゃん!」
「…可及的速やかに用意してもらえると嬉しいのですが」
次に訪れたのは散髪屋。柑橘系の匂いの涼やかなそこで、ぼくは違う意味で背筋が寒かった。真顔直立不動で悶えるその様は城の執事を思い起こさせた。
「弟。」
軽く死んだ目でリュカが教えてくれた。さもありなん、黙っていればかなりの美丈夫なのに、と周りの目が言っている。
「若ぁ、仕事内容覚えてますー?」
「もちろん忘れるわけないじゃないですかこんなに可愛い男の子をあたしの手で生まれ変わらせることができるなんてこんなに幸せなことあたしの一生の中と何回あることがわかったもんじゃないわよそもそもこんな磨かれていないだけで磨けば至宝の様に輝くであるう手付かずいや、手をつけ始めたばかりの原石を渡されてこのあたしが黙って落ち着いて作業できるとでもあんたたちは思ってるのですか⁈」
間違いない。あの執事の弟だ。ところどころで女性のような口調になってるとか、きっと突っ込んじゃいけないんだろう。
そんな風に悶えながらも、なんだかんだぼくを椅子に座らせて髪を洗い始めているあたりに手に職を持ち、非凡な技を持つ職人であることがうかがえる。いくら変人でちょっと変態の混じっているようなできたらお近づきになりたくない感じの人でもやはりここフレザで大店を構えるだけはある。
絶妙な力加減とお湯の暖かさにふわふわと思考が眠りに溶けそうになった。
「寝ないでください、お客様。若に食われますよ」
バッチリ目が覚めた。
真顔で忠告してくれた男にリョクスイ殿と似たものを感じる。多分、同じような役割(苦労人)なのだろう。
「ふふふ、想像以上の原石でしたね」
「なっ、⁈」
「わ、シーターすごい」
「わっふっ⁈」
…最後、ラビだよな。喋りかけて誤魔化すにはちょっとお粗末すぎないだろうか。
「こんなに綺麗なら切るのはもったいないですし毛先を軽く揃えるだけにしますね。」
「…はい?綺麗、ですか?」
忘れることはない。いくら瞳玉を使っているとはいえ本来の僕は輝かない黄色の瞳と白髪を持つ死んだ狼。見にくいとは言われようとも綺麗なわけがない。
「出来上がってのお楽しみですよ、お客様」
執事弟は銀の鋏を少し動かしただけでそのあとは柘植の櫛で軽く梳かされ飾り紐で結ばれた。
「見て、シーター!君はやはりとても美しいよ。」
「っえ、」
真っ白な肌にシャープな印象をもたせる肉の付いていない顔。深い緑の瞳には銀沙が煌めき、髪は光を孕んで淡く発光しているように見える。
「誰、この美少年」
「もちろんシーターだよ!」
「…うわあ、ぼく今自分で自分のこと美少年って言っちゃった」
ふと我に帰る。とても変わった。
だが、自分で自分のこと美少年とか、どんだけナルシストなんだ…
「ふふ、昼の最高位白鹿の黒点公みたいですね」
「あの、恥ずかしいんでやめてください」
「ご存知ですか?黒点公は様々な色に輝く白の毛並みと美しい紫の瞳を持つ鹿なんですが、その尾は馬の尾で絹糸よりも滑らかで美しいと言われているんです。一髪切り屋としては是非とも触れてみたいものです。」
ふわりと微笑んだ執事弟は、純粋な職人としての憧れを浮かべていた。こういう笑顔もできるのか、と内心ホッとしてしてしまったぼくは悪くないと思う。
「にしてもわんちゃん、この子さっきのひどい髪も目を引いただろうけど目を引くっていう点では悪化してないです?私の手にかかったとはいえ、やっぱり元がいいですね。こんな美少年そうそうお目にかかれませんよ?ふふふふふっ、ほんと可愛いですねえ?」
「はーい、若は他のお客さんに幻滅される前に黙って人形役やるという大切なお仕事がありますからねー」
…苦労してるなあ、この人も。
鳥肌を誤魔化すために擦っていたぼくに、申し訳ないと眉を下げ、無表情で執事弟は引きずれていった。
「んー、だから嫌だったんだよね!腕はいいんだけどこと美少年やら美少女に対する情熱が粘着質というか僕のシーターに向かってぐちゃぐちゃ絡むということは分かっていたからやっぱりここには来たくなかったんだけどシーターという埋もれ美少年を美しく掘り起こすために僕のような物の勝手な私情を挟んで国宝級の美しさを世界に生み出さないというぐっ」
「はーい、犬の御方はお客様にドン引きされる前にお題払ってお引き取り願いますよー。軽く営業妨害ですからねー」
苦労してんなぁっ、この人っ!
おっと、ちょっと魂飛んでたからツッコミに力が入ってしまった。
「あ、お代は…」
「相変わらず紅騎士様に下賜された物ですか…。これで払い歩いてるなら確かに下手な店には捕まらなさそうですが大丈夫ですか?誘拐やら何やら」
「うん、ラビがいるしその辺もアカキシサマノゴイコーでどうにかなるなら」
「適当ですねえ。正直店の近くでなんかあったら迷惑なんでひどいことなる前にうちに駆け込んできてもいいですから。若のおかげでうちの店、そんじょそこらの破落戸に負けるような鍛え方してないんで。」
なぜ、という疑問が顔に出ていたのだろうか。軽く死んだ目で僕を見た苦労人さんがにっこりと笑った。
「若の平均脱走回数は11回、若の平均変態化回数は3回、若の平均狂信者に襲われる回数は8回、若の平均うちの娘嫁誑かしてんじゃねえという怒鳴り込み回数は2回、若の平均あいつうぜえ締めてやろぜ回数は1回、今でこそこれで落ち着いていますが、外からの迷惑なお客様はかつては今行った数の2〜3倍ほどの御来店でしたねえ」
「「お疲れ様です」」
ちょっと並みの苦労人やってなかった、この人…
表通りに面した名店で、主人が尋常じゃないレベルでの行動的な人って考えるとリョクスイ殿を超えるな…
「頭は苦労人だからねえ!」
「頭にとっちゃ苦労というよりゃ日常だからね!」
「ちげえねえ!」
「頑張ってくださいよー、頭どの〜!」
「やっぱ頭どのの苦労も、ここの常連客にとっちゃ魅力だからねえ!」
「「ちげえねえ!」」
ケタケタと笑う店の人やお客さんたちに頭と呼ばれる苦労人さんはにっこおりとお手本のような笑みを浮かべた。
「おい野郎ども?ぐだぐだ口動かしてる暇があるなら手を今の倍速で動かすことくらいできますよねえ?お客様がた、当店は髪切り屋にございますゆえ、あまり若を調子に乗らせるようなこと仰らないでくださいませんか?すっごく疲れるんですよねえ?」
ぱきん、と空気が凍る
「これ以上、疲れさせないでくださいますか?」
「「りょ、了解ですお頭ぁっ!」」
なんか、疲れすぎてちょっと吹っ切れてるなあ、この人。店の店員もお客さんもここまでを一連の流れとして楽しんでいるようだし。
というか若とお頭だったらお頭の方が立場上なんじゃ…いや、突っ込んだらダメだな。
「では、ありがとうございましたお頭」
「ワンコロ様?」
「あの、お疲れ様です。よろしければこれどうぞ…」
ケタケタと笑いながらラビの方へ行ってしまったリュカを冷えた目で見据えるお頭さんに森で採った木の実の入った袋を渡した。
かすかに眉根を上げたお頭さん、袋の中身を見るとふわっと笑った。
「これはこれは、可愛らしい袖の下をありがとうございます。小狼のお客様」
「頑張ってください」
「ええ」
もう一度ふわりと笑ったその顔は、穏やかで、幸せそうで、嬉しそうで
とても執事弟に似ていた。
時折、店員達も同じ笑みを載せる
それは、あの執事弟から移った笑みなのだと、なんとなくわかった。
この町は優しくて、暖かい人が多い
「シーター、行くよ!」
「うん!」
ラビにかけよれば、リュカが引っ張り上げてくれる。
水牢楼で叩き落とされたことを思い出して思わず体が強張った。
「うぉんっ」
ラビが、小さく吠えた。
何事かと怯える視線が集まるのに反してぼくの力はいい感じに抜けた。
嫌われてはないらしい。それどころか気遣ってくれるラビに一瞬でも怯えてしまったことが申し訳なくて。
ラビの横腹を優しく撫でると、一回だけ尾を振ってくれた。
「ねえ、リュカ、」
次はどこに行くの、と聞こうとした時だった。
「おい、さっさと行け!」
「営業妨害なんだよっ!」
男たちの怒声、人の倒れる音。ラビに乗っているおかげで他の人よりも視点が高い僕たちには、数メートル先の店先での諍いが見て取れた。
お菓子屋さんだろうか、屈強な店員達が店の前に立ちはだかり、倒れた子供を睨みつけている。
奇異なことに誰1人子供を助けようとせず、それどころか他の店の店員まで厳しい顔で箒を構えていた。
「リュカ、なにあれ」
子供が、顔を上げた。
ほおには痛々しい擦り傷があり、かむっていた衣は土に汚れ、綺麗な青い髪はほつれてしまっていた。美しい青い瞳をキラキラと怒りに輝かせ、子供特有の高い声で叫んだ。
「恩知らずっ!」
ぱっと立ち上がり、一瞬よろけた子供に、容赦のない罵声と箒を振り下ろしという暴力が襲う。
「っあ、」
罵声と、暴力、動けない、動いたらさらに、殴られて、
痛い
苦しい
怖い
辛い
嫌い
なぜ
憎い
悔しい
悲しい
腹立たしい
嫌だ
助けて
無理
どうして
・
。
・
。
・
。
・
・
「シーター!」
「っひっ、あ、」
木の天井、覚えのある柑橘の香り
「大丈夫ですか、小狼のお客様」
「お、かしら、」
「…大丈夫そうで何よりですねえお客様ぁ」
「いひゃいれふ」
満面の笑みでほおを伸ばしてくるのはやめて欲しい。
てか本当に痛い
「冗談はさておき、なぜここにいるか覚えていらっしゃいますか?」
ずきんと、痛む頭に顔をしかめる
たしか、髪を切ってもらいに来て、執事弟にあって、お頭は苦労人で、それでもとても暖かくて
ずきん
罵声と、振り下ろされる棒と、土に汚れた子供と、助けを差し伸べることのない観客、
「っ、あの子供は⁈青いあの子、大丈夫なの⁈あの子、あのこはっ」
「シーター!」
「っあ、」
大きな声に恐怖が沸き起こり、そしてすっと凪いだ。
落ち着かなきゃ、ぼくは物語屋のシーターなのだから。
「青い小さなお客様はお姉様がお迎えにいらっしゃって事なきを得ましたよ。」
突然体を起こしたせいで落ちてしまった冷たい布を、横たえられるついでに額に乗せられる。
それもまた、冷静を取り戻す助けとなった。
「でも、大丈夫なんですか、女性で、それに、なんであの子は、あんなにも、拒絶されていたの…?」
怒声も、暴力も、耐えられても
拒絶は、本当に怖ろしい
「シーター、ちょっとした物語があるんだ。聞きたい?」
「もの、がたり、」
物語屋のリュカが、このタイミングで話そうとするということは、きっと、ただの物語じゃない、誰かの物語。
「あの子が知りたい?あの子を助けたい?あの子の物語を、受け止める覚悟は、見て見ぬ振りをせず手を差し伸べる覚悟はある?」
リュカの新緑の瞳が輝く。
「物語に呑まれず、物語の先導をし、紡ぐ覚悟が、君にはある?物語屋、シーター」
眩いその新緑の奥に、強い何かを感じた。
物語に呑まれない強さ、なのだろうか。
その輝きが、ぼくにも欲しいと、そう思った。
「教えて、いや、語って、あの青い少女の物語を」
「物語屋リュカ、承りました。」
姿勢を正したリュカに、起き上がろうとして抑えられた。
そのままで、そう微笑むリュカは艶やかで、目を奪われるような不思議な魅力をまとっていた。
「犬の御方、私は…」
「いて下さい、名水」
ナスイと呼ばれたお頭どのは、少し驚きを踊らせて、低く頭を下げた。
「ですが、お代は…いえ、物語を知るお許し、有難うございます。」
リュカを、物語屋を、彼は知っているのだ。
リュカの語る物語の、なにがそんなに特別なのか。それはわからない、でも物語が人を救うというなら
ぼくは知りたいと思う。
闇の中でもがくことも許されずに囚われ続けるのは苦しいから
言葉が人を救うことを、ぼくはもう知っているから
「これは、遠い昔のお話、フレザの街に伝わる伝説にございます。題名を、【橙玉のフーニャ】と言います。どうか、ご静聴あれ。」