31 宝飾街と紫の結界
え、と、
物語屋のシーターと言います。
お初にお目にかかれて光栄です、ヴェルヴィヴ様。
あなた…なんで冷静に挨拶なんかしてるのよ。このままだと、明日には死にますわよ。
はあ、とため息をついた少女が唐突に赤いドレスをたくし上げた。
黒に絡め取られているせいで目をそらすこともできずに真っ白な腿の途中までが目に入ってしまう。
精神世界であるがゆえに目を瞑ることもできず困惑するシーターの前で、ヴェルヴィヴは腿のホルスターから抜いた一振りの短剣を抜き放った。
その瞬間溢れた紫が、黒い闇を押しのけてやわやわと広がり、ついには向かい合って対話できるくらいのスペースが紫に染まった。
こほん…《こほん。さて、これでいいですわね。》
え、と。
なにがこれでいい、なのだろう。
《最初に1つ。言わせていただきますけど》
ぴしり、と細い指に握られた短剣がぼくの胸元を指した。
《私、あなたこと嫌いですわ。》
《えぇと…申し訳ありません?》
初対面の彼女に嫌われるようなことをしただろうか。正直記憶が無いけどぼくの口は勝手に謝罪を吐き出した。
《だから、お返しなさい。私の愛しい子たちを。双剣ヨスナミヒクナミを。あの子たちは、あなたが持っていてはいけないものですわ。》
紫水玉の瞳に揺れる光は、大切な者を守ろうとする光は、ああ、見覚えがありすぎて。
黒が、蠢く、
《おやめなさい憎悪に逃げるのは。それは頼ってはいけないもの、そんなことも忘れましたの?》
《に、げてなんか》
《逃げてますわ。かつてはあなたを助けようとした者たちに、少し前には物語屋に、今では世界樹とその葉の子に。あなたは抱え込んだこの黒を理由に逃げている。》
ああ、遠い。
彼女たちの声も、白い世界も。
あの陽だまりの御方さえも。
紫水の輝きは、それら全てを照らし尽くして近寄らせない。
《私はヴィーヴァ。ヴェルヴィヴの名を持つ者、ヴェルヴァリヴォの一角の長。鋼師として、私は私の愛しい子を、この世を拒絶するほどに悲しませたあなたを許さない。》
それは怒りでは無い。悲しみでも、憎しみでも、諦めでも、蔑みでも、哀れみでも無い。
黒でさえ退けるその輝きは、その色の名は、【誇り】
《悲しませるって、ぼくはなにも、》
《穢らわしい死んだ狼。》
黒が波打つ。
己を拒む紫水を押し潰さんと呑み込まんと荒れ狂い押し寄せる。
ああ、この人もぼくを拒絶して傷つけるなら
この人も、傷つけばいい
《私が嫌いなのは、その考えですわ。》
少女の手の中の短剣が、眩い輝きを広げる。
《自分の傷で他者を傷つけんとする、その考えが、私は許せない。》
そして短剣は、シーターの胸を切り裂いた。
「っ……?」
ぼくは、なにも無い場所に突っ立っていた。
一面に、紫水が満ち満ちている、不思議な場所。
まっさらなそこは、水底のようにどこか揺らいでいた。
柔らかな明るさは、どこにも光源が無いのを考えなければ眠気を誘うもので、ぼくは思わず目をこすった。
曖昧な、緩慢な場所。
場所に対して使うにはふさわしく無い形容詞だけど、それより他に良い表し方が見つからない。
「…えっ、と。」
ぼくは、魔構竜車の中で、フラッシュバックに襲われて、白露が近寄ってきて、それで、
「っ、白露!!!!はくろ、はくろ、はくろ!はくろ!はくろ⁈」
いない、いない、いない、
頭の上、肩、懐、背中、足、地面、空、
瞳の中にも、白露がいない、
「はくろっ!」
「やかましいですわ。」
「っ、ヴェルヴィヴ様っ!白露が、ぼくの白露が、いなくっ」
「くっ、」
もう、ヴェルヴィヴの手に短剣は無い。
その代わりに扇を持った少女は、体を震わせた、
「くふっ、くふふっ、きゅ、きゃはっ、きゃはははははははははははははははははははははははははははははは
ははははっ!
きゃはっ、きゃははははははははははは
ははははははははははははははははは
は
ははは
ははははははははははははははは
きゃきゃははははは
ははははははははははははははははははは
ははははははははははは
ははひは
は
ははははははははははははは
はははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!!」
明確な悪意。まさに嘲笑、まさに悪役。
機構の、宝飾の狼がぱかりと口を開き、壊れた少女の笑いを吐き散らす。
先ほどの誇りの、欠片も感じ取れない蔑みは紫水の大地…いや、水底に広く広く響き渡った。
嘲笑は反響し、増幅し、もはや目の前の少女が笑っているのか、反響した音が跳ね回っているのか、はたまた狼の機構がかってに笑っているのかすら区別がつかない。
もしかして、これは悪夢だろうか。
「きゃはっ、悪夢なわけありませんわ?悪夢よりなお、疎ましくっておぞましい、現実!きゃははっ!」
考えが口に出ていたのか、まだ思考の中に彼女がいるのか、とにかく帰ってきた返事には先ほどの彼女にはなかった様々な感情が滲んでいた。
「私の大っ嫌いな、私の愛しい子の仇。私の大っ嫌いな物語屋の愛しい子。私の愛する、夜の狼に護られる者。許さない許さない許さない許さない!!!!紫水の掟、ヴェルヴィヴの家訓!私の愛しい子を傷つけたあなたに贖罪を求めますわ!」
「…ぼくは、確かに過去のことで白露を傷つけたかもしれない。いや、確かに殴り飛ばしたり粗雑に扱ったりした。でも、ぼくはヨスナミヒクナミにはなにもしてない。」
「いいえ、死んだ狼。あなたはたしかに、あの子たちの仇ですわ。あなたの罪は、無知。あなたの行いによって傷つき壊れた人々を、あなた自身が忘れたことですわ。狂うことは許さない。気を落とすことも許さない。あなたはあなた自身の罪を、見つめ直さなくてはならない。」
「どう、いうこと。覚えてる。ぼくのせいでたくさんの人が傷ついた、ぼくのせいでたくさんの人が壊された、ぼくのせいで、ぼくのせいでたくさんの人が死んだ、」
紫水玉が静かにぼくを見据える。
なんで、なんで。
助けて白露、助けて白蕾、
ぼくは、ぼくはなにをしたっていうの?
生まれてきたことが罪なのか、生きていることが罪なのか、壊れていないことが罪なのか、死ねないことが罪なのか、ここに今在ることが罪なのか。
「ここは紫の結界。気を失うことも、過去に飲まれることも、あなたの守り神が手を出すことも、あなたを愛する精霊が助けてくれることもありませんわ。」
なにが言いたいのか、なにがしたいのか、わからなくて、理解できなくて。
呆然としている間にヴィーヴァは紫水に溶けて消えていた。
「…え、と。」
それで、ぼくはここでどうしたらいいんだろうか。
身につけているのはラビの魔力で編まれたマント、闇衣。
ヨスナミヒクナミは姿を消しているが、革袋には貨幣、干し肉、飴玉がまだ残っている。
白露も、白蕾もいない。
ラスイさんも、影さんも、ヤオさんも、イチちゃんもいない。
もちろん、リュカだっていないのだ。
久しぶりの一人きりは、思ったよりも静かだった。
「【葉椿】!【七竃】!」
名を呼ぶ。本当の名前、2匹の本質。
確かに2匹とつながっているはずの言葉は、紫水の闇に沈むばかり。
うーん、困った。
仕方ない、叫ぶか、
「リュカーーー!!!!ラビュンディーーー!!!イドラージャァァァァァ!!!!!!げほっ、ごほっ、げほっほっ、ごほっ、げっほっ!」
うん。突然怒鳴るもんではないな。
…ん?
沈むばかりで停滞していた紫水がコポリと蠢いた。
「ナスイさぁぁぁん!ラスイさぁぁぁん!あ、ミーカーラーナァァン様ぁぁぁ!!!」
ゴポポポ…
一面の紫水に膨らんだ白泡が、大きく大きく膨らむ。
《RRRR.....》
割れた泡のその中に、1匹の獣が微睡んでいた。
深い青の毛皮。
狼の上半身と魚の下半身。
額から伸びるのは珊瑚を思わせる一角。
大きさは大型犬くらいか、魚の尾鰭は水になっていて正確な大きさはわからない。
「きれい…」
近くにいた獣は、ぼくを守ってくれる白露、白蕾。師になってくれたラビ、一白。見守ってくれる紅孔雀、頑張ってくれる水亜竜。
みんな、優しくて、甘やかしてくれていた。
だから。いつしかそれが当たり前になっていた。
惹かれるがままに伸ばした手は、獣の尾の一閃で弾き飛ばされていた。
「っがぁっ!!」
《サワルナ、ニンゲン。アルジヲ、コロシタ、ウラギリモノガ》
穏やかな紫水の中、数メートル跳ね飛ばされたぼくを、獣は嘲笑った。
ギラリと輝く牙は、皮肉にも白露の胸元の白い宝珠を思わせる。
「…もしかして、あなたはヨスナミヒクナミ?」
《ハンブンセイカイダ。ナア、ニンゲン。ナゼオマエガキョゼツサレテイルノカ、ナゼニクマレテイルノカワカルカ?ニモカカワラズワレラガオマエノモトヘクダッタカワカルカ?》
どこか単調な声音に耳が滑り、内容が頭に入らない。
それでも、獣の声の中に、苦しみと怒りの中に、悲哀を感じたから。
「わからない。だから教えてくれない?あなたのことを語ってほし…あなたの物語を、ぼくに教えて欲しい」
リュカは繰り返した。
いつだって僕が教えられるわけじゃないと。
なら、リュカがいないなら今いる相手に聞けばいい。
ぼくが白露を殴ったのも、ヴィーヴァがぼくをここに連れてきたのも、この獣がこんなにも悲しい目をするのも。
ぼくの物語のせいだというのなら、ぼくが目をそらし続けてきたせいだというなら。
「おしえて、ヨスナミヒクナミ。ぼくに、償い方と本当の物語を」
何ができるかなんでわかんないけど。
これ以上わけもわからず責められるのはちょっとイヤだから。
ラビを思わせる狼の上半身が、ぼくを睨みつけてくるのはあまり楽しい気持ちがしないから。
だから、
《ナラバキケ、ニンゲン。カノモノガタリノゴジンノヨウニ、ワレラモカタッテミセヨウカ。コレヲ、ナヅケルトスルナラバ》
とろりと、獣の瞳が懐古にとろける。
《ソウキュウノキシノモノガタリ》
フラグ街の伏線は回収が大変。
ちゃんと回収するのでもう少しご辛抱を
ヴェルヴァヴァリヴォ英雄侯爵家は魔巧技師、魔術師、薬師、鋼師の4つの家から侯爵を選出しています。
なので、ヴェルヴァリヴォの苗字を持つのは英雄侯爵ただひとり。
ヴェルヴァリヴォとしての家訓はなく、それぞれの家で別々の家訓があります。
薬師の家訓
人身売買及びそれに関することへの接近禁止
侵略の禁止
鋼師の家訓
己の創造した物の庇護及び創造したものの使用者への加護
などなど。




