[とある水楼子の回想 下]
それから、1週間後。
約束の場所に食料を取りに行った彼女が、なかなか帰ってこなかった。
様子を見に行くと、そこには蔦を暴れさせる彼女がいた。彼女はボロボロの状態で、鉄に囚われていた。
そこには、炎を纏う武器を構えた教会の人々がいた。
「魔王【蔦漆の愛子】および、魔王【水装の子】を確認。これより、討伐任務開始前の確認を行う。」
ありもしない敵ではなかった。
そこには確かに、敵がいた。
俺と彼女の交わした指切りを、彼女は守った。
彼女は俺を守って戦った。俺より先に死なずに、俺を守るために足掻いていた。
「聞こう、魔王【水装の子】。汝、教会の軍門に下る意思はあるか?」
「…あると言ったらどうなる。ないと言ったらどうなる。」
「あるならば、贖罪の十字軍で我ら教会の指示に従い魔王の討伐任務を。ないならば我ら教会が汝を討伐する。」
「なぜ、彼女にその選択肢がない。」
「魔王【蔦漆の愛子】は人を殺しすぎた。ゆえに、贖罪は死以外にありえない。」
家族の死を悼んでくれたその口で、教会の人々は俺の新しい家族の死を告げた。
俺の新しい家族の死を、教会が与えると言った。
「約束、した。指切りを、したんだ。」
俺の中の何かが、プツンと切れた。
俺の中の何かが、静かに鎌首をもたげた。
気づけば、俺は水の鎧をまとっていた。
歪に蠢くそれは、とても冷たかった。
その冷たさは、彼女に捧げられた夜を思い出させた。
彼女と初めて交わした指切りを思い出させた。
「魔王【水装の子】の敵意及び殺気を確認。魔王【水装の子】を討伐対象に認定。これより、魔王【蔦漆の愛子】と魔王【水装の子】の討伐を開始する。」
教会の人間は、全部で12。
彼女のために用意された炎は、俺にとって好都合だった。
炎は水に勝てない。
だからと言って油断があったわけじゃない。
そこには、単純な力量差があっただけだった。
鋭い刃は水を切り裂き、俺の体を紅に染めた。
熱い炎は水を蒸発させ、俺の体を焼き焦がした。
岩は俺の足を捉え、木々は俺の視界を塞いだ。
彼女がいなかったら、俺はもっと手こずっただろう。
彼女は、歴戦の魔王だった。
搦め手を巧みに使い、数多の手数と技巧で教会の人々を翻弄した。
しかし、彼女は歴戦の魔王だったが、俺は辺境の村人だった。戦うことも、力を使うことも知らない村人だった。
鉄に囚われてなお教会の人々を寄せ付けない彼女と違って、自由でありながら弱かった俺は、ついに地に伏した。
甘い、花の匂いがした。
妹の倒れていた、姉の転がっていた、従兄弟が散らばっていた場所だった。
ちぎれ飛ぶ花弁が、嫌に鮮明に視界を覆う。
白い剣尖が、迫る。
ああ、彼女より先に死なないという指切りを、破ってしまうなと、のんきな思いが浮かんだ。
彼女は、泣くだろうかと。
「抵抗しない!!!」
彼女の声に、俺を貫かんとしていた切っ先が首の皮一枚傷つけることなく止まった。
「その男はこの5ヶ月庇護していた私を守らなければ死ぬと錯覚しているの!私が、魔王として犯した罪の贖罪が死ぬことなら、受け入れる!だから、もう1つ償わせて!私はその男の家族を、親戚を、友を、家畜を殺したわ!その男を教会で保護してくれるなら、私は争わずに死を受け入れる!」
「ま、まて、待て!それは違う!俺はあんたが、」
「錯覚よ。ねえ、忘れたの?あたしはあんたの大切な人を殺したの。花束を持ってきてくれたのはあんたの妹だった?殺したよ。花を目の前で踏みにじって、愛されたお前が憎いって嘲って殺した。お菓子を持ってきてくれたのはあんたの姉だった?殺したよ。着飾ってきてくれたから、お菓子と衣装だけはもらってね。」
ーおにーちゃん、だいすき!あたし、おにーちゃんのお嫁さんになる!
ーあんたがどんな力を持ってたって、あんたはこのあたしの弟だよ。
ーは?お前が怖いわけないだろ。お前俺に喧嘩で勝ったことねえじゃん。なんだったら従兄弟様って呼んでもいいぜ?
ーあ、ちょっと水を出しておくれ!なんだい、変な顔して。息子なんだから親孝行おし!そうそう、おまえがいてくれるおかげで水汲みの必要がなくて楽だねえ。
ー水を操れるから怖いだろ?馬鹿かおまえ。怒った母ちゃんより怖い存在なんているわけ…って、ごめんよかあちゃん!
故人の声が、甦る。
彼女が殺し、奪った、大切な人の思い出。
「じゃあ償えよ!」
彼女がほっとした顔をする。
教会の人々が動く前に、俺を押さえつけていた教会の人間を水を纏った拳で殴り飛ばし、彼女に駆け寄る。
「大切な人を奪ったって知ってんなら、新しい俺の大切な人を奪うんじゃねえ!!!!」
粛々と攻撃を開始する教会の人々から、呆然とする彼女を守る。
「あんたと俺は!もう家族でいいじゃねえか!全部失ったなら!また始めればいいじゃねえか!」
もう左腕が上がらない。
視界が狭まり、体が重く動きが鈍いのにやけに体感が軽くなる。
「そのための、そのための指切りをしたじゃねえか!!!」
そして、彼女は笑った。
俺を蔦漆で押さえつけ、縛り付け、笑った。
「うん、だから私は、指切りの通り、花に沈むよ。」
そして、彼女の胸に、燃え盛る剣が突き刺さった。
花の、甘い、甘い香りがする
右手の小指が、やけに冷たい
ああ、酔いそうなほどの甘い香り
ああ、狂いそうなほどに赤い視界
「やあ、少年。」
その声は、やけに明るく場に響いた。
「な…だ、れ、」
垂れ耳の犬を思わせる髪飾りと、木漏れ日を思わせる新緑の瞳。
薄い白いワンピースには、紅は一滴も滲んでいない。
紅の海で笑うのは、美貌の少女。
「…かみ、さま?」
どこかの神様が、俺を、彼女を救いにやってきたのだと、そう思った。
その願いを、少女はくりっとした瞳を見開いて、
「んー、どちらかというと、魔王様かなあ」
綺麗にぶった切った。
甘い甘い香りがする。
クラクラとした頭のまま、呆然と少女を見上げていると、少女の後ろに、彼女を抱き上げるまた別の少女を見つけた、
「な、なにを、かえせ、返せ返せ返せ返せ!!!」
俺の平安を、俺の約束を、俺の住処を、俺の大切を、俺の大事を、俺の好きを、俺の家族を、
返せ
「なあ、少年。グルさんなら、この娘を救えるさね。グルさんなら、少年ごと救えるさね。けどね、少年。それには少年が人としての生を捨てなきゃいけないね。グルさんは魔王の味方さね。自分と大切な人だけを守る、理不尽でまっすぐな魔王の味方さね。」
炎みたいだ。
赤い赤い髪の、真っ黒な瞳の少女が、血だらけの彼女を抱き上げて、
俺に問う。
「少年、人をやめる覚悟はあるさね。人を憎んで嫌って疎んで妬んで、それでもグルさんについてくるなら、その憎悪を全て、諦めなきゃならないさね。野に生きる魔王は自由さね。殺されるも、殺すも自由さね。グルさんと一緒に来た魔王は不自由さね。殺されるも、殺すも不自由さね。奪われることも、不自由さね。」
ああ、考えるまでもない。
不自由だった。
俺が誰かを愛せば、その人は不幸になった。
その人は長老たちに責められ、嫌われ、疎んじられ、村にいにくくなった。
ついには、皆彼女に殺されてしまった。
この世界からいなくなってしまった。
それでも。
「いい、それでいい、だから、だから俺から奪わないで、これ以上奪わないで、彼女を、奪わないで。」
「じゃあ、一緒に来るさね。グルさんは、【贖罪の十字軍】の長、魔王【異形の将】ゴヴ。あるいは、魔王を助け魔王を守り、魔王のまま生きるための組織、」
少女は、俺の愛した彼女を抱いて、笑った。
「【けもさんず】のグルリャさね。」
そのふざけた組織名に似合う、悪戯っ子のような、とても魅力的な笑顔をで。
「おー、ようやく気付いたさね?」
「ぐ、グルさん…?」
赤い髪、黒い瞳。
それは間違いなく、【けもさんず】を率いる少女。
強い魔王であるグルさんが、少女と呼べる歳である可能性は限りなく、それはもう限りなく低いが、グルさんのお茶目さは十分に彼女を少女と呼ぶことに違和感を覚えさせなかった。
そう、誰もが苦笑する【けもさんず】というふざけた名前は、彼女が自信満々につけた名前なのだ。
「俺、なんで…」
「んー?覚えてないさね?シーター、だっけかね、隻水。お前さんが襲った少年の主人に、お前さんを正気に戻すように頼まれたさね。」
シーター…
冷たい、緑の瞳。
ぼくは、死んだ狼です。ぼくは罪、ぼくの存在は罪、ぼくは生きていてはいけないのに、ぼくは死ねないのです。許してください、死ねないぼくを、多くの罪なき優しい人を殺してきたぼくを許してください。人々を殺してなお死を恐れて己だけは殺さないぼくを許してください。ぼくは、死んだ狼です。
悲しい言葉を淡々と落とす、澄んだ瞳をした少年。
「、あ、ぐ、グルさん!あの子は⁈俺、あの子に最低なことを!!!知ってたのに!知ってるのに、俺、俺があの子から笑顔を奪って、俺があの子に死んだほうがいいなんてことを…!」
「落ち着くね、隻水。お前さんは悪くないね。悪いのは…グルさん、さね。」
「…え、」
黒い瞳が、歪む。
悲しげに、悲しげに歪む。
「グルさんは、そこそこ強いさね。それでも、全部を守るにはあまりにも弱いさね。隻水、心して聞くね。」
グルさんの、傷ついた顔を初めて見た。
笑ってるか、仕事を面倒だと叫んでいるか、他の魔王の話を真剣に聞いているかの三択だったグルさんが、はっきりと、その表情を悲哀に歪めた。
「【猫の愛子】ロクが、離反したね。【贖罪の十字軍】だけでなく、【けもさんず】を明白に裏切ったさね。隻水、お前さんの憎悪を呼び起こしたのは、【猫の魔王】さね。」
その名は、その魔王は。
グルさんが信用し、グルさんがクロージア侯爵領の【けもさんず】を統括する役割を与えた、強き魔王の名前だった。
「グルさんは、グルさんは、最初の約束通り、」
ロクさんに裏切られたことより、利用されたことより、
「【猫の愛子】ロクを、討伐するね。」
俺たちを助けてくれた彼女に、俺たちを守ってくれた彼女に、泣きそうな顔をさせていることが、何よりも許せなかった。
とあると言っておきながらやっぱり名前を暴露してしまうグルさん。
実は作者的に名簿さんの次に好きな人。
隻水さんはシーターに絡んで名簿の威圧で気絶した瞳玉使いの青年です。「世界を終わらせる始まりに、花の香りの指切りを」ではちょっとラストが違って幸せになるのでよかったら最後のところだけ読んでみてくださいな
〈作者の泣き言〉
そろそろ自分の張った伏線につまづいて転けてフラグへし折りそう。




