【物語第2冊目】火の始祖富火
あるところに水の一族と呼ばれる人々がいました。彼らは水守様と呼ばれる少女を崇め、慕い、守り守られながら暮らしていました。
水牢楼と呼ばれた水の一族の住処は、水守様に守られとてもとても平和でした。
「富水、富水!どこにいるの!」
母の声を聞きながら、少年富水はそっと縁の下を這っていました。
水牢楼はお客さんを迎えるお屋敷、中庭、水守様の仕事用のお屋敷、水の一族の寮、水の一族の仕事場、畑、水守りの杜、水守様のお社の順に並んでいます。そしてその全ての建物は高床式になっていて縁の下を這うことでどこへでも行けるようになっていました。
水の魔術の使える少年富水にとって縁の下は都合の良い彼専用の道であり、富水の母にとってはただの暗く狭い場所でした。
「ふーくん、どこー?」
「ここだよ、ヴィフ。」
夢見るようなどこか淡く幼い声に富水は応え、縁の下から抜け出した。
服についた埃はすぐに水魔法で清め、駆け寄ってきた少女を抱きとめる。
青い髪に青い瞳。長い髪は結い上げられ、豪奢な簪と相まって華奢な少女にはひどく重そうに見えた。
「ふーくん、ふーくん、ゔぃふのふーくん」
若人になったばかりのヴィフはキラキラと瞳を輝かせて富水を縁側に誘った。
ヴィフは裾から足が見えるのも構わずに縁側にこてんと転がりぼくに”外”の話をねだった。
水の子供達の中で最近流行っていることや、商いの方々から聞いた遠い国の話、新しい水蛇が生まれたことや、魔王と勇者の話。
特別な話ではない、例えば蝶が孵化したとか、とっても赤い林檎がなったとか、そんな話でもヴィフは楽しそうに笑ってくれた。
「ふーくん、ゔぃふ、ふーくんのこと大好きだよ」
無垢で純粋な好意を向けてくれる囚われの少女。他の水の一族は存在すら知らない富水のお姫様。
薄紫の髪に紫の瞳という始祖の一族の中でも特に始祖の血の強い富水は水の力が強く、水守様の覚えもめでたい。
そんな富水が願って叶えられないことなってほとんどなかった。
だからこそ、成人したらヴィフと結ばれる。そんな甘い子供の夢を漠然と持っていました。
「富水、待ってたよ!この子は花水。街の一族の子なんだけどちょっと水牢楼で見習いをすることになったの。いろいろ説明してあげてくれる?」
どこにでもいるような栗色の髪、始祖の一族と違って淡く陽に焼けたすらりとしなやかそうな筋肉のついた姿体。
そして、水守様と同じ、真っ青な瞳。
「初めまして、富水。僕は街の一族の花水。よろしくお願いいたします。」
花水は瞬く間に人気者になり、花水自身もそれをかさにきて威張り散らすことなく穏やかにいました。
富水はそんな花水の有り様を、何より自分の考えや行動についてこられるだけの能力を持っているということに狂喜しました。
他の子供達が敬い、どこか一線を引いた対応をするのに対し花水は同等の立場で富水と付き合えたからです。
いつしか始祖の富水と街の花水は一族公認の親友にまでなりました。
花水と仲を深めるにつれて、富水はヴィフの元へ行かなくなりました。自分をただ妄信的に認めてくれるヴィフではなく認めてくれながらも時には自分を超える能力を見せる認め合える仲の花水と共にいた方が楽しかったというのもあります。
それよりも、富水は恐れました。
容姿に秀で、魔力に秀で、知に秀で、性格に秀で、富水を時に凌駕する能力を持った花水に、ヴィフが恋するのではないかと。
富水は花水を認めていました。そして、決めていました。大人になったら、その時に、花水を始祖の一族の長、水の一族の長に推薦して自分はその補佐に回ろうと。
「富水。」
「緑水様、」
常に水守様に付き従っている緑水様が1人で話しかけてきた。その時点で富水は自分に用があるのだとそう思って駆け寄ろうとしました。
しかし緑水様は、それを手で制します。
「花水に水守様がお呼びだと伝えてください。」
いつもは、いつも呼び出される時は、富水だけか2人同時にでした。花水だけが水守様によばれた。その事実は今まで富水を花水の上として扱ってきた水守様が同等として扱ったということを示していました。
その噂はすぐに広まり、富水の願いはだんだと叶えられなくなってきました。
水の一族は緩やかに、自分たちの長を富水ではなく花水にと認識し始めていたのです。
邪険に扱われるようになっても、哀れむような目で見られても、富水は決して荒れることはありませんでした。むしろ、申し訳なさそうな顔をする花水を支えるために、様々な技能を身につけるようにしました。
「花水、君こそが水の一族の長にふさわしい。僕が君を支えるから、君は胸を張って長になるんだ。君なら、きっと素晴らしい長になれる。」
なんとも言えない顔をする花水を、次期長ではなくなった富水を嘲る子供達を黙らせるように、富水は側近としての技術を吞み込み、高めていきました。
その様子は一心に己の身を食らう獣のようでもあり、己が身を限界まで削って美しい彫刻を作り出そうとする狂樹霊を思わせるものでした。
「花水が次期長なら、僕はヴィフとあの座敷で住まうことができるはず。長でない僕なら、ずっと表にいる必要はないんだから。」
ヴィフだけは富水を1番に考えてくれる。
花水だけはちゃんと僕の努力を認めてくれる。
水守様の関心が、水の一族の敬意が、商いの方々の媚びへつらう相手が花水に移った中で、ヴィフと花水だけが富水の努力の拠り所となっていました。
それが、崩れたのは、おそらくある日の気まぐれでしょう。
側近としての能力を認められ、面と向かって嘲られるようなことがなくなってきたある日、富水は久しぶりにヴィフの元を訪ねました。
「かーくん?あ、ふーくん…」
ぱっと花が開くような笑みを咲かせたヴィフの笑顔が、あからさまに陰ったのを見て、富水は理解してしまったのです。
ヴィフもまた、かーくんを選ぶのだと。
そこにいたのは、盲目的にふーくんを信じるヴィフではなく、かーくんに恋する1人の女の子でした。
おそらくそれが、引き金でした。
決して花水には勝てないと、どうしようもなく認識してしまった瞬間であり、唯一自分を認めてくれる花水に、富水が執着じみた忠誠を誓うようになる、引き金でした。
富水と花水は、確かに子らの中では聡く賢く、並みの水の一族に比べるべくもない巨大な魔力を持っていました。魔術適正に優れる富水と魔力適正に優れる花水。
2人が揃えばフレザの街に勝てる者はいないとすら言われました。まあ、水守様と緑水様、水の一族の長老様がたや守護を担う方々は別ですが。
2人は確かに強く賢く、しかして確かに、子供でした。得てして、子供という者は己の知る事柄だけで世界が完結していると思いがちです。
それは、富水と花水の2人にも言えることでした。
「ヴィフ、今日は楽しいことをしよう。」
「ヴィフの1番喜ぶ贈り物を用意するから、目を瞑っていて?」
そして富水と花水はヴィフを、水の少女を外へ連れ出した。
優しかった街の人々は、手には武器を、口には罵詈雑言を目には敵意を持って3人を迎えました。
その怒りと憎しみは青い瞳を持つ花水にまで向き、一見水の力を持っているようには見えない富水は2人から引き離されかけました。
知らなかったのです。青がどれほどフレザの街に憎まれているか。知らなかったのです。こうもたやすく人の態度が覆ることなんて。
突き飛ばされ、殴られ、蹴られ、脅しと行って炎の魔術で炙られ、苦しみながらもヴィフを守ろうとする花水と、街の人に抑えられて安全なところでそれを見させられている自分。
裏切り者、薄情者
いつしか、そんな言葉がふつふつと沸き起こっていた。
幼馴染の少女がいるのだと、いずれ紹介したいと言った時は歓迎すると言ってくれたのに。紫という珍かな色が忌まれていたことを話した時、色で差別なんてしないと言ってくれたのに。
嘘つき、卑怯者
あなたに仕えると、あなたを支え守ると誓ったのに。虐げられるあなたを見ているだけなんて、
ゆるさない
『keeeeeeeeeeeeee』
長く尾を引く、悲鳴じみた鳴き声。
視界が紅に染め上がり、気づけば炎が踊っていた。
倒れ伏す街の人、火に炙られる街並み。呆然とした表情のヴィフと花水。
炎を纏った富水の差し出した手に、ヴィフの青い瞳が大きく見開かれ、
「ぃゃぁぁああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!」
突然現れた水の門に、2人は飲み込まれて消えた。
ヴィフからの拒絶。呆然と顔を向けた店の窓に映っていたのは、燃え盛る水を纏った、赤紫の瞳と髪を持つ少年。
これは、怒りなのだ、憎しみなのだ、嘆きであり、憤りの証なのだ。
フレザの街が、赤い少年の街が水の青を侵食しているのだ。
目を瞑る。耳元に聞こえてくるのは幼い日に聞いたこの街の真実の物語。
水の少女と水の力が、炎の暴走を抑え、フレザの街を救った話。
試さなくてもわかる。きっと水牢楼は火を持つぼくを受け入れる。そして、水牢楼の優しく穏やかな時間の流れるそこで、フレザの罪に目を背けて老いを迎えるのだろう。今回戻ったら、きっとヴィフはもう2度と外に出れないし、花水も行動を制限されるだろう。
裏切り者、薄情者、嘘つき、詐欺師、卑怯者
人でなし、ろくでなし、偽善者、恩知らず
耳の奥に流れる声に、富水はうなづいた。
「裏切り者、薄情者。」
好きだった。フレザの街が、優しい人々が。でもそれらが水の恩を忘れて大切な水の一族を虐げるなら。
火に蝕まれた水として、叫び続けよう。
いつか火が水を認め、僕の愛した青の少女と、僕が忠誠を捧げる花水が何に怯えることなくこの美しい赤い空の下、歩けるように。
「いました、こちらです!」
「囲めっ、絶対に逃がすなよっ!」
赤紫の髪を風に靡かせ、水牢楼を襲う計画を立てていた者たちの屍の上で青年は赤い空を見上げていた。
水の一族を赤い空のもとへ。彼の言葉に賛同した者たちと共に火の一族は数を増やしていました。
それと同時に火の一族は赤の少年の一族たちにも、水の一族にも追われるようになっていました。
「もうやめて戻ってきてくれ、富水!」
青い瞳の親友に、届かないように火を纏い、優雅に優雅に礼をする。
その洗練された動作は全て花水のために修めたもの。
「僕はもう、何も知らず水守様に守られる存在じゃない。火を呑み込んだ水、日に紛れる水。僕の名は、
富火」
富火じゃないよ富火ですよ。




