11 服飾街とお勉強
「さて、まずは先ほどのお話を復習させていただいてもよろしいですか?」
燃える炎の花の眩く優しい光は銀の葉と金の枝幹を淡く照らし、光を返すそれらの複雑な反射によって中庭には絢爛でありながら優雅で不思議なこの世とは思えない情景が広がっていた。
その木の根元に、巨大な藍色の狼と何気に美丈夫と呼ばれる容姿のナタと、一応美少年の括りに入るらしいぼくが思い思いに居る様はどうやらフレザの芸術魂を刺激したらしく城付きの絵師や服飾デザイナーなどが中庭を一望できるテラスに集まっていた。
衆人環視とはいえ決して狭くはない中庭は、声をこちらからあちらへも、あちらからこちらへも届かせなかった。
「お願いします、ナタさん」
伏せるラビの横腹に、身をもたせかけた姿勢でお願いすればナタさんが苦笑した。
「彼らは我がフレザの誇る画力、写生力、想像力、その他諸々のこの世の有り様を切り取って紙に移す術に長けた者たちですが、今夜という今夜は己の実力不足に歯噛みすることになりそうですな。」
あなたは麗しくお美しく、艶やかだ。
そう言ったナタさんはなぜか先ほどより穏やかで、あの相手に口を挟む隙を与えない怒涛のような話方をする執事どのと同一人物には見えなかった。
「ありがとうございます…なんですかね?」
「ええ、ぜひ誇ってください。あなたは美しい。」
穏やかな微笑みに、既視感を覚える。それはセタさんやナスイさんの微笑みによく似ていた。セタさんと兄弟であるという事実が、しみじみと感じられる。
「話が逸れましたね。さて、公爵家がなぜ13の月群でしか領地を持てないかという話でしたね。まず、サーライズ王国では13の月の名をもつ群と、無名と約20群があります。それらは第一の天から第五の天と名付けられています。」
どこからともなく取り出したスケッチブックに5重の輪を描く。
「第一の天。国の中央にある高き山、そここそが王城を戴くサーライズ山です。
第二の天。そのサーライズ山を中心とした大空の月群、その周りを囲むのが王族の治める冬と秋の月群。
第三の天。冬と秋の円の外に公爵家と教会の夏と春の月群が歪な輪を作り出しています。
第四の天。基本的に貴族は大空の月群に屋敷を構え、無名の土地に領地を持ちます。そんな貴族領が教会の春と混ざり合いながら存在しています。およそ7群ほどの広さですね。そして、」
第一の天の真ん中はこぶし大。
第二の天は第一の小指くらいの幅
第三の天は薬指くらいの幅
第四の天はて一つ分くらいの幅
そして第五の天は足裏くらいの幅
「この最も広い第五の天には英雄侯爵の領地となっています。だいたいこの辺がクロージア侯爵領ですね。」
ナタさんのかこった範囲は、13の月の中で最も広い大空の月群よりも広かった。
「さて、我が国において最たる脅威とはなんでしょうか?」
「魔王とその眷属ですか?」
「正解です。」
青で十三の月を囲み、赤で教会の印を書き込む。そして最後は緑で第五の天を囲む
「魔王は十三の月群にはあまり現れません。基本的に無名の土地、そして国境付近で現れます。まず、無名の土地に魔王が現れたとします。すると」
「教会と勇者に挟まれることになりますね。」
「はい、そういうことです。そして国境付近に現れた魔王は勇者が対処します。ご存知でしょうか?英雄侯爵は大空の月群に屋敷を持っていないんです。第五の天で魔王を討つ、それこそが英雄に求められることですから。」
無名の土地は魔王が出現する。
「ということは、普通の貴族は基本大空の月群にいて領地にはいない。討伐を邪魔する愚輩は真ん中に集めて力ある者が動きやすいようになってるということですか?特に王家の血を持つ公爵家は指揮系統乱し放題で、うっかり死なれても困る、と。」
「はい、なかなか辛口ですね…」
苦笑するナタさんはパタリとスケッチブックをめくった。
「最初の質問には答えたことですし、今度は夜らしく英雄譚を語りましょうか。英雄侯爵は魔王、あるいは諸外国の侵攻に抗うために第五の天を任されていますが、英雄侯爵に任命される条件はご存知ですか?」
英雄侯爵。国防を担う彼らを公爵家の奴らは尊い血を守るための血に穢れた獣という認識をして嘲っていた。
だから、英雄侯爵については物語の中のことしか知らない。
変なこともあると自嘲が漏れる。
公爵家に殺されかけたぼくはいま彼らの嘲っていた英雄侯爵の城で守られているのだから。
「5人の獣に守られた騎士がそれだということしか。あとは…」
カナン様が騎獣を見事に乗りこなし、民に慕われていた様子を思い出す。
「騎獣術の有無、民からの信頼と戦える力でしょうか?…ラビ?」
ラビの脇腹がゆれた。ラビは、どこか茫洋とした目で樹上を見つめる。
『ーーーーー♩ーーーーーーー♫』
笛のような声が、響く
紅に燃ゆる鳥が、夜の闇に佇むフレザ城を浮かび上がらせる
歓声もなにもなく、ただ静寂の中大樹に降り立ったそれは、昼間見たカナン様の騎獣。
「これはこれは…あちらにいらっしゃるお方こそ1000年の間このフレザとクロージア都市連合を守護してくださっている聖獣、紅孔雀にございます。」
豪奢な冠羽に嫋やかな細い首、柔らかそうな和毛は風を含んで黄金を燻らせ、長く枝垂れる尾羽は淡い炎を纏う。
目にも鮮やかな紅は、城の白によく映え、その豪奢な美しさは、静まり返った夜の静けさをより際立たせた。
『ーーーーーー♩ーーーーーー♩』
どの音階とも言えない、不思議な声はなにか忘れてはいけない大切なものを思い出させようとしているような、固く閉ざされた記憶の宝箱を、雑多な記憶の累積の中から掘り起こすような、
『ーーー…』
紅孔雀が声を止める。神秘的な紅の輝きが、なぜかぼくを捉えていた。
圧倒的な強者であり、盟友以外には従わない獣、しかも高位の炎の獣に見つめられているというのに不思議と恐怖はわかなかった。
あの、白い水平線と視点しかない白い世界が、動かないぼくの何処かが、かすかに揺らめいた気がした。
『ナゼ…』
『グルルルルゥ』
不意に変わった紅孔雀の声を遮ったのは、寝ていると思っていたラビだった。
唸るその音は、本能的な恐怖を撒き散らし、先ほどまでは光を通していた夜が、重くのしかかっているかと思うほどに体が硬直する。
逃げたいのに動けない、振り向きたいのに見たくない。そんな矛盾した思いとは関係なしに、体は言うことを聞かない。
「やめろ、ラビ」
「ミーン、今は引け」
張り詰めた空気を破ったのは、二頭の騎獣の主人だった。
「なにやら騒がしいと思ったらこんな夜中に喧嘩するなんて。すみません紅孔雀様。」
『くぅん』
先ほどまでの威圧感がなんだったのか、鼻を鳴らすラビに恐怖は感じない。
そしてラビの変化とともに飛び立とうと翼を広げていた紅孔雀も羽を閉じた。
『ーーーーー♩ーーーーーーー♫』
紅孔雀の言葉がわかるのか、カナン様の顔が微かにこわばる。
「ミーン、今宵は帰ってくれ。リュカとシーターは城の中だ。」
「城下で騒ぎが起こるのも、城の中で紅孔雀と客人の騎獣が争うというのもかなり良くない。頼むから大人しくしてくれ。」
微かとは言い難い疲労感をにじませたカナン様に連れられてやってきたのは大きな文机のある執務室。
ナタさんは紅茶を淹れに行ったためここには3人しかいない。
「ぼくが問題ばかり起こしてるみたいに聞こえるんだけど」
「異論があるのか?お前は存在自体が劇物であり毒物だという自覚が、欠片も無いとでも言うのか?」
黒の瞳の中に炎が揺らぐ。
「お前の存在がどれだけ物語屋に、フレザにとって危険なものか、考えもつかなかったとでも?」
それはリュカとふざける変態じみた青年の顔でも、人を飾ることを生業とする服飾街の長の顔でもない、人を統べ、人を守る英雄侯爵の顔。
己の守るものを害する相手を決して許さない騎士の顔。
「己の危険さへの無知は、罪だ。」
「…すみませんでした。カナン様。」
ひとりぼっちの真っ白な世界が、眼前に広がる
風も音も匂いもない、完全な白が、並み立つ心を凪がせていく
目をつむってもなお、白い世界に、一つ息を吐き、再び目を開く
「まるであなた自身が、己の危険さへの無知で贖えない過ちを犯したかのような言い方ですね。」
ぼくは、【死んだ狼】、【ヤンガードルシュタインの玩具】で【奴隷】。
心は彼方へ、身だけを此方へ。
ぼくは決して美しい人々とは交われない醜い獣
それを再確認させてくれたお礼くらい、言わせてもらってもいいだろう。
「英雄侯爵ともあろうお方が、そのような罪を犯したとは思えませんが。では、お騒がせして申し訳ありませんでした。」
媚は含めずに、出来うる限りに美しく。
テンシノホホエミを見せて、ぼくは執務室をあとにした。
渡り廊下に人はいない。しんと静まり返った夜の中庭には、もう誰の姿もなく、ただ昼と変わらず輝く炎の花だけが夜風に揺らぎ、多種多様な影を生み出している。
「シーター。」
「なんでしょうか、ラビ。」
そして振り返れば、中庭にいたはずの巨狼がまるでずっとそこにいたかのような自然体でそこにあった。
「向こうの言い方にも非はあった。それでも、八つ当たりにしてはお前の言い方は強すぎる。心を抑える術ではなく、心を自由にする術を学んだほうがいい。」
「…よくわからない。」
八つ当たりが過ぎたというなら、我慢しろと言いそうなものなのに。
でも、そんなこと、どうでもいい
白い世界は、まだ此方と被って見えている。
静かな、白の空と地平線と、視点しかない凪いだ世界
「シーター、それやめろ。」
「?」
「あまり此方にくるな。其方に戻れなくなる。」
ラビは、この巨狼はあの白の世界を知っているのだろうか?
誰にも話したことのない、あの陽だまりの方に教えてもらった世界を
「むしろ、彼方へ行きたいです。ぼくは」
「やめろシーター。お前には無理だ。」
きっとあの陽だまりの方は、あの世界の何処か、いや、あの世界のもっと深いところへ行ってしまったのだから。
「仕方ないか…ちょっと来い」
深い藍色が、ラビから噴き出す。
それはあっという間に翼の形を成し、そして大きな籠を作り出した。
「えっと?」
「入れ」
野菜を入れるような籠を、人間サイズにしたそれに潜り込むと、ラビの顎が、持ち手を咥えた。
そして、浮遊感とともにぼくは夜の空へと飛び出した。
「どこいくの?」
聞いてから、咥えているラビに答えられるわけのないことに気づく。
眼下を覗き込めば、中心を紅色に染めた白いフレザ城、色とりどりの天幕とそれを照らす多種多様なランプの見える商いの方々の回転市場、森の茂る瞳玉屋。
街を囲う白璧の外には、開門を待つ旅の方々や商いの方々のキャラバンが見える。
初めての空中遊覧はあまり長くはなく、ラビは10分ほどで降りてしまった。
技の方々の工房の集う雑多な場所に似つかわしくない、清冽な雰囲気を持つ、塀に囲まれた小さな森。
深青に染められた門の両側には青と金と白の屋旗がかかり、その前に立つだけで飲み込まれてしまいそうな、清浄な空気。
昼にここに来た時には気づかなかった何か強い力の気配が渦巻いていた。
瞳玉屋水牢楼
「ほれ、立て。」
藍色が解け、闇に霧散する
「なんでここに…?っえ。」
どぅっ
鈍い音と共にラビの前足が華奢な門戸に叩きつけられた。
どぅっ
「まっ、待てラビ!何してんの!」
「?ノックを知らないのか?他人の縄張りに入るときに許しを貰うために相手を呼び出す人間の礼儀でな、」
どっ
「いらっしゃいませ、狼の御方。昼ぶりですね、旅の方々。」
ラビの前足を受け止め、にこやかに微笑むのは翠と青の瞳、緑味を帯びた栗色の髪の青年。水先案内のリョクスイ殿。
「夜分遅くすみません、リョクスイ殿」
「いえ、狼の御方は犬の御方と並び立つ水牢楼の恩人。いついかなる時でも歓迎いたします。では、」
ラビが前足を降ろすと、リョクスイ殿は居住まいを正して優雅に一礼をする。
「いらっしゃいませ、狼の御方」
どうやらぼくは、全く歓迎されていないらしい。
「ラビ!どうしたの?」
「悪いな、水守。」
パタパタと走ってきた水守様はその勢いのままにラビの首に抱きついた。
「いいんだよ!お昼は人の子がいたからラビとあんまりお喋りできなかったもん!って、あれ?人の子連れてきたの?」
「ああ、シーターに鑑定結果を渡してやってくれないか?次に魔構街に行く予定でまだV cardを持ってなくてな、ついでに色々使い方も教えてくれると助かる」
「うん、いーよ。緑水、道場開けておいてくれる?」
「かしこまりました」
何処へやらに準備しに行ったリョクスイ殿を見送って、ぼくたちは昼間の水守様の部屋へと向かった。
「ミーン…」
暗い部屋の中で、青年は呻く
シーターの言葉はかなり的確に誇り高い紅孔雀の騎士の心の急所を抉った
「過ちは、贖えないか?ルヴィスの、最初の赤の少年の罪は、千年の間贖われることのなかった罪は、もう赦されることはないのか?」
その言葉に、紅孔雀は応えない。
身を焼き焦がす炎だけが、己の罪を主張する。
紅孔雀の加護を持ってしても抑えきれない豪炎。
歴代の紅孔雀の騎士、赤の少年の中でもっとも強く大きな炎を持つ青年は、その白すぎる体を寝台に投げ出してまた呻いた
強すぎる炎は、太陽を弾き、女性に羨まれるほどの白肌を生み出し
暑すぎる炎は、無駄な脂肪も必要な筋肉も、最低限を残して存在を許さず
どこか男になりきれない少年を思わせる姿は、それそのものがカナンにとっては罪の体現であり、忌むべき物だった。
「…会いたい、青に、行きたい、あの、青へ」
常任であれば死ぬほどに高い体温を、唯一冷やしてくれるあの涼やかで優しい場所へ
もっとも巨大で強大な炎を宿す青年は、紅を纏いながら、青に焦がれた。
千年の時を経て継がれてきた赤の少年と同じように。




