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しかし、【眠り鼠】を探すと言っても、どこを探せば良いのか。
容姿はおろか、性別すら知らないのだ。
運良くその人に出会っても、きっと通り過ぎてしまう。
片っ端から声をかけていくのはどうだろうか。
夢羽が策を考えながら歩いていると、どこからか叫び声が聞こえてきた。
否、よく聞いてみるとただ叫んでいるわけではなく、何かを言っているようだった。
「ドルディー!だから言ったのに!あぶないって!」
誰かが危険な状態にあるらしい。
夢羽は、声のする方へ走っていった。
まわりの木より一際大きな木が見えた。
木の根元には幼い少年がその木を見上げていた。
さきほどから聞こえてくる叫び声の主は、この少年だった。
少年の目線の先を追う。
そこには、地上からはるかに離れた木の枝のところに、少年とよく似た容姿の幼い少女の姿が見られた。
「だ、だだだ大丈夫よ。なんとか、おりられ…ない、わ…」
少女はがくがく震えながら、木の幹にがっしりとしがみついていた。
夢羽は少年に声をかける。
何か手助けになればと思ったのだ。
「どうしたの?大丈夫?」
木の上にいる少女を指差した。
「アリスお姉ちゃん!?ええっと、ドルディーがきれいな花びらを取ろうと木の上に上ったんだけど、おりられなくなっちゃって…」
「ええっ!?…木登りは得意じゃないけど、できないことはないから…君、名前は?」
「ど、ドルダム…」
「じゃあドルダム、とりあえず大人の人を呼んできてもらえる?」
「うん!」
少年は力いっぱい頷くと、どこかへ走って森の中に消えていった。
なんとかして少女を降ろさなければ。
夢羽は、気合を入れてゆっくりと木を登っていく。
どれくらい登っただろうか。
もうすぐで少女に触れることができるというところで一度止まり、下を見下ろしてみた。
が、すぐさま後悔した。
地上は遥か彼方、とまではいかないが、恐怖を感じるには十分の高さだった。
「大丈夫?えっと…、ドルディー?」
こみ上げてくる恐怖を押し殺し、少女に尋ねる。
それまでぎゅっと閉じられていた少女の瞼がうっすらと開く。
「あ、ああアリスお姉ちゃん…!?どうしよう…降りられなく、なっちゃった、の」
「大丈夫。今私が降ろしてあげるからね」
夢羽自身も木の高さに恐怖を覚えていたが、少女を安心させるために平静を装う。
片手で近くにある枝をつかみ、空いている手で少女の手を取る。
足場を導いてあげながら、片足ずつゆっくり降ろしていく。
なんとか大丈夫そうだ。
夢羽が安心したときだった。
枝の音が折れる音がした。
夢羽と少女の足場にあった枝が折れてしまったのだ。
夢羽はとっさの判断で、少女を両手で抱きかかえ、地面に背を向けるような姿勢をとる。
落ちたときに少女だけは助かるように。
そのときだ。
「Temps de l'arrêt du tu!」
叫び声が聞こえたかと思うと、夢羽と少女の体はふわりと空中に浮かんでいた。
地面すれすれだった。
すんでのところで助かったようだ。
「よかった…。間に合ったか…」
男の安堵したため息が聞こえてきた。
「魔法をとくぞ。気をつけろよ」
彼は、忠告のような言葉を発した。
どのように気をつければよいというのか。
そう夢羽が思ったときには、地面に背中を打っていた。
わずかな痛みを感じる。
「わぁっ!リオネルさんだぁっ!」
少女が歓喜の声をあげる。
「あの、ありがとうございます。今のは…?」
夢羽はとりあえず助けてくれたお礼を言う。
「今の?魔法に決まってるじゃないか。全く。あんなところで何をしていたんだ」
男が呆れながら言った。
このまま長い説教でも始まりそうな口調だ。
「だいたいなぁ…」
「大丈夫ですか~!?」
男が何かを言いかけようとしたところに、黄色のドレスの裾を翻しながら、女性が走ってきた。
女性の隣には、少年───ドルダムがいた。
「お姉ちゃん!もう大丈夫よ!最初はアリスお姉ちゃんが助けてくれて、リオネルさんも助けてくれたんだもの!」
ドルディーが胸を張って言う。
「もう、心配かけて…!でも良かったわ…。初めまして。あなたがアリスさんね。私はジゼル・ロシェル・ベルリオーズです。ドルディーとドルダムの姉です。ジゼルと呼んでくださいませ」
やわらかな声色の女性───ジゼルはペコリとお辞儀をした。
夢羽は、思わず彼女に見惚れた。
ジゼルのその雰囲気は、とても和やかでおっとりしていた。
「リオネルさんもありがとうございます。もう何とお礼をしたらいいか…」
「あ、あの…いえ。大したことは…」
堂々としていたリオネルと呼ばれた男が、しどろもどろになる。
どうかしたのだろうか。
夢羽が疑問に思っているとドルディーが近寄って何かを差し出した。
「アリスお姉ちゃんありがとう。これ、きれいだからお礼にあげるっ!」
ドルディーが差し出したのはきらきらと光る、薔薇の花びらだった。
彼女が取ろうとしていたのはこれだったようだ。
確かに、この薔薇の花びらは、硝子で造られており、奇妙に輝いていた。
子どもの興味を引くには十分なものだろう。
「ありがとう」
夢羽が受け取ろうとすると、その花びらは手に吸い込まれるように消えていった。
落としてしまったのかと思った。
しかし、地面を見渡すが、どこにも見当たらない。
「アリスさん、お茶でもいかがですか?お礼にケーキもごちそういたします。是非、リオネルさんも」
ジゼルの柔和な雰囲気に、そのまま頷いてしまいそうだった。
だが、夢羽は本来の目的を思い出す。
「…いいえ。探している人がいますので。そうだ、【眠り鼠】さんという人を知っていますか?」
夢羽が尋ねると、リオネルが態度が急変した。
「その子がどうかしたのか!?」
「え?知り合いですか?」
「知り合いもなにも、その子は僕の妹だからだ」