蒼視点4
「そーちゃんまたね〜!」
「せんせーさよーならー」
「お〜い。危ないから前見て歩けよ〜」
授業が終わり生徒達が下校する姿を校門で見守っていた。挨拶してくれる生徒も友達とのお喋りに夢中な生徒も俺に気づくと、何かしら返してくれる。
目が覚めてから男の一人暮らしには不釣合いな可愛らしい包みを見て、昨日の図書室での出来事が夢では無かったと胸を打ち震わせた。
貰った飴は朝舐めるか夜舐めるかをその日の気分で決め、一日一個ずつ食べる事にした。食べずに保管する事も考えたが図書室で味わった甘さが本当に俺好みで、次の瞬間には我慢できずに口の中へと放り込んでいた。
「うまいんだよなぁ……」
俺の為に彼女が作ってくれたという事実が、より美味しいと思わせているのかもしれない。
少し減った袋を寂しく思いながら、昨日は上がったテンションのまま三つも食べてしまった事をはやくも後悔していた。
「蒼先輩っ!」
名前を呼ばれて振り返ると、スーツを着た女性が立っていた。
「えっ、優美!?」
彼女は大学の後輩で隆道の妹でもある吉田優美だった。西の方の配属になり滅多に会わなくなったから久しぶりの再会となったが、大学時代にはスッピンが基本だった面影は何処にもなく、しっかりと化粧をして大人の女性になっていた。
「うわぁ、久しぶり。隆道はこっちに帰ってる事は知ってるのか?」
「ちょっと先輩、公共の場で何してるんですかっ。こんな所でやめてくださいよっ」
「妹との再会を喜ぶ兄の気持ち?」
「先輩と血は繋がっていませんからねっ!」
隆道の妹という事もあって俺も猫可愛がりしていた。構い過ぎて威嚇する猫のように近づいてきたりこなかったりする所も愛らしく、密かに俺の学年のアイドルと化していたのは本人には秘密だった。
そんな妹同然の優美に会えて、嬉しさの余りに勢いで抱き締めてしまったのは仕方がないと思う。
「あれ?」
「ん? どうした?」
「あの子、先輩に話でもあったのかな? 目が合ったら走って行っちゃった」
学生時代の事を思い出して頭を撫でようと腕を上げると、サッと素早く逃げ出した優美が俺の後ろを見ながらそう言った。
「え? 橋本?」
「……先輩、後ろ姿で誰か分かるんですか?」
「っ、いや、その」
「その癖、直ってないんですね? そんな顔してたらバレバレですよ?」
「っ!」
思わず彼女の指摘に手の甲で顔を隠した事がまずかったのか、一瞬でバレた。
元々勘のいい子だったから彼女には隠し事なんて出来なかったけれど、まさかあの一瞬でバレるとは思わなかった。
「追いかけた方が良いんじゃないですかね? 先輩に抱きつかれる所もバッチリ見られちゃったと思うし?」
「!」
良い大人の男女が抱擁するなんて、誤解されてもおかしくない。
全身からサーッと血の気が引いていく。
「教師と生徒かぁ……」
なんて、背中から優美の呟きが聞こえた気がした。
* * *
裏門の方へ走って行った彼女を追いかける。思いのほか足の速い彼女の走りに、日頃の運動不足が祟って中々追いつけずにいた。
「はぁ、はぁ……っ」
自分の呼吸と嫌な焦燥感で頭がグラグラする。何もかもを振り払うようにして走っていく影に、中々追いつけずにいる自身への苛立ちが募っていく。
いつの間にか降り出した雨が更に視界を悪くしていった。
眼鏡を外して張り付くシャツのポケットに押し込む。
迂闊だったとはいえ、彼女には誤解なんてされたくない。俺が好きなのは彼女だけだから。
途中で見失って探し回れば、俺が住んでいるマンションの近くにある公園まで来ていた。俯いたままブランコにぽつんと座っている。
『せんせ……』
今にも消えてしまいそうなほど弱々しい声で、涙で潤む瞳で見つめられて彼女を抱き締めそうになる。
いつものように話しかけても頭を振るだけで全身で拒絶されている事実に胸が締め付けられた。
本当に、このまま雨に打たれていると風邪を引きかねないと思い、問答無用で自宅へ運ぶ事にした。
張り付くシャツと抱き上げた彼女の温もりが否が応でも体温を上げていく。
もう、心臓は壊れそうなほど忙しく動いている。
自宅についてそのまま上がってもらおうと思ったが、彼女から貰った飴の袋を枕元に置きっ放しだったと思い出して慌てて片付けた。
彼女を下ろして無くなった温もりが無性に恋しくなった。
「……っ、くしゅっ」
先ずは風呂を沸かして脱ぎっぱなしになっていた服も片付け、読みかけの本やあれもこれもと片付けに集中していたら可愛らしいクシャミが聞こえてハタっと我に返った。
玄関に放置で片付けに夢中になるとか、無いだろう……!
『ごめん、玄関じゃ寒かっただろ?』なんて、余裕の無さを隠して大人ぶった。
大きなバスタオルに包まれる彼女の姿が今にも消えそうなほど儚く見え、思わずワシワシとタオルで拭いた。
「ほら、よく拭かないと」
「先生も、濡れてますよ〜?」
「俺は後でいいよ」
こんなにずぶ濡れになるまでと思うと、迂闊な俺の行動のせいで彼女が風邪を引いてしまわないか不安になる。
拭かれるまま微動だにしなかった肩が震えている事に気づいて、俺は彼女の顎を掴んで上を向かせる。
少しだけ赤くなった目元を親指でなぞると、あっという間に溜まった涙が溢れた。
「っ、橋本……?」
「……ひ、くっ……せん……せっ」
「どうした……?」
そんな顔で泣かないでくれ。
もう、自身が求めるまま全部投げ捨てて君を抱き締めたい。大丈夫だから、心配ないからと甘い言葉を吐いて腕の中に閉じ込めてしまいたい。
顔をくしゃくしゃにして泣く彼女を抱き締めないように、理性を総動員して戒めた。