6 可愛くも美しい人
これも感想で頂いた『子煩悩なリオナルド』を目指しましたが、出来上がったのは『ド卑怯なリオナルド』でした。それでもいいという方はお進み下さい。
リオ視点で、R15です。
【初恋は男の一生を左右する】
実際左右されたと俺は思う。
幼い頃、ヴィアンカに一目惚れしていなければ今の充実した俺はなかっただろう。
ヴィアンカと出会っていなければ、人より秀でたこの容姿も頭脳もここまで巧く使うことはなく、適当につまらない日々を過ごしていたはずだ。
つまりヴィアンカに心を奪われ、その父に彼女を婚約者にしたいと請うことが無ければ、有効な自分の使い方も、何よりそれを使う意義を見つけられずにいただろうということだ。
「リオ様」
「ん?」
自宅の書斎で書類を捌いていれば、妻ヴィアンカが持ってきたお茶を机に置き、俺の背後に回ると肩越しに抱きついてくる。愛しい女でなければ「邪魔をするな」と突き放す煩わしいだけの行為。ヴィアンカがすれば、その甘えた行為に自然、口許が笑みになる。惚れた弱味とは怖いものだ。
「リオ様」
「だから何だ?」
「あとどのくらいで終わりますか?」
「三十分もあれば終わる。いい子にしていろよ」
「していますけれど、もう子供ではないのですよ!」
むうっと頬を膨らませるヴィアンカ。確かに彼女は妻となり一児の母となりもう子供ではない。だが、変わらない愛らしさは本当に可愛くてつい子供扱いのようになってしまう。
「可愛い女だな」
「そろそろ美しいと言われたいです」
「そうか? 女は可愛い方が得だぞ。俺はこのヴィアンカが好きだ」
「んん……じゃあ、いいですけど。リオ様はずーっと綺麗で格好いいです!」
「俺の事が好きか? ヴィアンカ」
「大好きです」
「そうか。御褒美だ」
横にあるヴィアンカの唇に口付ける。
顔を離せば艶やかに微笑む。この女としての顔はどうしようもなく美しい。
「不思議です。リオ様の顔はとても格好いいのにルーファスの顔は可愛いんですよね」
ルーファスというのは一年ほど前に生まれた第一子。見た目はまるっきり俺に似ていると言われている。
「幼児の顔が可愛いのは当たり前だろう」
「だから不思議なんです。私、リオ様に初めて出会った時、お互い子供でしたけれど、その時から格好いいと思っていました。でも、ルーファスは“可愛い”です。どうしてでしょう」
「さあな、異性と自分の子供の差か……感じ方は人それぞれだしな」
そんな話をしていれば、部屋の外から子供の声が微かに聞こえてきた。この部屋の中にまで聞こえてくるということは廊下を歩きながら母を探しているのだろう。
「あ、ルーファスが探しているようです。行きますね」
するりと首に回っていた腕が離れ、後ろ髪をひかれる様子もなくヴィアンカは部屋を出た。
首もとに腕が離れただけではない寒さを感じる。
【母親は夫よりも自分の子供の方を好む、何故ならば、彼らは自分のものであることがより確かであるから】
その格言は本当だった。
『母となっても決して、俺の妻であることを忘れるな』
そう言ったのにも関わらず、ヴィアンカは我が子に夢中だ。
俺といてもルーファスが呼べばそちらを当然のように優先する。母としては当たり前だとわかってはいても、つまらないと思ってしまうのは男の性だろう。
ルーファスのその姿を見れば、確かに自分の子だと確信できる容姿をしているし、愛する女が育み、産みの痛みに耐えて与えてくれた我が子だ。可愛い子には変わりなく、幸せにしてやろうと思える。
けれど、ヴィアンカを母という存在だけにしてやる気には到底なれない。
あれは俺の女だ。
出産後一年、母の立場を優先する期間は充分与えた。
『大好きです』とそんな言葉だけではとても満足できない。
そろそろリオナルド・カストネルの妻という事を取り戻し、身にも心にも刻んでいてもらわなければならない。
――― さて、どうしてやろうか。
*****
数日後、寝支度を整えるヴィアンカに声をかけた。
「急で悪いが明日はルーファスを連れてイザベラのところに行ってくる」
「イザベラ様?」
イザベラは降嫁した王女。つまりはフェリックスの姉、俺の従妹だ。
「ああ、あそこにもルーファスと同じ頃の男児がいるので会わせてみたいそうだ」
「お友達ですね! わかりました」
「俺が連れて行って来るから、ヴィアンカはたまには育児を離れてゆっくりしているといい」
「え……?」
ヴィアンカは何故という表情をする。
それはそうだ。普通は子供を会わせる場は母親同士の交流の場でもあるのだから。
「イザベラが俺に相談もあるらしいんだ」
「リオ様に相談?」
血の気が引いたような顔。それだけでも満足出来るものがある。
イザベラは以前俺の事を慕っていると噂されていた。勿論、噂でなく真実で、迫られた事もある。遊びでならともかく王女に手を出すなど面倒でしかないから相手にしなかったが。
その噂をヴィアンカも聞いているはずで、ヴィアンカ抜きで会いたいと言っているとなれば穏やかではいられないはずだ。
「あ、明日はお休みで一緒に……居られると……」
「悪いな。これも付き合いだ。なるべく早く戻ってくる」
ヴィアンカは自分が泣きそうな顔をしているのに気付いているのだろうか。全く、もっと虐めたくなるくらいに可愛い女だ。
「あの、リオ様……」
「どうした? 寝ないのか?」
すでにベッドに入っている俺に対し、ヴィアンカは縁に座り身を捩り心配げに訊ねてくる。
「明日、大丈夫ですよね……?」
「ルーファスか? あれは賢いし、向こうの侍女や乳母もいる。怪我をさせるような事はないように気を付けるさ」
心配しているのはそんな事で無いのは承知だ。分かっていて気付かない振りを貫いた。
「ほら、寝るぞ」
「キスしてください」
「仕方ないな」
身を起こし軽く触れる挨拶のようなキス。今日はこれでおしまいだ。ヴィアンカは益々情けない顔をする。本当は抱いて安心させて欲しいはずだ。
「キスして」とヴィアンカの方から強請ったのにも関わらず本当にそれで終わりにするなど、子供が出来る前の俺ならばありえないことだった。
ただでさえここ数日、何もせず眠るだけの日々を過ごしている。今日まではルーファス中心の生活に慣れ切って特に何も思っていないようだが、“もうその程度”“抱かずにいられる程度”と思われてしまったかと懸念が浮かぶだろう。
それでも、ここはしない。不安を煽るのが目的だ。
もともと出産後、暫くは共寝を少し控えて欲しいと言い出したのはヴィアンカだ。控えると言ってもルーファスの相手をしたいので次の朝に響かない様にして欲しいというものだが。そんな状態が一年以上、俺は特に不満を言ったことは無い。女性の影をチラつかせたこともないし、事実そんなこともない。
ヴィアンカの方から強請ることはこの一年まるでなく、だからと言ってこちらの求めを拒むこともなく抱かれれば幸せそうにする。ヴィアンカはそれで満足かもしれないが、俺はそれだけでは不満だ。
結婚以来、ヴィアンカだけだと安心させ過ぎたようだ。俺はもっと俺自身に執着するヴィアンカが見たい。
ヴィアンカは寝具に潜り込むと俺に縋り付いてくる。あまりにも不安にさせても可哀想なのでここは抱き締め返し、背を撫でてやる。
「リオ様、大好き……」
消え入りそうな小さな声。
「行かないで」と言ってしまえばいい。
けれど彼女は貴族女性としての徹底的な教育を受けている。明日会うのがただの貴族女性相手ならまだしも、元王女からの礼式に則った誘いを(普通は)断れないと理解している。まして、相手が従妹、堂々と会いに行くと告げているのに浮気を心配しているなど下種の勘繰りはやめろと窘められるかもと思えば言えるものではない。だから相手にイザベラを選んだ。
「行かないで」と言えないのならば「不安を掻き消すほどに抱いて欲しい」そう言ってしまえばいい。
以前のヴィアンカならば言っていただろうに、カストネル公爵家に嫁ぎ次期公爵夫人としての意識がさせるのか、彼女は夫を束縛しすぎてはいけないと思っているようだ。そこも変えてやらなければならない。
涙を滲ませ眠りについた彼女に、覚悟しろと額に口付け抱き寄せて自分も眠りに入る。
*****
――― 普通は断れない。断れない相手の前で不遜な態度はとれないはずだが、子供達が遊んでいる横、機嫌の悪そうなイザベラの前で、俺は脚を組み気兼ねすることなく茶を飲んだ。つまりはそういった関係だ。俺は彼女の臣下ではなし、ただの従兄妹と思っている。そもそも今は此方の身分の方が高い。遜る必要などない。
「よくも元王女の私を口実に使えるわね」
「俺が使えるものはなんでも使うのは知っているだろう」
彼女は王妃に似た容姿なので俺やフェリックスとは質が違うが、やはり一般的に見て美しい女だと言える。
「妻の嫉妬心を煽って嬉しいの? もう手に入っている女じゃない」
「生涯女として逃したくないんだ」
「可愛いだけじゃないの、ヴィアンカって」
「お前は俺に言わせればほどほどに美しいだけだ」
「ほどほどって本当に失礼ね!!」
「今更どうでもいいだろう。お前も結婚したんだ。まさか侯爵子息とはいえ学者に嫁ぐとは思わなかったがな」
イザベラはフェリックスの教師だった男の一人と結婚した。それも俺の結婚が正式に決まった直後だ。
「頭のいい男が好きなのよ! それに振られたところを優しくされればそういう気にもなるわ!」
「顔もほどほどにいいしな?」
「ほどほどほどほどうるさいわね! 私は彼が好きなのよ!!」
「知っている。だから口実に使えたんだ」
今でも俺のことを好きだなどと言うのであれば会うわけがない。妙な噂をご婦人方に故意に流されるのは対処が面倒だ。
「ふぅん? そうなの? 私は貴方となら身体の関係になってもいいけれど?」
「俺は嫌だ。ヴィアンカでしか満足できない」
「本っ当に失礼ね! 女にここまで言わせて!」
「お前は我が子の前でそんなことを本気で言う女ではない」
少し褒めてやればイザベラは顰めっ面をしつつも頬を染める。静まった想いに火をつけてしまっても面倒なのでこのくらいにしておこう。しかし夫以外にそんな顔をみせるとは困ったものだ。これがヴィアンカなら俺は許さない。
「狡い男ね! ねぇ、首にキスマークでもつけましょうか?」
「必要ない。香水を貸してくれればいい」
「抱き着きましょうか?」
「結構だ」
「ちちーえ」
舌足らずな“父上”だ。ルーファスが覚束ない足取りで近付いてくると抱き上げてくれと腕を伸ばす。請われるまま腕に抱いた。甘えるのが上手いのは母親譲りか。それとも時折ヴィアンカが俺にそうするのを見ていて真似をするのか。
「どうした? ルーファス」
「ははーえ かえる」
「そうか。ヴィアンカに会いたいのか?」
「あい」
「じゃあ、帰るか」
こくりと頷く息子。一歳になったばかりだというのに二語文を話し簡単な会話なら成立する。きっとこいつの知能は高いのだろう。
「甘い顔をするのね」
「誰しも可愛いと思う相手には自然そうなるものだろう。しかし、こうして他の子供を見ると思うのは自分の子が一番可愛いという事だな」
「どこまで失礼なのよ! 確かにルーファスは貴方に似てすごく綺麗な顔をしているけど、それじゃあ親バカ丸出しよ!」
親馬鹿か。自分がそう言われるようになるとは思いもしなかった。
「この歳で父親だけとの外出でぐずりもしない。仕事の忙しい貴方が限りある時間で甘やかしまくっている証拠よ」
「ルーファスが我慢出来る子だという事だろう」
「親バカ!!」
そうか。こういうのを親馬鹿というのか。他の子と比べて自分の子の方が優れていると思うのも、他人から見ればそうでもないのだろうか。
膝の上のルーファスを見れば、ニッコリと笑う。顔の作りは俺に似ているが、笑顔はヴィアンカにそっくりだ。
やはり客観的に見ても可愛いと思うのだが。
けれどどんなに可愛く優れた息子にも譲れないものがある。
「イザベラ。口実に使った詫びをしておこう。男は競争に勝ち続けることに大きな意義を感じる。『貴方だけ』ではなく『貴方が一番』だと言ってやればいい。一番以下の男がいるのかと邪推して奪われないようお前を大切にするだろう」
男は、仕事にしろ趣味にしろ、人には大切に思うものがいくつもあるのを知っている生き物だ。つまり妻にも自分以外に大切なものがあるというのは受け入れる。けれどその中で自分を一番とさせたいのだ。
俺はそれが我が子相手であってもだ。
「……ヴィアンカもそう言うの?」
「まさか。あいつには二番目以下の男などない。俺とその他だ。順番の付く者など存在させるものか。俺はヴィアンカにとって全ての男の上に立つ」
俺は一番では満足出来ない。唯一になる。
生涯、ヴィアンカにとっての男は俺だけだと言わせてみせる。国一番の美女と言われる彼女を捕らえる勝負に勝ち続けてみせよう。
「今日、ここに来ることは侯爵子息には俺からも伝えてある。ほどほどにしっかり煽れよ?」
男は自分の女が他の男に奪われるのが気に食わないと思う。
これは遺伝子の組み込まれた話のようだが、男は自分で子供を生むことが出来ないので、自分の女が他の男と身体の関係を持つことに嫉妬する。例えば自分の女が他の男の子供を身籠った時、それに気付かなければ自分が必死に稼いだ財産でその子供を育てなければならなくなる。大損害と言わざるを得ない。だから他の男の影をちらつかせれば、自分以外に目を移すなと執着をみせるようになる。―――まあ、やり過ぎれば呆れられ逆に捨てられてしまうだろうが。
邸に帰れば、ヴィアンカがほっとした笑顔で迎える。侯爵邸に行ってから三時間程度。往き来の時間を考えれば長居をしたわけではない。取り越し苦労だと安堵しただろう。
「お帰りなさい。リオ様、ルーファス」
「ただいま」と答えながら母に腕を伸ばすルーファスを渡す。喜ぶルーファスをヴィアンカも愛おしそうに抱き締めるが、俺との距離が近付き離れるその時に残り香に気付いたのだろう、表情を強張らせた。
その表情に心で笑い、素知らぬ振りで横を通りすぎた。
「あっ! リ、リオ様! 待って……待って下さい!」
「どうした?」
「あ、あの!」
「落ち着け。ルーファスが驚いているぞ」
忘れていたと言わんばかりに腕の中のルーファスを見て、「ごめんね。少し待っていてね」と傍にいた侍女にルーファスを預けた。
「リオ様、時間を下さい」
「部屋に行くか?」
「はい」
こういうところは流石に貴族女性というべきだろう。人前では夫を問い詰めたり、大きく取り乱したりなどしない。
私室に入り扉を閉めた途端にヴィアンカは俺の背に抱きついてきた。
「リオ様! ダメ!! 嫌です! 私を見て……!」
女の嫉妬は「自分だけを見て欲しい」というもの。
元来、女は夫の与えくれた世界で生きるもの。夫の稼ぎがなければ安心して生活はできない。例え夫が別の女と関係を持とうが、心だけは自分に留めておかねば帰ってきてもらえない、夫の稼ぎをとられ自分や子供の生活が維持できなくなるという不安が生まれる。
俺が侯爵邸にいた時間と子供連れということを考えれば、身体の関係を持ったとは考えにくい。けれど香水の匂いが僅かに付くほどの関係となれば、こっそりと抱き締め合った位の事を邪推する。ただ抱き合うなど愛する者同士のすることだ。
「どうしたんだ、ヴィアンカ?」
「リオ様 好き……」
「知っている」
「好き……好きです……私、頑張って女性として自分を磨き続けますから……もっと私を見て……」
「ヴィアンカ? 本当にどうしたんだ?」
「どうして他の女性の香水の匂いがするんですか? 私のことはもう……」
涙声で縋るヴィアンカの手を外し、正面で向かい合う。
「ヴィアンカ、それは俺についているお前の香りが薄くなっているということではないのか?」
ヴィアンカの菫色の瞳が大きく見開かれる。夫婦として過ごしている時間が少ない(実際には一般の夫婦と比べれば普通かそれ以上ではあるが)と不満を持たれていることを確信したのだ。そうして表情が歪み、ポロポロと涙を溢した。
「ふ、ぅ……いや……私だけにして……一晩中……抱いてください……」
もう高位貴族の妻としての仮面も覆えないようだ。それでいい。もっと俺に固執しろ。
「一晩でいいのか?」
「夜だけでいいからリオ様が続けられる限り何日も……」
「それだとお前は起き上がれなくなる。ルーファスはどうする?」
「乳母も侍女もいます! 動けなくても本を読んであげたりは出来ます! 私だけ見て!!」
結局嫉妬は独占欲だ。
男と女の嫉妬の差はあれど、どちらも他の人物の存在がちらつけばいい気がしないだけ。
それを助長すれば自分に目を向けさせられる。
あとは自分が相手にとって魅力的であることを怠らなければいい。
「後悔するなよ」
「触れてくれない方が嫌!」
「今からか?」
「すぐに……!」
差し出された唇に深く自分のそれを重ね、ヴィアンカの望むよう幾度も肌を合わせ、互いを刻み合った。
俺達は互いに身体も心も他の者には譲れない。そういう関係でいい。
それをヴィアンカの芯にまで刷り込むように。
「ヴィアンカ」
「……ん……はい……」
「今夜はもう終わりにするか?」
「……いや……もっと……」
「眠そうだぞ」
「覚めさせて……」
白い脚に身体を割り込ませ見下ろす俺の頬に小さな手を伸ばし 、にこりと意味を含んだ笑み。
こういう時の笑顔は嫌に大人っぽく妖艶だ。あどけなさは身を隠し、聡明さを覗かせる令嬢としての美しさとはまるで違う、俺以外には決して見せることのない女としての表情。
「美しいな。お前が一番だ」
「……競べる人が……?」
「さあ、な? お前はルーファスが一番だろう?」
「夫と息子は比べられません。でも、欲しいのはリオ様の愛です。女として貴方の愛が欲しくて堪りません。……もっと沢山下さい」
男を誘う妖艶さ。いつの間にこんなにも身に付けたのか。
「訂正だ。ヴィアンカほど美しい女はいない」
「あ……」
「俺が欲しいのはお前だけだ。お前がずっとこうであれば、お前の望みは全て叶えてみせる。望みを言ってみろ」
「女性として愛するのは私だけにして」
「その為にお前はどうしたらいい?」
「ずっと貴方の為に女性である努力を怠りません」
「いい子だ」
さらにヴィアンカの意識が続く限り、じっくりと己を思い出させ上書きするように覚えさせた。
清澄な朝の空気に意識が浮かび上がる。腕の中には昏々と眠る妻の姿。睡眠時間こそ短いが、久しぶりに深く眠ったような充たされた思いがする。
「……リオ様?」
「ああ、起こしたか。仕事に行ってくる。好きなだけ寝ていろ」
深く寝ていると思ったが、温もりが離れたからか匂いが遠退いたからか、ヴィアンカはぼんやりと瞳を開き俺の姿を探す。
此処に居るというように額に口付けてやれば、嬉しそうに微笑んだ後、俺が羽織っているナイトローブの袖を握った。
「……………」
「どうした? 言っていいぞ」
言いたいことは大体分かるが、笑顔で促せば、申し訳なさで眉を下げつつぽつりと零す。
「……さみしい……」
結婚して数年。彼女の可愛さは変わらない。
もっと甘えろと言いたくなる。
「寂しい思いをさせて悪いが、俺を仕事に行かせない気か?」
「ごめんなさい……愛してるって……キスして下さい……それで我慢します……」
「愛している、ヴィアンカ」
優しく触れて離れようとすれば、ヴィアンカは俺の首に腕を回し、もっとと強請ってきた。ヴィアンカの息が続く限り口付けてやって離れれば、今度は掛布に顔を半分隠し上目遣いに恥ずかしそうに見てくる。
恥じらいや遠慮というものを何時までも持ち続けられる女性は稀だ。
額の髪を掻き揚げ、いい子だと言うように口付けを落としてやった。
「夜はきちんと妻としてお迎えしますね。だから昨夜のお願いきいて下さいね」
「何日もお前だけ、だな。叶えよう」
「……もう一つお願いしました……」
『女性として愛するのは私だけにして』ヴィアンカはこう言った。分かっていると微笑み頬を優しく撫でてやる。
「俺はヴィアンカしか愛していない。生涯、お前がこのままでいれば変わらない。お前こそ俺をもっと好きになれ」
「もっと? いいんですか?」
「どういう意味だ?」
「あ、……あまり、束縛すると男の人は嫌がるって……」
ああ、なるほど。そんなことを誰かに吹き込まれていたのか。
「ヴィアンカ相手ではそんなことを思うわけがない」
「じゃあ、我慢しませんよ?」
「ああ、我慢など必要ない」
我慢していたのか。執着を隠すために我が子にのめり込んだか。
「好き。大好き。リオ様、愛しています。ずっと私だけにしてくださいね」
可愛い願いにもう一度優しく口付けて部屋を出た。
ラウンジに入れば、俺の姿を認めルーファスが嬉しそうに顔を輝かせ腕を伸ばした。何時ものように抱き上げてやる。
「ちちーえ」
「ルーファス。おはよう。よく眠れたか?」
「あい。ははーえ どこ?」
「ごめんな、今日母上は疲れてしまっているからお前の相手があまり出来そうもない。乳母と遊んでくれ」
「やっ!」
間髪入れぬ拒否の声。思わず笑ってしまう。
「ははっ! お前もヴィアンカがいいか。仕方がない、今夜からは少し控えよう。だから今日は我慢だ、ルーファス」
やはり我が子は特別だ。悲しい顔を見れば絆される。独占させる気には全くなれないが、共有は許せてしまう。
「……がまん……」
「お前もいい子だな。食事にしよう」
「はい」
健気に頷く息子を席に着け、共に朝食を摂る。
さあ、今日も王城ではこの頭をフルに使わなければ熟しきれない仕事が待っているだろ。
男にとっての仕事とは自分の成長への挑戦だ。
ヴィアンカの父、ベルトワーズ伯爵に扱かれ、明も暗も知り、それに伴い自ら国の動かし方をこうまで学ぶことがなければそんな風には思えなかった。自分には人並み以上の才があり、それを使えていると自負して、その程度で終っていただろう。
ヴィアンカの夫としてベルトワーズ伯爵を越えないわけにはいかない。
俺はいずれこの国の宰相になる。
この国を動かすのは俺だ。
だからこそこの国の民は、ヴィアンカが存在することに感謝すべきだ。
愛する妻と子どもの住まうこの国を
さあ どう動かしていこうか
*****
公爵邸に帰れば、息子を抱いて妻が笑顔で出迎えてくれる。
ヴィアンカは家で夫を待つ妻の理想の見本のようだ。
男は仕事に誇りを持てるほどに成功する。いい加減に働いている中途半端な男が成功するものか。
女性はそれを理解しなければならない。
ヴィアンカは仕事に嫉妬はしない(心ではしているかもしれないが態度には出したことは無い)。一緒に居られず寂しいとは稀に口にするが、『どちらが大事』などと不毛な事は決して口にしない。
笑顔で迎えてくれる、それだけで男は癒される。
子供を家を守り、夫を癒す。簡単なようでいて難しいこれをヴィアンカは巧くこなしている。
「お疲れ様です、リオ様。今日もありがとうございます」
そこにいるのは可愛いだけでなく美しい貞淑な妻。
美貌は歳と共に衰えるもの。
だが、優雅というものは衰えない。
彼女は生涯淑やかな気品を持ち続けられる稀有な女性。それを愛さない男がいるわけがない。
結婚してこれまで、そしてこれからもヴィアンカは俺に感謝の気持ちを持ち続けてくれるだろう。反対に俺は変わらないヴィアンカに感謝する。
互いに頬に口付けて挨拶し、ルーファスを受け取ろうとすれば、初めて息子に拒絶された。俺にプイッと顔を背け、ヴィアンカの首にぎゅっと縋り付く。その様子にヴィアンは驚き戸惑っているが、俺には理由がわかる。
「ルーファス、根に持っているのか? お前は本当に俺の子だな。夕食まではヴィアンカに甘えるといい」
今日は思うように母と遊べず拗ねている。そしてその原因が俺だと分かっているのだ。そんなところも俺に似て独占欲が強いようだ。
息子の頭を撫で妻の肩を行くぞと抱く。
そしてヴィアンカの耳元に唇を寄せた。
「夕食後はわかっているな?」
ヴィアンカは恥じらい可愛い顔を朱に染めるが、それ以上にまた色っぽく微笑む。
「望んだのは私です。『叶えよう』と言ったのはリオ様です。叶えて下さい」
どんな男が現れようが、彼女は自分のものだ。
可愛くも美しい彼女の愛を生涯勝ち取るために、俺は常に彼女の一番の男でいよう。
彼女との出会いは俺の人生に意義を与えてくれた。
そう思えるヴィアンカに出会えたことに何よりも感謝する。
割とリオが男尊女卑的な事を言っていると思いますが、たぶんそういう時代です。でもレディファーストではあるはずです。そしてヴィアンカを家で大人しく夫を待つ理想的な妻というようなことを言っていますが、やっぱり、それはリオが自分を大切にしてくれているのを分かっているからこそだと思います。