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2 ベルトワーズの占い師

糖度は通常レベルだと思いますが、酸味、苦みがより強いです。

描写はありませんが「暗殺」「拷問」など不穏な言葉が出てきます。苦手な方、ほのぼのだけが読みたい方はご遠慮下さい。3話は寧ろ、甘々だけになる予定です。

 瞼の裏に光を感じる。

 腕の中の心地よい温もりを手離すのは惜しいが、仕方がない。王子に仕える執務官である以上は登城が勤め。

 リオナルドは胸中で盛大に溜め息を吐きつつ瞳を開ける。

 彼が朝一番に目にするのは、ストロベリーブロンドの長く豊かな髪。

 それを指に絡めて、視線を落とせば、あどけなく愛らしい妻の寝顔。

 更にその下の豊かな膨らみとそこに自らが散らした赤い花弁。

 先ずはその姿に満足し、昨夜も甘い甘い声を紡いでくれた瑞々しい唇に口付ける。

「ヴィアンカ」

「……ん……」

 名を呼べば、妻は無意識でも身体を刷り寄せてくる。愛らしい行動に彼の口許もつい弛んでしまう。この程度では起きないことは承知しているので、小さく柔らかな肢体を一度強く掻き抱く。彼女自身の芳香を心ゆくまで堪能し、首筋に一つ徴を残しようやく彼は身を起こす。


 これがリオナルド・カストネルの朝の日課だ。

 本当ならば、妻ヴィアンカの瞳にその日一番に映るのも自分であって欲しいが、起きられなくしているのも自分なので仕方がないと諦めた。

 額にかかる髪を避け、更に一つ口付けを落として、寝台から出ようとすると不意にガシッと腰に腕が廻った。

 驚いて振り向けば、つい先ほど迄心地良さそうに寝入っていたヴィアンカが思い詰めたような顔で縋り付いていた。

「ヴィアンカ? どうした?」

「……あ……」

 リオナルドが声をかけた途端、ヴィアンカははらはらと涙を流した。

 ぎょっとして、その華奢な身体を抱えあげ膝に乗せると、ヴィアンカは細い腕をリオナルドの首に回しぎゅうぎゅうと抱きついた。

「ヴィアンカ?」

「…ふ…う…、リオさ……」

 彼女が涙ながらに紡いだ声も昨夜散々啼いたせいか掠れていて不憫だ。リオナルドはナイトテーブルに置かれた水差しから水を含むとヴィアンカをやや引き剥がすようにして上向かせ、口移しで流し込む。ヴィアンカはそれをこくりと飲み込むと、再び首に縋り付いた。

 柔らかく程よい弾力のある膨らみが胸板に潰され、つい欲を誘われそうになるが、このヴィアンカの様子はおかしいと自らを律した。

「ヴィアンカ? どうしたんだ?」

 頭から背にかけて髪を優しく梳くように撫で、落ち着けと宥めても拘束する力は弛まない。

「リオ様……」

「うん?」

「リオ様」

「うん。ここにいるぞ。どうしたんだ?」

 ヴィアンカはリオナルドがそこにいることを確かめるように名前を呼んで強く強く縋り付く。

「行っちゃダメです。……お仕事行かないで……」

 寝起きにこの怯えよう。答えは一つだ。

「……何の夢を視たんだ?」

「……視察の馬車が襲われます……」

 ベルトワーズの占い師が答えた。


 ***


 馬車の中、未だにヴィアンカはリオナルドから離れようとせず、その腕にしがみ付いていた。腕にあたる胸の鼓動が早い。彼女の怯えは消えていない。だが、間もなく王城に着く。

「ヴィアンカ、王宮に着いたらリオナルド・カストネルの妻として振る舞えるな?」

 ヴィアンカはピクリと肩を揺らし、リオナルドを見上げた。視線でどうだと問えば、表情を引き締めこくりと頷いた。

「……はい。はい…大丈夫です。私はリオ様の妻です」

「いい子だ」

 真っ直ぐに応えるヴィアンカの額に口付け強く抱き寄せると、胸に刷り寄ってきた。まるで心音を確かめるような仕種に心が痛み、リオナルドは眉根を寄せた。


 窓の外が暗い。直に雨が降るのだろう。

 今日は北の街道の砦に視察の予定があった。

 通常、視察は馬車ではなく馬を使うことが多い。王子もリオナルドも馬の扱いには慣れているし、剣技も自信がある。馬車よりも身軽だし万が一の時に対応しやすいからだ。

 だが、雨となれば馬車を使うことになるだろう。視界の効かない中、馬車を狙うというところか。

「リオ様は私が助けます…必ず…」

 ぽつりと溢されたヴィアンカの呟きに、大丈夫だと抱き寄せていた肩を撫でた。



「リオ兄、どうしたの? ヴィアンカ嬢を伴って来たって聞いたけど」

 王子の執務室に入れば、部屋の主であるフェリックスが立ち上げる。リオナルドは後ろ手にかちゃりと鍵をかけた。

「ああ、すまない。ちょっと一人で置いておけなくてな。隣の控えを借りた。それより、人払いは出来ているな?」

「指示通りに」

 答えに、よしと頷くと本題に入った。

「今日の視察は中止だ」

「は? 何で?」

「お前と俺が死ぬ」

「はあ!?」

「そういう策謀があるということだ」

「何処からの情報?」

 暗殺や襲撃は珍しい事ではない。だが、こうもはっきりと『ある』と言いきれるのは珍しいことだ。しかも、警備を厳重にするのではなく『中止』とまで。

「この世で一番信用できる者からだ」

 リオナルドは迷いなく答えた。


 控えの間の扉が規則正しく叩かれる。入室を促せば、ヴィアンカが背筋を伸ばし頭を下げる。

「殿下、リオ様、よろしいでしょうか」

「どうした?」

「地図をお借りしても?」

 執務机に広げられた視察先の地図の一点を、トンと細くしなやかな指が指し示した。

「場所はプエンテ橋近くの渓谷。八名の刺客に襲われます。橋を前進方向として此方側の物陰に三人と、岩場に二人、この辺りの木陰に三人です。首領は恐らく此方、木陰の三人の中の一人。目元に傷がある男です」

 淡々と説明をするヴィアンカを見てフェリックスははっとした。

「ベルトワーズの占い師……?」

 溢れた呟きにヴィアンカは僅かににこりと微笑んだ。

「遣り口は乱暴ですが、随分と手練れた者達のようです。まず、馬の足を切った後、御者を刺殺。馬車は横転します。警備の騎士は一瞬馬車に気を取られている隙をつかれ次々に、そして乗車していた殿下と、……リオ様、に……」

 言葉に詰まるヴィアンカは蒼白で。恐らくは顛末まで覗いたのだろうとリオナルドは察した。

「ヴィアンカ、もういい。良くわかった」

 リオナルドはヴィアンカの後頭部から手を回し瞳を掌で覆うと、そのまま小さな頭をこつりと自分の胸に当てた。

「リオ様……」

「大丈夫だ。抱いていてやるから休んでいいぞ」

 占いは精神力を使う。しかも今回は心理的にもかなり負担になったはずだ。

 ヴィアンカは口許に力ない弧を描くと意識を手放した。


「リオ兄、どうする? 中止するの?」

「いや、ヴィアンカがここまで頑張ったんだ。捕まえるさ」

 ヴィアンカを長椅子に横たえ、リオナルドはその頭を膝にのせ端に座る。愛おしげに妻の頭を撫でる男の口許は不敵に笑った。

「準備は何を?」

「御者と警備は騎士に変装させた密偵部隊に変える。馬車に乗るのは王子一人だ」

「リオ兄は?」

「城でヴィアンカの傍に」

 リオナルドはヴィアンカの髪を一房救い上げ口付けた。


 

 ふるりと長い睫毛が揺れ、菫色の瞳がぼんやりと辺りを彷徨う。ヴィアンカは視界に入った金の髪にほっとして名を呼ぼうとしたけれど。

「リオ、様…は……?」

 金の髪も、振り返った青い瞳の色も良く似ているけれど違う。

「目が醒めた? 気分は悪くない?」

「……リオ様はどこですか? 」

 半身を起こし、ヴィアンカは再度問う。

 従兄弟なのだから似ていて当然。でも、全く違う別人。

「やっぱりわかっちゃうよね。僕も無理だって言ったんだけど、外部への目眩ましだって……」

「リオ様はどこですか? 殿下」

 重ねられた問いにフェリックスは観念したように息を吐き、鬘をはずし、現れた黒髪を掻いた。

「ごめん。僕の代わりに行ったよ」


 ***


 土砂降りの雨の中

 横たわり壊れた馬車

 泥に混じる赤黒い液体

 転がる斬り臥せられた人々


「や、……うそ……いや、いやあ!!」

 どうしてもと泣いて請い、連れてきて貰った現場の様子、夢に酷似した状況を目にしてヴィアンカは崩れ落ちた。

 馬車の扉から滑り落ちそうになる華奢な肢体を、フェリックスは慌てて後ろから支えた。

「ちょ! ヴィアンカ嬢! 濡れるし、汚れるから!!」

「リオ様…や…やあ……はなしてぇ!!」

「落ち着いて。大丈夫。リオ兄なら大丈夫だから!」

「おい、触れていいとは言っていないぞ」

 今にも泥水の中に転がり落ちそうなヴィアンカの腰を抱けば、降りしきるの雨の中に背の高い男の姿が現れる。

「触れなきゃ止められないよ」

「リオ様?」

 雨と何よりも自分の涙で周りが良く見えない。でも、その声は聞き間違えようがない音だ。剣を振り、鞘に納め、濡れた金の髪を掻き上げる人物にヴィアンカは躊躇いがちに声をかけた。

「ああ、大丈夫だ。掠り傷だけだ」

「リオ様!」

「待て!! 駄目だ!!」

 にこりと笑う彼に一も二もなく抱きつこうとすれば、鋭く声が跳んだ。リオナルドの制止にヴィアンカは菫の双眸を見開き何故と問う。

「汚れる」

 雨と泥、更に返り血を浴びた身体だ。流石に触れさせたくはない。けれども、ヴィアンカは涙を流しながらいやいやと首を振る。

「着替えるまで待て」

「いや! リオ様!!」

 涙に濡れた叫びは切願だった。

 眉根を寄せ、流れる涙を拭おうともせず、菫の瞳は真っ直ぐにリオナルドを捕らえている。

 リオナルドは一度俯いて息を吐くと、観念したように両腕を拡げた。

「ああ、もう、わかった。来い」

 バシャッと跳ね返るものが雨だろうが泥だろうが、例え血であっても、そんなものにまるで頓着することなくヴィアンカはその腕の中に飛び込んだ。

「リオ様……」

 雨は冷たくて、その雨に濡れていたからだろう、抱きついたリオナルドの身体も、頬を撫でる手も冷たい。けれども胸に耳を預ければ、とくりとくりと確かな心音を聞かせてくれた。

「お前が教えてくれたのに、俺が死ぬわけがないだろう?……だから泣くな」

 見上げれば冷えた指先が目許を拭う。雨が顔を叩くと言うのに、泣いていることは隠してくれない。涙だけは温かいのだから。


「リオ兄、馬車使って。着替えもあるから」

 雨着を着たフェリックスが風邪をひくよと声をかければ、リオナルドは厳しい顔をした。

「連れてくるなと言っただろう」

「リオ兄だってヴィアンカ嬢の涙には勝てなかっただろ? 後始末してくるよ」

 フェリックスが肩を竦めて笑って見せれば、リオナルドも仕方なく相好を崩した。

「王子が後始末か?」

「普段は気にしないくせに」

「そうだな。じゃあ、任せた。動けないとは思うが命は獲っていないから気を付けろよ」

「了解」

 雨の中、連れてきた騎士団に指示を出すフェリックスの背を見送って、リオナルドはヴィアンカを抱え上げ馬車に乗せた。


「ヴィアンカ、ちょっと離れろ」

 馬車に入ってもヴィアンカは縋りついたままで、嫌だとふるふると首を振る。

「着替えるまでだ。お前だって着替えないと風邪を……」

 ヴィアンカはリオナルドに縋りついたまま、顔を上げ、泣きすぎて赤くなった瞳で彼を睨んだ。

フェリックス(王子)を行かせるわけにもいかないだろう? 俺が自分で対処したほうが……」

 聞き分けろと言うように諭してみても、それは逆効果だったらしい。ヴィアンカの小さな手がリオナルドの手をとると、それを自分の左胸へと誘った。

 リオナルドは掌に感じる心音に眉根を寄せた。

「ずっと、ずっと、こんなに鼓動が早いんです! リオ様のばかあ!! 何でリオ様が っ自分で!! 抱いていてくれるって言ったのに! 何で嘘を!!」

 ヴィアンカはどんっとリオナルドの胸を叩いて、泣き叫んだ。ヴィアンカの慟哭にも似た叫びにリオナルドは彼女の怯えを改めて察し、彼女が寝ている間に始末を着ければいいと浅はかにも思った自分の不甲斐なさを心で罵った。

「すまん。悪かった。説明するべきだった」

 リオナルドは嗚咽で震える肢体を強く強く抱き締めた。

「か、カストネル、の……筆頭公爵家の者として、我慢しなくてはならないことがあるのはわかります。でも! 我慢できないことも…あります!!」

「そうだな。本当に悪かった。許してくれ」

「け、怪我だって、こんなに…手練れだと言ったはずです」

 リオナルドの左肩は服が裂け、血が滲んでいる。ヴィアンカの細い指が恐る恐るそこに触れる。リオナルドはその手を取り恭しく口付ける。

「ああ、聞いていたからこの程度で済んだんだ。本当にお前のお陰だ。流石はベルトワーズの占い師…いや、今は俺の占い師だな」

「そんな言葉で絆されません」

「ヴィアンカ、悪かった。償いは後で必ずする」

 リオナルドは白い頬を流れる涙を何度も唇で掬った。



 謝り倒し、どうにかヴィアンカを宥め、帰りの道中は一台の馬車に二人で乗ってくれとフェリックスに言われ、ありがたく従った。

「ヴィアンカ、俺が怖くないか?」

 出来れば、あんな姿は見せたくなかった。

 ヴィアンカは箱入りの令嬢だ。人が斬られているのも、その血の臭いも初めて体験したに違いない。ましてや、それを行ったのは自らの夫だ。落ち着いた後で怖がられる可能性は充分にあった。

「リオ様、私はカストネル公爵夫人になる教育を受けたのですよ」

 ヴィアンカはふわりと微笑む。未だに瞳は赤いが、ようやく本来の彼女らしい柔らかさが戻った事にリオナルドは安堵する。

「貴方が正しく国と王家の為に働いていることくらいわかります。だから怖いわけがありません」

 告げるヴィアンカの微笑みはとても毅く美しいものだった。

「ヴィアンカ、お前は素晴らしい女性だな」

 リオナルドは誇らしい思いで、ヴィアンカの唇を自らのそれでゆっくりと覆った。


 ***


 王城の地下、剥き出しの石造りの回廊にコツコツと靴音が響く。一つの部屋の前で壁に背を預けるフェリックスの前でリオナルドは足を止めた。

「どうだ?」

「指示通りに首領を盾にしたら部下が吐いたよ 。黒幕はブランドン公爵」

 ブランドン公爵は現王の従兄にあたり、その息子は王位継承権三位を持っている。これまでも彼が首謀だろうと思われる画策がいくつかあったのだが、証拠が掴みきれていなかった。王族間の確執など表沙汰にしないで済むならばそれにこしたことは無く、これまでは警告程度に済ませていたが。

「性懲りもなくブランドンか。流石に今回は目を瞑れ無いな」

「また物的証拠がないからシラを切るんじゃない?」

「証拠ならこれから採るさ。そうなったら爵位剥奪、公爵と息子は断罪でいいな」

「ちょっと待って。やっぱり身内の恥だし表沙汰にはしない方がいいんじゃないかな。公爵と息子に処罰は必要だけど、あそこには五つの孫がいるからその子を養育して成人したら継がせればいいんじゃないの」

「お前は生クリームのケーキに砂糖をかける位甘いな」

 フェリックスの言葉にリオナルドは嘆息をもらした。

「そんなに!? だって子供に罪はないじゃん!」

「子供が大人になれば復讐することもある」

「だから養育を確かな者に頼んで……」

「そういうことなら、孫の教育はベルトワーズ伯爵に任せていいな」

 リオナルドはにやりと笑った。まるでその言葉を待っていたようだ。

「え!?」

「伯爵の教育を受けて精神が破綻すればブランドン家は終わり、巧くすれば忠実な駒が手に入る。それでいいだろう?」

「あ、あのさ……元からそうしようと……?」

「何の事だ? 全くこの国の王子は慈悲深い」

 証拠が揃えばブランドン公爵とその息子の処断は公開にしろ非公開にしろ免れない。幼いからと情けを掛けて恨みを持ったその子供がまた同じことをしたのでは意味がないのだ。ならば、生かし、手懐けるのが一番いい。王子の指示で、表向き寛容で知られるベルトワーズ伯爵に預けるとなれば、諸侯と国民の王子への信望も上がるというものだ。


 鈍い音をたて扉を開けると二人は罪人の前に立つ。リオナルドは傷だらけのまま手枷足枷を嵌められた逆賊を見下した。

「さて、貴様らの所業は俺の妻を悲しませた。簡単に償えると思うなよ」

「リオ兄、そこは王家に対する反逆とか言ってよ」

「そんなもので足りるか。殺してくれと懇願するような目に遭わせてやるから楽しみにしていろ。牢に入れておけ」


 最後に残された目元に傷のある男の前に一つの椅子が置かれると、リオナルドは当たり前のようにそこに腰かけた。フェリックスも心得ていたように壁に背を預けて成り行きを見守った。

「目元に傷のある男が頬に傷のある男になったな」

 男の頬には深い傷がある。それはまだ新しく血が乾き切っていなかった。胸には鞭打たれたような跡も残されている。

「……………」

「発言は断じていないぞ?」

「………頬の傷はお前が付けたのだろう」

「お互い様だ」

 リオナルドは襟元から覗く、肩に巻かれた白い包帯を指した。

「残念だったな。王子でなくて」

「目的は王子ではなくお前だ」

「ふうん? 自ら喋る気になったか?」

「お前はどうやってでも俺の部下に吐かせるのだろう。だったら一緒だ」

「賢明だな。それで?」

「お前がいなければ王子は一人では何も出来ないと思われている」

「ははっ! こいつは俺が育てたんだぞ。そんなもんじゃない」

 なあ、とフェリックスの方を見遣れば、彼は不承不承ながらも頷いた。

「……お前は、隠れ蓑になっているのか?」

「さて? まあ、話はそんなことじゃない。お前は随分と部下に慕われ、そして可愛がっているようだな。お前だけなら逃げられただろうに」

「お前から?」

「……いい判断だ。お前の部下な、拷問はさせてもらうが、助けてやってもいいぞ」

 リオナルドは背もたれに身を凭せ掛け腕組みをして、脚を組み直した。

「信用しろと?」

「判断は自分でしろ。俺はどちらでもいい」

「何をする?」

 リオナルドは椅子から立ち上がると男の前に立ち、その顎を掬い上げた。

「証拠だ。ブランドンから盗ってこい。そしてその後は部下共々王家と俺の為に(はたら)け」

「報酬は?」

「命と金と保障だな。俺の下で働く以上は守ってやる」

「………」

「なあ? 元、¨王の狗゛カニス・ペッカートル?」

 リオナルドの声は低く挑戦的だった。男は呼ばれた名に刮目し、心を決めた。



 二つの足音が石畳を歩く。日の射さない地下から明るい上階へと脚を進めつつ、二人は言葉を交わす。

「あいつは使えそうだな」

「王の狗って何?」

「先代王の時代にいたんだよ。王直属の暗殺部隊が。あいつらの動き自体がこの国の密偵に似ていたし、その最年少者が生きていればあれくらいの歳なんでな、鎌をかけたら当たったようだ」

「…………」

 フェリックスは黙り、脚を止めた。

「どうした?」

「僕にはリオ兄が必要だよ」

「心配しなくとも、そうそうこの座を誰かに渡すつもりはないさ」

「そうじゃなくて! 一人でも出来るのと、一人でやらなきゃいけないのは違うよ。 僕だってリオ兄を守りたいよ!」

「知っている。お前なら直ぐに追い付くから焦るな」

 自分よりも大きな手がくしゃりと黒髪を撫でる。確かに身長や体格は時を重ねれば追いつくだろう。だが、本当に追いつきたいと思う部分は、生涯追いつけないだろうと知っている。だからと言って置いて行かれる気もないとフェリックスは心に決めていた。

 息を吐き、先を歩く従兄に速歩で追いつく。

「拷問ってなにする気?」

「簡単にいうと放置だ。体が使い物にならなくなったら元も子もないからな。時々俺が話でもしに行くくらいだ」

「話って?」

「狗ならば主に歯向かうなとしっかり教えないといけないだろう?」

「……リオ兄、本気で怒ってるね……」

 従兄のいつにもまして昏い笑みにフェリックスは彼の妻だけは絶対に泣かせないようにしようと心に誓った。


 ***


 ヴィアンカは王城内に自分用に用意された豪奢な一室で寝台の縁に腰かけていた。

 夫であるリオナルドはこの部屋で一緒に身を清め、怪我の手当が終わると「しなければならないことがある」と部屋を出て行った。半時ほどで戻るから少し寝ていればいいと言われたけれど。

 ヴィアンカは自分の左胸の近くに手を置いた。また少し鼓動が早くなっている。リオナルドに抱きしめられている間は落ち着く鼓動は、やはり彼が離れてしまえば早鐘を打った。

 怖い

 と思う。彼が自分の許からいなくなってしまうことが。

 そしてそれを視てしまう自分の力も。

 例え回避できた未来であっても、夢で見た夫の最期は脳裏に焼き付いている。

 こんな能力が無ければ、そんな姿を視ることもなかった。

 でも、その能力が無ければ助けることも出来なかっただろう。

 だから『ベルトワーズの占い師の力』は必要だ。

 そして自分を癒してくれ存在も絶対になくてはならないものだ。

 何度でも助けてみせる。どんなに心が痛んでも。


 続き部屋である居間から、かちゃりと鍵の開く音がする。ヴィアンカのいる寝室の扉は開け放たれているので入って来た人物の姿は容易に見て取れた。だが、見なくとも分かる。入って来た人物が誰も部屋に入れなくていいと鍵を持って行ったのだから。

「リオ様」

 ヴィアンカは弱く美しく微笑んだ。

 リオナルドは大股で彼女との距離を詰め、消えてしまうのではないかと思われるほど儚い彼女を抱きしめた。

 ヴィアンカは細い腕をリオナルドの背に回し、心音を確かめるとほっとして吐息を漏らした。

「ヴィアンカ。怖い思いをさせたな。どう償えばいい?」

「今夜は離さないで下さい。ずっと傍にいて下さい」

「後悔しても知らないぞ」

 ヴィアンカは眉尻を下げて、いいえと言うように頭を振る。

「リオ様がいることを感じさせて」

「いくらでも叶えてやろう」

 重なった二つの影が寝台に沈んだ。



 ***



 腕の中に閉じ込めたものはこの世の何よりも抱き心地がいい。

 柔らかく滑らかで温かく、手に吸い付くような感触。

 自らを捕らえてやまない甘い香り。

 指を通せばさらさらと流れる髪も、小さく上下する魅惑的な胸も、薄く開いた薔薇色の唇も愛おしくて堪らない。

 眠る姿は何処までも無防備で、昨日見せた知的さと激しさは微塵もない。

 貴族令嬢としての凛とした姿も、占い師としての聡さも、そして女性としての愛らしさも全て愛しているし、自分のものだ。

「ヴィアンカ……」

 名を呼んで唇を触れさせても、菫の瞳が覗くことはない。

 何時もなら寝かせておくところだが、昨日あんなことがあって、目を開けたときに姿が見えなければまた不安になるだろう。

 再び唇を合わせ、やや強引に舌を忍ばせる。

「……ん…んん……あむ……」

 息苦しさからか、眉を寄せゆっくりと瞳を開いた。

「おはよう、ヴィアンカ」

 ヴィアンカは長い睫毛をぱちぱちと瞬かせ、自分に覆いかぶさるものに焦点を合わせると華なりと微笑んだ。

「おはようございます、リオ様。大好きです」

 涙目で嬉しそうに告げる妻に、我慢できずにもう一度唇を塞いだ。


 そうして今日も朝が始まる。

書いた本人も何処でこんなにシリアスな話になったのかわかりません。

後日、リオナルドとカニスが信頼し合う様になり、フェリックスが「仲イイよね~」とか嫉妬するとほのぼのするかな、と思いました。

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