こだま
穴穂皇子は微動だにせず、雪の中、立ちはだかっている。
ややして雨が混じり、雹と変わった。大きな雹である。人の親指くらいあるのではないだろうか。
兵士たちはうろたえて頭を覆った。
穴穂皇子がそれを見て、ゆっくりと口を開いた。
大前小前宿禰の門の陰に寄って、雨宿りするか。
雨が止むまでそこで待つか。
どよめく兵士たちを尻目に、穴穂皇子は大前小前宿禰に向かって言った。
黙って様子を見ていた大前小前宿禰がすっくと立ち上がると門の方へと出て行く。
穴穂皇子の前まで進み出た時、ぽんと膝を叩いた。
都の人よ。
袴を結ぶ紐をつけた小さな鈴が落ちたからといって、あなた方は大騒ぎをしているようだが、
小さな鈴が落ちたくらいで、都の人も里の人も、
騒いだりしてはいけません。
大前小前宿禰はそう言って、穴穂皇子の前で膝を突いた。
「申し上げます。穴穂皇子様、天皇になられようとするお方が、同じお母上を持つ兄上と戦などしてはなりませぬ。もし、戦えば必ず人は笑うでしょう。わたしがあなたのために軽太子を捕らえて差し上げます」
軽大郎女は悲鳴を上げた。
そして、次の瞬間、物部の部下たちが、ろうのように白い顔をした軽太子に覆いかぶさった。
軽太子と目が合う。
いつまでも離れない視線に、彼女は応えようとした。
乱暴に軽太子が連れて行かれる。
軽大郎女の身は引き裂かれるようであった。
目の前でさらわれて、言葉を交わすこともできなかった。
軽大郎女はのどが焼き切れるかと思えるほど叫んだ。
大前小前宿禰が飛び込んできて、軽大郎女の体を全身で抱きしめた。
軽大郎女は、口に出すのもはばかれるような言葉をさんざん言い放った。
それでも大前小前宿禰は、軽大郎女の体を離そうとしない。
「離せっ。裏切り者っ」
「どうにもならない事があるのです」
大前小前宿禰の声には力がこもっていた。
軽大郎女はかっとなって、大前小前宿禰を睨みつけた。
「お前は最悪な形でおあにぃ様を裏切ったのだ。なぜ、戦わなかった。なぜ、武器を揃えさせた。なぜ、匿った。なぜだ。答えろ」
「衣通王」
大前小前宿禰が、ハッとするような低い声で言った。
「あなたは第二皇女だ。では―――なぜあなたは太子を選ばれた」
軽大郎女は目を見開いたが、それには応えずに大きく息を吸い込んだ。
「吾の質問に答えなさい」
「ここで戦えばあなたも巻き込まれ殺されてしまったでしょう。あなただけではありません。わたしの一族も軽太子も殺されていたかもしれません」
「軽太子は死にません。あの方は天皇になられるのです」
「まだ気が付きませんか、あなた方は破れたのです」
「不吉な事を言わないでっ」
軽大郎女の激しさに、大前小前宿禰はほっと息を吐いた。
「あなたのその激しさ、どこに隠されていたのでしょう。その激しさこそ、あなたが光り輝く王の証なのでしょうか。あなたはそうやってご自分を解放し、自由に光続けられていられたら幸せになれたはず。なぜ、あなたは太子を選ばれたのか」
軽大郎女はその言葉を最後まで聞かずに、するりと大前小前宿禰の腕から逃げ出すと邸を飛び出した。
「捕らえろっ」
恐ろしい声が響いたが、軽大郎女は穴穂皇子の一団へ飛び込もうとした。
だが、彼女は捕らえられてしまった。悲痛な声がこだました。